本社から1周年を祝いにやって来たのは「たいれる」【ティレルP34:タミヤ プラモデル ファクトリー東京】 東京都港区
サラリーマンの聖地と呼ばれる東京都港区新橋。そんなサラリーマンたちの憩いの場のようでもあり、どちらかと言えば子供たちの夢がギュッと詰まったスポットが新橋にあります。ちょうど環状2号線を地下トンネルで潜らせて、新虎通りと名付けられたエリア。
オープンから1周年を祝して、本社から遠征してきたのは貴重なマシン。
JR新橋駅周辺の飲食店街から少し離れ、ようやく完成してスッキリしたマッカーサー道路(新虎通り)沿い。
サラリーマンに限りませんが、お詫びの定番手土産・切腹最中を扱う和菓子屋の斜向かいに、今回の目的のショップはあります。
タミヤ

タミヤ・プラモデル・ファクトリー東京は、2024年に移転グランドオープンしたタミヤの旗艦ショプ兼ショールーム。
ミニ4駆の簡易コースとワークショップを備えていて、カフェも併設。
東京都港区新橋4-3-1 新虎安田ビル1F


ショップの傍に立つ消火栓標識にはタミヤの広告。
深みを感じるのは陸上車両系哲学者の言葉でしょうか。
モデラー以外には意味不明。
※追記:残念なことに2025年7月・8月に、創業家の田宮俊作さんと督夫さん兄弟は相次いで逝去されています。ご冥福をお祈りします。
模型誌モデルグラフィックス(大日本絵画)にも追悼特集が。
石坂浩二さんを表紙に「タミヤを語ろう」という1冊はモデラー必見。
タミヤは模型からから始まり、関連ツールにアートや工芸というレベルにまで及ぶエコシステムなのです。

クリーンでかつての模型屋さんのようなホコリっぽさは皆無のショップ
(お宝さがし感はかなりダウン)。
やはりと言うべきか、インバウンド系のお客さんが多数。
また優雅にコーヒーを飲んでるサボり系サラリーマンもチラホラ。

模型が教えてくれた人生で大切なコトの1/12たち。

本社にディスプレイされていたのは、RC211V '06でした。
パーツ類のレイアウトは変更されています。

こちらは模型が教えてくれた人生で大切なコトの1/20もしくは1/24たち。

艦船系の方々が教わったのは、最も少ない1/700。
ただしウォーターラインシリーズはタミヤ、アオシマ、ハセガワ、フジミの静岡4社で担当モデルが割り振られ、各社がカブらないようにモデル化されていたらしいので、タミヤだけではコンプリート出来ません。
戦艦よりも巡洋艦や駆逐艦といった中小型艦船の方が、スタイルは優美。


1/35には組立不要のキットもあります。
ランナーから切り離して、塗装するだけ(しなくてもOK)。
米軍用にはガスマスクや火炎放射器を装備。ある意味極み。

工具一式もけっこういい値段でサポート。
子供心に刷り込まれていくタミヤブランドの恐ろしさ。

ショップ内のミニ4駆コース。
コース横には工作可能なテーブルもあり、中学生らしき人物が自身のマシンをセットアップ中。恵まれた環境です。
試走させるのを見ていましたが、2周目にコース外に吹っ飛んでいきました。見ていてどこに問題があるのかが、まったく分からないのが問題。
そして本社から派遣されてきた本日の主役を。
ティレルP34
ティレルはケン・ティレル(イギリス:1924-2001)によって創設されたF1コンストラクター。
中嶋悟、片山右京、高木虎之介と日本人ドライバーも在籍していましたが、1984年以降は勝利に恵まれず、中位から下位がチームの定位置に。
結果1998年にチームは消滅しています。
ちなみに右京のドライブしたティレル・ヤマハ023もモデル化されました。

ティレルP34は、1976ー1977年シーズン用のマシン。
当時のスタンダードエンジン、フォード・コスワースDFVを搭載。
V型8気筒の排気量は3,000cc、出力は約465PS。
特徴はなんといっても前輪多めの6輪車。
デザイナーはデレック・ガードナー(イギリス)。
1976年のドライバーはパトリック・ドゥパイエ(フランス:1944-1980)とジョディ・シェクター(南アフリカ:1950- )。
伝統のモナコではシェクター優勝、2位にドゥパイエ。

会場にはティレルとタミヤの記録も展示。

当時の田宮俊作社長(現会長)がイギリスのファクトリー訪問時の写真。

俊作社長は1976年の日本GPで、ケンにタミヤのキットを手渡しています。
なぜかの「フェラーリ312T」を。

前輪が4つある事のメリットは、小径化による空気抵抗の削減とタイヤの合計グリップの向上、加えてブレーキディスクの総面積が大きくなる事。
ところが現実的には荷重の移動によって4つの前輪のグリップは均等ではなく、必要となったのはバラバラに動く各タイヤに適したセットアップ。
一定の成功を収めましたが、実戦ではすべてが理論通りとはいかず。

タミヤの社員はチームにサポートとして協力。役得。

タミヤからモデル化に際して、チームへロイヤリティが支払われています。これはF1界最初のケースだったそうです。

P34はスケール違いとバリエーション違いでキット化されました。

雨の中、ドゥパイエが2位表彰台に。ピンボケしていますが、ゼッケン上の「Tyrell」の文字の下には「たいれる」と日本語表記が。


時代を感じさせるリアのブレーキディスクは、ホイール内ではなくドライブシャフトの根本にあるインボードスタイル。

1976年の日本GP時には「DEPAILLER」の横に「どぱいえ」と日本語表記。
ちなみにもう1台は「しえくたあ」。ともに子供の発音的な表記。

参考書はいつものようにGP Car Storyから。
中古本ではプレミアがついているのが驚き。そんなに売れる雑誌なのか?
誌面には当然のようにタミヤ所蔵の個体が。またタミヤ関連の記事も。
興味深いのは、元F1パイロットの所蔵する個体のレポート。
ピエルルイジ・マルティニが動態保存する個体を豊富なディテール写真と共に。なんでも2台もお持ちのようです。
ちなみにキットはこちら

P34は6輪車というエポックメイキングな側面だけではなく、長きに渡るタミヤとの関係も忘れてはいけません(同様にロータスも)。
本社でのP34はスペースの関係で窮屈な環境で鎮座されていましたが、ここ東京ではゆったりとまた360度ぐるりと楽しめる贅沢な展示。
こういう展示が行えるのも、タミヤのレガシーゆえ。

