茶の湯と古美術と歴史、そして駄洒落【数寄者の現代:後編】畠山美術館2-2 東京都港区
生成AIの登場によって世界の膨大な知識は、瞬時に検索そして要約されるようになりました。とある専門家によれば「これからは生成AIを外部記憶のように使う時代」となんだか攻殻機動隊的な世界が。
膨大な知識を体系化してスマートにまとめられるのは理想的。ただ外部記憶を上手に機能させるために必要なのは、度々耳にするプロンプト。
それって自身にも相応に体系化された知識が必要なのでは?
そんな複雑な知識・理論体系を時に語るのは現代アーティスト。
作品制作の起点や背景などにも関心はありますが、シンプルに「美しい作品をただ創作するだけではダメなの?」という気もします。
今回はそんなアーティストの続編。その知識の海は恐ろしく広大。

荏原 畠山美術館
畠山記念館は、数寄者として知られる荏原製作所の創業者畠山一清(即翁:1881-1971)によって1964年に開館。
彼が蒐集した古美術品約1,300点を収蔵・展示しています。
即翁による厳選コレクションに含まれる国宝は6点、重要文化財は33点。
記念館は2024年(開館60周年)に新館を増築。新たに畠山美術館としてリニューアルオープンしています。
東京都港区白金台2-20-12
前編からの続きは、ほぼ茶道具関係です。
ちなみに全てはフォローできていません。あくまで自分目線でのチョイス。

2025年10月-12月
「数寄者」の現代:現代作品編
ここから並ぶのは諤々斎の号を持つ数寄者による茶碗たち。
またまたヘンテコリンな号ですが、その主は膝がガクガクという杉本博司。
松涛美術館でお見かけした時は、フツーにスタスタ歩いてましたけど。
脚に特徴がある展示台座も杉本デザインらしい。

神奈川の拠点で制作された焼き物、江之浦焼茶碗 銘 夜色(2020年)。

同じく江之浦焼茶碗 銘 名が先(2020年)

茶碗の見込みに残る目跡(重ね焼きの痕跡)は、前編の緑釉茶碗と同様。
何だか桜の花びらが残っているようにも。
質感が不思議な硝子茶碗、銘は「ムリ栗一号」(2014年)。

どう見ても長次郎の黒楽茶碗「ムキ栗」のパクリ。いや本歌取り。
特徴的な造形なので、目の肥えた楽茶碗好きは足が止まります(たぶん)。
またその駄洒落によって確信に。
硝子茶碗は村野藤六名義ですが、調べてみると杉本さんがムラーノ島のガラス職人に作らせたモノ(ムラーノ島はヴェネチアン・グラスの産地)。
年代からするとヴェネチア・ビエンナーレの聞鳥庵に合わせた制作か?
はじめは村野藤六って誰?と検索してみましたが、グーグル検索でやたらと引っ掛かるのはなぜか村野藤吾(建築家)。
どうやら、ムラーノ島→村野藤吾→藤六(杉本博司)
という展開で落ち着いたようです。ウーン・・・
気を取り直して。
一転して白い硝子茶碗。
ひずみ具合から織部?と想像しつつ、茶碗をグルっと1周。

その銘には、硝子茶碗 銘 「泉」(2014年)・・・
これはマルセル・デュシャンのパクリ。いやオマージュ。

これは飲んでも美味しくなさそうな雰囲気。茶筅は専用?
むしろ、飲むのかーい! 飲まんのかーい!的な茶碗。
これが現代アートなのか?
駄洒落も露骨すぎると、ウケるというより後味悪し。
続いて様々な茶道具の取り合わせ。
これまたどこから入手したの?系の作品が並びます。

茶碗用の箱(2021年)は、素材が妙喜庵の屋根という特殊なモノ。
その表面は独特な仕上げで、ご丁寧に妙喜庵の焼き印入り。

妙喜庵は京都・大山崎町にあり、千利休が手掛けた茶室待庵で知られる臨済宗の寺院です(拝観可能)。
ちなみに見学は予約制ですが、予約受付は往復ハガキのみというアナログなスタイルのお寺。
2018年の台風で被災していたように記憶していますが、その時に屋根を葺き替えたような・・・ まさかその古材でしょうか?
このように駄洒落一辺倒ではない所がクセモノ。
続いて聞鳥庵用の道具類(2014年)。
茶入れ、茶杓、蓋置き、湯桶、水指の一式(八木隆裕&中川周士)。

見たカンジの質感はどうもチープ。ただ作家さんはスゴイ方々のようです。
ちなみに聞鳥庵は硝子の茶室(展示会場では写真パネルで紹介)。
安土桃山期とは真逆の、誰が密談しているのかバレバレという箱モノ。

「数寄者の現代」:古美術ミックス編
そしてこの展示での最大の衝撃波は「茶人の消息」。しかも三連発!
まずは写真の手前から。
消息は細川幽斎(藤孝:1534-1610)。
茶の湯系なので、細川でも息子の忠興の方かと思いましたが。

幽斎は武人にして古今伝授を受けた文化人。その才能は信長や秀吉から一目置かれ、重用されています(この点は忠興も同様)。
また圧倒的不利な田辺籠城戦(関ヶ原の番外編)ではあれこれ策を巡らし、古今伝授が失われるのを案じた後陽成天皇の命によって守られた人。
ちなみに関ヶ原本戦では石田三成憎しと大活躍したのが忠興。
関ヶ原の戦いでは、細川家のストーリーは複雑に絡み合っています。

そして和歌に関する膨大な知識こそは、リアルな本歌取りの生命線。
幽斎の真骨頂です。
消息は大徳寺総見院(織田信長の菩提所)で開催されたイベントのお誘い。
「未明からスタートするので、夜中に来てね!」と(誰宛かは不明)。
参加者には常真の名前も見えます。常真は信長の次男信雄の事。
書状から読み取れるのは、舞台も面子も織田家の一色。

消息の手前には、古銅花入 銘 咲甫\太夫《だゆう》(2012年)。
竹を模して作られていますが、ベースは大正時代の銅製雨樋。
緑青(銅の錆)によって、一見竹のような味わい。
ただし、よーく見れば違和感が。

花は須田悦弘の朝顔(2024年)。
利休の屋敷に咲いていた朝顔が見事という評判を聞いて、屋敷に出かけたのは豊臣秀吉。ところが朝顔は全て摘み取られていて、屋敷には見当たらず。
茶室に案内されると床の間には一輪の朝顔。
それは利休の美意識とも。あるいは秀吉に対する嫌味とも。
そんなエピソードが連想され、利休の影がチラつく組み合わせ。
2つ目はたくらみが読めない組み合わせ。ただし道具のヒストリーは最強。

この消息のみ平安・鎌倉時代に遡る古いモノ。
西行(1118-1190)による筆とされています。
極め(証明書)は烏丸光広(1579-1638)。
書き下し分もありましたが、意味は理解できず。

西行は歌に優れた北面の武士(上皇さんの警護集団)です。
そして出家後に諸国を旅した人。
また光広は和歌や書に優れた公卿で、幽斎から古今伝授を受けています。
そして田辺籠城戦では、幽斎のもとに勅使として派遣された人。
問題の竹一重切花入が銘江之浦。作者は遂に登場の千利休。
花は椿蕾(須田作:2024年)。その前でしばしフリーズ。

まさか利休が韮山で切り出した花入か!と頭の中でグルグル。
そして偶然とは思えない出来過ぎなその銘。
ネットで調べた限りでは、そんなヒストリーではなさそう。
実は萬野美術館(現在は閉館)が所蔵していたというこの花入。
利休作ながら当時は無銘だった花入を入手して、江之浦と命名したのが杉本さん(杉本プロデュースの能公演@MOA美術館で使用)。
利休が江之浦と名付けていたなら・・・ さすがに誇大妄想でした。

ちなみに韮山の竹で利休が作ったとされる花入を参考に。
トーハク蔵の竹一重切花入園城寺はその1つ。
素人目に区別できるのは、節の間隔の違いぐらい。
3つ目の消息は近衛信伊(1565-1614)。
信伊は書や和歌に優れた五摂家筆頭の公卿で、寛永の三筆の1人。
秀吉の唐入りでは渡海を試み、後継に迎えたのは後陽成帝の皇子(信尋)。

幽斎とは立場が逆になりますが、バリバリの公家なのに武家のような行動派。そのせいで天皇の勘気を蒙り、薩摩に流されています。
三筆は「書が上手な人」の認識ですが、達筆すぎて分かりません。
書き下し分も意味不明。こういう処理も生成AIはまさかの可能?

幽斎と信伊の接点は、あるような気はするものの思い当たらず。
強引に結びつけるなら、近衛家現当主忠煇さん(1939- )は、肥後細川家からの養子で、肥後細川家前当主細川護熙さん(元総理大臣:1938- )とは兄弟(母が近衛家の娘で、ずーっと遡ると後陽成天皇に)。
消息の手前にある春日油注形花入(2019年)は、春日大社の油注(灯明に油をさす道具)を模した杉本作。花はサザンカ(須田作:2024年)。
茶室に完全に溶け込みそうですが、実はオール現代アート。

「茶人の消息」というタイトルでしたが、細川幽斎の和歌と同時代の人間関係を軸に構成されています(たぶん)。
加えて杉本自身の花入を利休作に紛れ込ませるという巧みさ。
なんだか駄洒落と本歌取りが見事に収束したかのように。
最後の展示室は「伊勢神宮への献茶」。ここだけ撮影不可。
千利休、少庵、宗旦と3代の竹茶杓に加え、杉本作の木製茶杓が10本ほど。
杉本茶杓はヒネリというよりお遊び的な茶杓でした。
ここで建築家・杉本視点の参考書「空間感」(マガジンハウス)を。
建築は「概して低予算で設計されたものほど質が高い」と喝破しています。
ちなみに杉本視点での高評価は光の教会(安藤忠雄:大阪府茨木市)や原美術館ARC(磯崎新:群馬県渋川市)。
そして予算たっぷりのイマイチ作品で挙げられたのは・・・
加えて、江之浦測候所の源流的なIZU PHOTO MUSEUMについても言及。

即翁さんはモダンアートとのコラボには満足したのでしょうか?
ゴリゴリの数寄者系は、カジュアルな美術ファンにはハードルが高そう。
一方ゴリゴリのモダンアート系は、旧来の畠山ファンには難解過ぎるかも。
杉本さんの興味はアチコチに飛んでついて行くのがハードですが、今回の展示で感じたのは茶の湯を通した古美術と現代美術の融合。違和感は皆無。

茶室はいつも通り閉められたまま。11月下旬でも紅葉はいまだ序の口。

小さな池かと思っていましたが、近づいてよーく見ると水盤。


以上、前・後編に分けての畠山美術館の記録。
2025年では、最も頭の中がグルグルした企画展でした。
揺るぎない即翁コレクション。そして古美術と現代美術のコラボにより広がる畠山美術館の可能性。脳内メモリーの限界は近い。

