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軽さこそは正義!【RGV-Γ:スズキ歴史館】 静岡県浜松市中央区増楽町1301

美しい工業製品に共通するのはシンプルなデザインと構造。
質感という意味においては重量も大切な要素の1つですが、軽さこそは重要で基本的な評価基準。特にクルマやバイクではそのポテンシャルに直結。
またコストの面に大きな影響を与えるのも軽さです。
今回は技術はもちろん利便性とコストを突き詰めてきた印象強めな企業ミュージアムの記録。


静岡県最大の街・浜松市の人口は779,000人。
工業だけでなく農業も盛んな地域からは温暖な気候の地というイメージを受けますが、遠州のからっ風という強風も特徴の1つ。
近年は餃子の街No.1の座を栃木県宇都宮市と激しく抗争中。
浜松餃子の具材は地元供給に恵まれた野菜多め、特徴はダメ押しのモヤシ。

スズキ歴史館

スズキ歴史館は2009年開館した企業系ミュージアム。立地は浜松市内の本社工場南側(正門前)。入場は無料ですが、要予約に注意。

静岡県浜松市中央区増楽町1301

工場見学とは違い、基本的に自由に回れます。

パンフ 2023年版

モビリティの源流編

導入部にはスズキの歴史の前に、遠江出身の偉大な先達が紹介されています。いずれも現在は誰もが知る大企業のはじまりな人たち。
年代順に

山葉寅楠やまは とらくす(1851-1916)、医療機器の修理技師だった和歌山の人。
1887年小学校でのオルガン修理時に、全ての部品を図面化し試作オルガンを完成させた人で、楽器メーカーのヤマハ創業者。
そしてそこから独立したのがヤマハ発動機。

豊田佐吉とよだ さきち(1867-1930)、現湖西市の人。
豊田式木製人力織機からスタートし、自動織機メーカーを立ち上げた人。
トヨタグループの創始者。

河合小市かわい こいち(1886-1955)、浜松の人。
山葉寅楠のもとで研鑽を積み、41才の時に独立。河合楽器製作所の創業者。
全ての小学校にピアノを届けるという信念のもと、価格をおさえた製品「昭和型」を普及。
ヤマハと共に「楽器の街・浜松」ブランド化の礎になった人。

本田宗一郎ほんだ そういちろう(1906-1991)、浜松の人。
自動車修理工からパーツメーカー、そして世界的モーターサイクル&自動車メーカーへと育て上げた人。
2輪と4輪ともに最高峰レースの世界で活躍するメーカーは稀有。

いずれも「やらまいか」精神あふれる方々。
考えるよりもとりあえず手を動かしてみるタイプでしょうか。

その中にスズキ創業者もラインナップされています。

創業者

鈴木道雄すずき みちお(1887-1982)はスズキ創業者で、浜松の人。
120以上もの特許を取得した遠州の発明王。

彼が目を付けたのは豊田佐吉と同じく織機。
浜松という地域性(綿花栽培が盛んな地)や時代性(工業化の発展)をうまくとらえつつ、自身の創造力を製品化に注力。必要は発明の母の体現者。

展示の杼箱ひばこ上下器搭載織機は現存品ではなく、保管書類を元に再現されたモノ(1910年代)。

人力時代

歴史館所蔵では最古と紹介される自動織機は、スズキ製A44一挺杼ちょうひで1930年代のモノ。

A44(右)

「挺」は1本で縦縞の布を織る事ができ、スズキの屋台骨となったサロン織機(四挺杼)の源流。「44」はインチを表し、織られる布は約112cm幅。

その発展形がA46片側四挺杼の自動織機(1955年代)。

A46

チェック柄はプログラム化されたパンチカードにより自動的に織られます。
レトロな雰囲気を演出した空間での展示。

さらに古い織機が別コーナーに鎮座。

ご先祖モデル

鈴木織機製作所創業期の、1909年から1920年代に生産されたモデル。
トヨタ産業技術記念館からこちらへと、2014年に譲渡されたそうです。

トヨタの祖業も自動織機。トヨタのミュージアムではもちろん、三河のミュージアムで目にする事の多いのが豊田自動織機製品。
遠江発祥の2社は製品展開では異なる道筋は歩みましたが、21世紀はEV事業(電気自動車)で提携しています。

興味深いのは、グッズ展開されていた織機時代の記憶。
かつての鈴木式織機で織られた生地製品は新たなブランド構築展開。

絶賛発売中なのは、歴史館では特別価格の前掛け¥7,300(税込)。
アウトドアでも大活躍の一枚らしいです。
またスタンダードなデザインのトートバック¥8,400は、スズキの「S」マークを控え目にワンポイント。

自動織機事業に続いた、モーターサイクル事業、マリン事業が揃い踏み。

自動車産業界の一翼

では現在の主力事業はというと・・・

軽自動車のトッププレイヤーといえばスズキ。
展示でスペースが割かれていたのは、その黎明期からのスズキ4輪車。

スズライト(1955年)はスズキ初の市販四輪乗用車。
エンジンはシンプルな360ccの空冷2サイクル2気筒(15.1PS)をFF(フロントエンジン、フロントドライブ)で搭載、¥420,000。

スズライト

ライトは「軽い」と「光明」のダブルミーニング。

続いてスズライトとは異なるコンセプトから生まれたフロンテ(1967年)。
エンジンは空冷2サイクルながら3気筒356cc(25PS)とパワーアップ。
搭載位置を車体後部へと変更したRR(リアエンジン、リアドライブ)は、4人乗りでファミリーユースにも対応、価格は¥377,000。

フロンテ360

高度経済成長期の昭和ファミリー的な空気感が演出された展示。
発表翌年にはその性能をアピールすべく、フロンテ360SS(1968年)をイタリア・アウトストラーダ(高速道路)でテスト。

フロンテ360SS

エンジンはさらに改良が加えられ36PSにパワーアップしています。
750kmの距離をアベレージ122.4km/hで駆け抜けたそうで、販売価格はほぼ据え置きの¥387,000!(展示はイタリア帰りの実車)
半世紀前の軽自動車にしては驚異的なスピード。

そしてスズキの代名詞となるこの車。

47万円のソニック・ブーム

スズキ3代目のカリスマ社長鈴木修すずき おさむ(1930-2024)の手による大ヒット商品が1979年発売のアルト
解説のキャプションでは、なぜかCM出演女優を初代から6代目までご紹介(これまでとは一転して技術的な解説なし)。

アルト

性能は水冷2サイクル3気筒539ccエンジンから28PSを発揮(たぶん乗り易さ重視)、価格は徹底的なコストダウンを追求した結果の¥470,000。
部品材料の点数や重量を削減するのはコストカットの常套手段。
加えて税制で有利となる商用車扱いというウルトラCも繰り出します。

いかにお得だったのか、当時のヒット商品たちと比較するという展示も。
自動車のカテゴリーからはトヨタのカリーナ(小型セダン)とスターレット(小型ハッチバック)。フロンテは12年間で65万円まで価格が上昇。
アルトは装備のほとんどが、簡素化もしくはオプション化されていたようなので、公平に比較するのはややムリがあります。

注目したのはPC(デスクトップ型)、そしてTVの2倍のプライスタグのついたビデオレコーダー。そのプライス設定は、現在の高級レコーダーや中級PCとさほど変わりません。そう考えると現在47万円の新車は・・・
当時の映画料金¥1,300(大人)も現在とあまり変わっていないようにも。

現代車両の展示では、カットモデルや生産ラインを再現したりと社会見学的な要素も散りばめつつ(実際9月から1月の間は、小学生見学が優先)

ジムニーとその心臓

ちなみにジムニーは今や200万円オーバーの価格帯に到達。
写真のエンジンは1.3Lですが、現行モデルは1.5Lと成長中。
もはや軽ではないタイプもラインナップ。

ラインが流れる風の展示には、小型スポーツハッチのスイフト
肥大化し過ぎないサイズ感は好印象、個人的イメージカラーはイエロー。

トヨタやホンダは日本各地での工場生産を進めてきました。
スズキの国内工場は静岡の一択。しかも当然の遠江プライド。
2ヶ所あるスズキ塾という施設名称はビミョー。

現代遠江の殿様?

写真パネルで展示されていた浜松工場(浜松市北区)こそは、2輪用工場。
屋根にソーラーパネル未搭載なのはやや違和感。

スズキ版 モーターサイクルの歴史

スタートは2代目とモーターサイクルの始祖から。
2代目社長は鈴木俊三しゅんぞう(1903-1977)、道雄さんの娘婿。
そして原動機付自転車という表現がピッタリ当てはまるパワーフリー

2代目&パワーフリー

空冷2サイクル単気筒エンジンは、わずか36ccから1PS(馬1頭分)。
お値段は判断付かない¥25,000(1952年)。
アクセサリーのような釣り竿と魚籠がイカしてます。ウナギ釣り用?
ホンダ・バタバタのスズキ版と言ったら怒られるかもしれませんが、創造の一歩は模倣から。

似たような電気式のモノが街を駆け抜けている21世紀の都市部。適法なのか違法なのか見分けがつきにくいうえに、適法でもとりあえず危なっかしい。

そして1PSから急成長した逸品。
RM62(1962年)は、E・デグナー(ドイツ:1931-1983)がイギリス・マン島TTレースで優勝したマシン。
空冷2サイクル単気筒50ccから9PSを絞り出しています。

RM62

デグナーはこの年50ccクラスのタイトルを獲得し、スズキにメーカー初タイトルをもたらした人。
ちなみに鈴鹿サーキットのコーナーにも、その名を残すデグナーさん。

スズキ市販車の歴史において、デザインの切れ味が最高な1台。
その名もずばりGSX-S1100S カタナ(1981年)。

カタナ

オリジナルデザインそのままに具現化されたスズキの傑作は、20年にわたり生産されたロングセラーモデル。
空冷4サイクル4気筒1,074ccエンジンは111PSを発揮(海外用モデル)。

展示車両は2000年に1100台が限定生産されたファイナルエディション。
間近で見るとデカ過ぎて乗れる気がしません。また今や取引価格の高騰から入手ハードルが上がったバイクの1台(2000年発売時は¥990,000)。

2025年7月に亡くなられた東本昌平はるもと しょうへいの代表作「キリン」でも主役に。

キリンは初期設定が38才のオジサンというバイク乗りのハナシ。
4巻以降は主人公が変わりつつバイオレンスな抗争モノへと展開。

そしてカタナは2019年、新たに生まれ変わっています。
歴史館のエントランスには、20世紀版と21世紀版のカタナを並べて展示。

カタナファミリー

ただし21世紀版は、かつて国内販売されたオリジナルカタナ750cc版の耕運機ハンドルスタイルを継承。
スタイリッシュとは素直に呼べないモヤモヤスタイル。

そしてスズキのフラッグシップの系譜を現在引き継いでいるのはハヤブサ。

ハヤブサ初代

ハヤブサ(隼)は1999年デビューの海外販売モデル(後に国内モデルも)。
水冷直列4気筒エンジンは1,298ccから175PSを発揮したアルティメイトなバイクは、改造なしの素の状態で300km/hを実現。

現在は2021年に発売された3代目に。
排気量1,339ccから最高出力188PS、車重は264kgとスーパーヘビー級。
加えて¥2,233,000とアルトも真っ青なプライス。

ハヤブサ3代目(2021年モデル)

ではレーサーの進化はというと、

究極の軽さとハイパワーの権化:500cc

1980年の世界選手権用マシンがRGB500
水冷2サイクル・スクエア4気筒494.7ccエンジンは122PS。

ライダーは、グラシアーノ・ロッシ(ヴァレンティーノの父)。
1980年のWGP500ccランキングは5位を獲得したパパロッシ。
スズキは1981・1982年とライダータイトルを獲得していますが、82年終了時をもってファクトリー活動を一時休止。

そして1987年から世界戦線に復帰してきた新型がRGV-Γ(以下ガンマ)。
1988年のエースライダーはケビン・シュワンツ(アメリカ:1964- )。

RGV-Γ 1988年モデル

後ろのパネルにはカリスマ・修さんを中心としたアルトくんの集い。
あまりにもシュールすぎるスズキの展示レイアウト。
さきほどの初代ハヤブサ写真のバックで、ペプシガールに囲まれご機嫌のシュワンツに気づいたあなたは、なかなかのGPオタク。

サイン入り

水冷2サイクルV型4気筒エンジンは499.5ccから148PS。
Vバンク角は55度。シュワンツはこの年のWGP(世界選手権)で2勝。
自身の能力アピールとスズキ復活の狼煙を高らかに。

ガンマのハンドルタレ角と絞り具合は、個人的には好み。
現在ではやや高めでバーハンドル的な開き具合がデフォルト。
絞り気味の方が、走っていて疲れない気がしますけど。
耕運機スタイルは問題外!

翌1989年のシュワンツは、ライバル勢に比べやや非力ながら軽量でブレーキ特性に優れたガンマを操って、年間最多の6勝をゲット。
ただしチャンピオンには手が届かず(マシントラブルも多かった)。

フライング・テキサンと呼ばれたシュワンツ(テキサス出身)の持ち味は、レイトブレーキと豪快なタイヤスライド。

ただその実像は、当時の記事とはやや違ったようです。
非常に参考になるのが21世紀に出版されたコチラ。

当時開発ライダーを務めた樋渡治ひわたし おさむ(1957- )によるシュワンツ評(利かないブレーキ設定と繊細なアクセルワーク)は目からウロコ。
またスズキの開発方向がシュワンツに与えた影響等も興味深い1冊。

その後にようやくシュワンツが戴冠したのは1993年のコト。
もちろん歴史館にはチャンピオンマシンが鎮座。

ガンマ 1993年モデル

1993年モデルはVバンク角が70度に広げられ、クランクの回転方向や爆発間隔が最適化。最高出力は160PSオーバー。
ただこの年には、ライバルの負傷離脱という悲しい事故も。

外観の基本イメージは踏襲しつつも、ディテールはシャープに洗練。

サイン入り

シュワンツ引退後のガンマは、ケニー・ロバーツJrによる2000年のタイトル獲得が最後の戴冠。Vバンク角は80度とさらに広げられ、163PSを発揮。

ガンマ 2000年モデル

2000年モデルはテールカウルがなだらかな尻下がり。
そして2サイクル500ccエンジンは、2002年を最後に絶滅種に。

ちなみに同コーナーには、その後に最高峰クラスタイトルを獲得したもう1台GSX-RR(4サイクル1,000cc:2020年)も鎮座しています。
そんな宝石のようなチャンピオンマシンたちを、中古車売り場のように展示するのがスズキスタイル。

今回は軽さをキーワードに展示車からチョイス・記録しましたが、主に耐久レースで活躍した4サイクル勢の面々は別の機会に。

企業のレガシー保存には手間やコストを掛けてこそのブランド化。
もう少しゆとりある展示スペース、加えて見やすい配置になればと。
ちなみに熱狂的なスズキバイクファンは鈴菌と呼ばれています。
個人的には未感染ですけど、オタク視点からの希望でした。

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