常陸の国のアート事情【茨城県近代美術館:吉村順三】 茨城県水戸市
かつては常陸の国とよばれた茨城県。大国にカテゴライズされ国守を親王が務めた国は、現在も農業大国として知られています。
最近では常陸を読めない人がけっこういて、常陸ブランドの展開・浸透に苦心しているという報道も(ヨソ者には笑い話で済みますけど)。
地名にはありがちなケースですが、そのスケール感は問題でしょう。
水戸市の人口は266,000人。意外にも関東の県庁所在地では最少(さいたま市とほぼ同じ関東最小クラスの面積で、人口は5分の1)。
市の中心部に位置する千波湖周辺は市民の憩いの場になっていて、文化施設も集まっています。個人的には千波湖北西にある茨城県立歴史館や、かつての水戸の殿様の末裔が運営する徳川ミュージアムといった歴史系ミュージアムは重要ポイント。
今回はなんとなく足を運んでみて、けっこう発見の多かったミュージアム。そもそも大御所による建築作品であるコトに何年も気がつかず、水戸の奥深さを垣間見た気分。

散歩したり昼寝したりとリラックスムード漂う湖畔から、かつての水戸のお殿様の3名プラス1名を。
千波湖と水戸徳川家の人々

対岸の高台には偕楽園。水戸のお殿様の大名庭園。
千波湖を眺めているのは、全国区の殿様水戸黄門。

徳川光圀(1628-1701)は藩祖頼房の子で水戸学の祖。
2代水戸藩主となり、水戸黄門のイメージが強すぎる人。
ちなみに黄門は中納言の唐名(官職の中華風別称)。
TVドラマでは助さんから昇格した黄門様も。

徳川斉昭(1800-1860・右)は9代水戸藩主。
諱号は烈公。行動する改革派で強烈な尊王攘夷の人。
左側はその7男徳川慶喜(1837-1913)。
徳川幕府15代将軍を務めたラスト・ショーグン。七郎麿は幼名。
参考に七郎麿兄弟の肖像画も。

こちらは鳥取でゲットした七郎麿&五郎麿像。
(別バージョンの幼少期の七郎麿肖像画は、徳川ミュージアムにも所蔵)。
右の五郎麿は慶喜の実兄で、鳥取池田家(32.5万石)を継承した12代鳥取藩主。(原本は鳥取神社蔵:北海道釧路市)。
ちなみに斉昭は子沢山で知られ、
川越藩(17万石)の結城松平家(八郎麿)
浜田藩(6.1万石)の越智松平家(十郎麿)
岡山藩(31.5万石)の備前池田家(九郎麿)
喜連川藩(10万石格)の足利家(余一麿:11男)
土浦藩(9.5万石)の土屋家(余七麿:17男)
島原藩(6.5万石)の深溝松平家(余六麿:16男)
と養子組は結構な勢力(石高だけでなく家格の高さも)を形成しています。
そして水戸では露出度の低いこの方。

徳川頼房(熊吉:1603-1661)は東照大権現家康の末っ子。
水戸徳川家25万石の祖(後に35万石)ながら、水戸ではやや影が薄い人。
実は初代水戸黄門。そして現在の徳川宗家(将軍家)は彼の血筋。

水戸徳川家についてくわしいのはこちら。
藩物語シリーズでは、藩主家以前の歴史についてもカバーされるのがスタンダードですが、水戸藩は徳川家一本勝負。著者は常陸の人。
内容は藩政後半にウェイトが置かれている印象の1冊。
水戸徳川家の整理はココで終了します。
偕楽園から望む千波湖の対岸に見えるのが本日のミュージアム。
銅板葺きの屋根は経年変化の緑青で保護色のように。

茨城県近代美術館

茨城県近代美術館は1988年千波湖そばにオープンした県立ミュージアム。

設計は吉村順三(1908-1997)、和風とモダニズムを融合した人。アントニン・レーモンド門下生。
手掛けた作品には、数ヶ月前に話題となった国際文化会館(1955年:東京都港区:共同設計)や、奈良国立博物館新館(1972年:奈良県奈良市)。
意外にもミュージアム建築は少なく、住宅を多く手掛けられています。
ちなみに国際文化会館には、まだミュージアム機能はありません。
茨城県水戸市千波町東久保666-1


コレクションは茨城県出身もしくはゆかりの作家を中心に、近代以降の美術作品。プラス西洋の絵画&彫刻。
1Fはコレクション展示、2Fが企画展示と分けられています。
コレクション展示は、県立にしてはやや小規模な印象。

ロダン(左)とザッキンの彫刻がお出迎え(他にも数体)。

コレクション展示はスッキリと。基本撮影可能。

ボンジュールな作品からアロンジー!
まずクロード・モネ(1840-1926)の「ポール・ドモアの洞窟」。
並んでピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の「マドモワゼル・フランソワ」。
印象派を代表するお二人(らしい)。
西洋画についての知識は絶望的に無く、誠に申し訳ありません。
むしろ気合の入りすぎた額縁に目がいきがち。

そしていきなりの茨城勢。

「河伯」は小川芋錢(1868-1938)の作。
河童というよりアメンボのよう。手足長すぎ。
芋銭の父は牛久藩士。芋銭は江戸の生まれですが、廃藩置県後に牛久の人に。モチーフにカッパを好んだ河童の芋錢。

佐藤忠良(1912-2011)の帽子(1981)とリトグラフ3点。
忠良は宮城県大和の人。彼の彫刻は日本全国で目にします。
続いて茨城の人による茨城の名所をモチーフとした作品を2点。

五百城文哉(1863-1906)は水戸の人。
袋田の滝は茨城県北部にある名瀑。

小堀進(1904-1975)は現在の潮来の人。
霞ヶ浦は日本で2番目に大きな湖。
五浦に足跡を残したアーティストたち

チーム五浦のリーダーは岡倉天心(覚三:1863-1913)。横浜の生まれで、東京美術学校や日本美術院を創設した人。
1906年に芸術活動の拠点を東京から五浦(茨城県北茨城市)へ。五浦はメンバーにとって苦難の時代とも。天心像(五浦釣人)は平櫛田中作。
そしてメンバーの4人(2人は常陸出身)。

並べて展示されていた2人。
横山大観(1868-1958)は水戸の人。
そして菱田春草(1874-1911)は飯田の人。
春草は代表作黒き猫(永青文庫蔵:重要文化財)が知られていますが、地元美術館には同窓生との約束で描いた白き猫が収蔵されています。

木村武山(1876-1942)は笠間の人。

下村観山(1873-1930)は和歌山の人。
ここまでに至る展示作品たち。その構成はどこかで見たような記憶が・・・
そういえば近代美術館の南側にあるのは茨城県立県民文化センター。
いわゆる音楽ホールです。ネーミングライツによって一般的にはザ・ヒロサワ・シティ会館の方が通じやすいのかも。
その本丸となるザ・ヒロサワ・シティ(筑西市)の一角で存在感を示していたのが廣澤美術館。
近代美術館の作品は、廣澤美術館のコレクションとカブっていたのです。

いや設立年から考えれば、廣澤美術館が追従したのかもしれません。
さらに廣澤美術館にでは工芸部門も充実していて、地元の板谷波山が存在感を示していました(近代美術館では陶磁器は守備範囲外?)。
茨城縛りでのアートコレクションは、自ずとこういうラインナップに収束していくのかもしれません。それはズバリ常陸の王道。

近代美術館は和モダンで知られる建築家によるデザインですが、それほど装飾性を廃したシンプルデザインという印象はありません。
スッキリはしていますが、むしろ洋風クラシカルなモダンデザイン。
華美ではなく落ち着いた雰囲気に包まれ、チョッピリ緊張感も漂わせるまさに美術館という空間。


地域性のあるコレクションと永く残るであろう建築。
そしてコレクションのコアには近代日本画のパイオニア達。
加えて彼らの足跡が残る五浦にも県立美術館が存在するというのが茨城県の文化度の高さ、贅沢さでしょう。
都道府県魅力度ランキングとやらは全く気にする必要のない常陸の国。
フォーカスすべきは常陸の読み方の全国への周知のみ。

