王道のミュージアムは800年の歴史を持つ大名の城下町に【岩手県立博物館:佐藤武夫2】 岩手県盛岡市
都道府県立ミュージアム。日本全国47都道府県全てにありそうですが、行ったコトがあるミュージアムはどこの建物も立派だった印象。
展示内容がなんとなくイメージできるのは、カテゴリーや時代にフォーカスされたミュージアム。一方総合系ミュージアムでは、俯瞰的に展示品群を見られるのがメリットでしょう(どちらも甲乙はつけがたい)。
盛岡市の人口は278,000人。東北6県の県庁所在地では、仙台市だけが飛び抜けて多い100万人都市ですが、その他5県は同じぐらいの規模。
その盛岡はニューヨーク・タイムズの記事(2023年)で「行くべき52ヶ所」に選ばれ、国内メディアでも取り上げられました。
個人的には国内の地方都市はすべて「行くべき所」に値すると思いますが、その街の美点を見い出せるかは本人の視点次第。他者のオススメに乗っかるのも本人次第(NYTが取り上げた日本の都市はベタすぎ)。
今回はいたってフツーの県立ミュージアム。ただしこの地を治めた一族は、かの新聞社を擁する国の数倍に及ぶ歴史を誇ります。

岩手県立博物館


北上川を堰き止める四十四田ダムの傍に、県政100周年を記念して1980年に開館したのが岩手県立博物館。
考古、歴史、民俗、現代を網羅した王道スタイルの総合博物館。
屋外展示では南部曲り家と呼ばれるこの地域独特の住宅(重要文化財)も。
岩手県盛岡市上田松屋敷34
設計は佐藤武夫(1899-1972)、名古屋の人。
彼が設立した設計事務所は現・佐藤総合計画に。
他には早稲田大学大隈講堂(東京都新宿区:1927年)や岩国徴古館(山口県岩国市:1945年)、そして日本各地の自治体庁舎や市民会館を多数設計。



エントランスで両脇に尼藍婆と毘藍婆を従えるのは、北方の守護神兜跋毘沙門天立像。現品は成島毘沙門堂(花巻市)にある重要文化財。
よくある毘沙門像は餓鬼を踏みつけるスタイルですが、この像は地天女による肩車という珍しいスタイル。

通常展示から気になったモノをいくつか。
階段スペースを占拠するのは昨今流行りの恐竜たち。
圧巻なのは全長22mのマメンキサウルスの全身骨格。
骨格は複数個所で発見された標本からの合成復元だそうです。
岩手県ではモシリュウ(同程度のサイズと考えられる)の上腕骨化石が発見されたという事実も解説にさりげなく(国内初の恐竜化石の発見事例)。

2Fフロアからの視点。
マメンキは首の長さが全長の半分を占めるという妙なバランス。
そして首の描くアールは壁の角度に合わせて。学芸員さんのセンス!

お口アングリ系の2体。

スイーッと泳ぐ系も2体。
おまけにどちらが進化形なのかもよく分からない。そもそも種族違い?


ツノの骨量が尋常ではないシカ。

ようやく盛岡らしさを感じるのはチャグチャグ馬コ。
馬が纏うのは武装ではなく、お祭りの装束。盛岡では初夏の定番らしい。
(駅前でシャラシャラ鈴の音を鳴らすパフォーマンスを見た記憶が)
企画展示はパッと見は絵本風、タイトルはサスペンスムービー風。
ナイフとフォークを持つその姿は、シュールなヤバさを増幅。
犯人は学芸員(たぶん)。

2024年9月-12月 @岩手県立博物館



こちらは杉本博司風の展示。
解説によるとイヌワシは岩手県内に60羽ほど生息の絶滅危惧種。

続いて歴史ゾーンへ。

中央政権からの使者。

坂上田村麻呂(758-811)は、征夷大将軍(朝廷による鎮圧軍のトップ)の2代目。朝廷より陸奥守にも任じられ東北へと派遣。
敵方の首領阿弖流為を服属させた人。死後は平安京の守護神となった武人。

岩手県といえば外せないのが黄金の王国平泉・中尊寺関係。
華鬘は中尊寺金色院が所蔵する平安時代の装飾工芸品。
そして毛越寺は黄金の王国を築いた奥州藤原氏が造営したお寺。
併設されるのは浄土庭園。


黄金の王国は終焉へと近づいていきます。
義経記は兄源頼朝(1147-1199)から追討された弟義経(1159-1189)の記録。庇護した藤原王国崩壊の序章。

東鑑(吾妻鑑)は、頼朝により開かれた鎌倉幕府の公式記録。
写真は「奥州藤原氏の秀衡(1122-1187)は義経を大将軍とするようにと子の泰衡(1155-1189)らに遺言しました」というパート。
史実では泰衡は頼朝の圧力に屈して、義経を排除してしまいます。
ところが奥州藤原氏は頼朝勢によって滅ぼされてしまうという結末。
平泉は「兵どもが夢の跡」の現場に。
平安・鎌倉時代から一気に現代へとジャンプします。

近年こういった展示が増殖中。
収集コストがそれほどかからないのがメリットでしょうか。

アナログの電話機各種。そろそろガラケーもラインナップに必須?
給食もよく見かける展示品に。ジャムパン&味噌汁(1951年)という取り合わせはなかなかビミョー(1975年の五目御飯&牛乳も)。
最近の食器はメラミンが主流と思いますが、かつての旧大野村(県北東部)では南部赤松製の皿&お椀に地元小久慈焼のお茶碗という豊かさ。
昔に戻すという選択があっても良さそう。

21世紀コーナー

この地域では必修カテゴリーの展示。
図説のように三陸海岸沿いには、けっこうミュージアムが並んでいます。
そしてあの被災による救出資料のほとんどが陸前高田市という事実。
被災によって完全に失われてしまった資料類が展示からは読み取れないので、そこは解説してほしいポイント。
近年は豪雨でも同様の被害が見られます。罹災後のミュージアムの対応情報&展示には注目しています。

救出されても、この状態からどのレベルまで復活可能なのでしょうか?
また他には撮影不可の展示品もいくつか。戦争被害展示でも同様ですが、被害者や遺族の方々の思いもあって、どう展示するべきかの判断は難しい。
そして本日の主役となる一族
北奥州に君臨した南部氏

南部氏は源義光(新羅三郎:1045-1127)を祖とする甲斐源氏の一族。
義光は後三年の役で兄義家(八幡太郎:1039-1106)を支援するため京都から東北へと駆けつけ、後には自身の勢力基盤を求めて関東へと忙しい人。

関東では常陸の国(茨城県)をベースに勢力拡大を図ったのが、義光の子義清とその子清光。ただし親子はあまりに暴れん坊過ぎたので地元民に訴えられ、甲斐の国へと追放されています。それが甲斐源氏のスタート。
そして南部氏初代となるのが光行(1165-1236)。清光の孫。
石橋山の戦いで戦功を挙げ、頼朝から甲斐国南部(山梨県巨摩郡南部町)を与えられます。その後の奥州討伐にも参加、陸奥国糠部郡も拝領します(諸説あり)。

また光行は牧(起源は牛や馬を放牧した朝廷の施設)の経営ノウハウを持ち、甲斐でも奥州でも良馬の育成を一族の強みに。
百馬之図は狩野尚信(探幽弟)の作品を、盛岡藩の絵師が模写。
御旧領名所図鑑は木崎の牧(青森県三沢市)の図。
奥州の南部領内には9つの牧があり、当時の馬の大敵は狼。


パネルは光行唯一の肖像画(原本はもりおか歴史文化館蔵)。
南部氏は甲斐源氏の流れを汲むため、旗には割菱紋が描かれています。
ちなみに光行さんのお墓は、甲斐でもなく三戸でもなく盛岡にあります。
場所は博物館から車で10分ほどの距離ですが、南部家の広大な墓域は坂を登り詰めたエリアに(要体力&熊への備え)

当初の南部氏は鎌倉と奥州を往復していたそうですが、徐々に奥州での活動にウェイトを移します。本家は三戸(青森県三戸町)を拠点に、一族を周辺に扶植しつつ(八戸や九戸氏)勢力を拡大。
最盛期には「三日月の丸くなるまで南部領」と評され、江戸時代の所領はザックリ現在の青森県東半分と岩手県の大半、そして秋田県の一部にと及ぶ広大な領域に。

展示された絵図からその広大さが分かります。
ちなみに岩手県の南側を支配したのは伊達氏。こちらの領地も岩手県から宮城県全域、さらに福島県の一部と広大。
この広域支配がそれぞれ独自の文化圏を形成。
南部氏の安土桃山期は、家中内での争いに悩まされますが(津軽氏やら九戸氏やら)、豊臣政権に組み込まれた事によって所領と権力構造が確定。
そして当時の当主信直(1546-1599)は、三戸から所領の中心部となった盛岡への移転築城を決断します。

実は南部氏関連の資料(本物)は、県立博物館よりも盛岡城跡にあるもりおか文化歴史館(市立)に多く所蔵されている印象です。
盛岡城の模型も文化歴史館の方が洗練されているような・・・
(御殿の表現方法やら櫓の考証 etc.)
さらに深堀りしようと思えば、必然的に文化歴史館に目が向きます。
このあたりが総合博物館の限界なのでしょう。

最後に江戸幕府から発給された御家のお墨付き。
そこには県立博物館ならではのスパイスも。

判物は5代将軍綱吉(1646-1709)の代替わりに発給された所領証明書(原本は仙台市博物館蔵)。
ところが宛先は仙台藩主伊達綱宗(1640-1711)の62万石。
ちなみに岩手県内では伊達領だった一関は、坂上田村麻呂の末裔田村氏の支配地(独眼竜政宗の正室は田村氏の血筋)。
判物には一関(田村右京)の件もサラっと。その視点が地元のオタク的。
南部氏の歴史は、盛岡築城から現在も継続中の約400年間。
現当主は46代目!になります(ちなみに伊達家現当主は34代目)。
盛岡藩について詳しいのはこちらの書籍。
現在は岩手県ですが旧伊達藩領出身者の著者による南部家の足跡。
家督の継承は大変です。
また「原敬《はら たかし》の復讐」から始まる序文が強烈。
意図的ではないのかもしれませんが、時々目にする複数のミュージアムによって展示の理解を深めようとするケース(連携企画的なモノも含め)。
岩手県立博物館の展示印象はそういう雰囲気。
学芸員さんの企画センスに鷹の眼がプラスされると、ミュージアム単体という「点」に留まらず地域という「面」による文化が楽しめます(ちょっと上から目線)。

