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全てをおまかせされた建築家 紀尾井清堂【内藤廣4】 東京都千代田区

和菓子の老舗とらや赤坂店(前回記事)を設計された内藤廣さんは、多数の公共建築も手がけられています。中でも個性的な県立ミュージアムたちは、なぜか公共交通でのアクセスには便利とは言い難い場所にあるような印象(ここまで来たぞ感は残ります)。
そして今回の超個性的かつ用途がカテゴライズできない建物は、東京都心の一等地。とらやの目と鼻の先にあります。


この建物が赤坂近辺にあるのは知っていましたが、用途不明そして見学予約制だったコトでスルーしていました(そもそも常時見学可能ではない)。
赤坂見附の交差点から赤坂離宮までの通り道、上り坂の途中でこの個性的な建物を発見したのは2022年のコト。
ただ所用があったので行きはチラっと見るだけで通過。帰路にスタッフさんが入り口付近にいるのを見かけ、見学可能かと尋ねてみるとあっさりOK。
これも何かの縁でしょう。建物は倫理研究所のモノ。


倫理研究所

一般社団法人倫理研究所は、生涯学習を推進する社会教育団体。純粋倫理の研究ならびに実践普及、企業研修などを手掛けているようです。
創始者は丸山敏雄まるやま としお(1892-1951)、教師の道からひとのみち教団(PL教団の前身)へ入信、1947年には新世界を結成。1951年に倫理研究所へと発展。
彼の実践・体験を通して導かれた思想は17ヶ条に集約。第一条は日々好日(茶室の掛け軸で時々見ます)。
HPを見る限り、PL教とオーバーラップする宗教色を感じますが、宗教組織とは何か違う団体のようです。

本部は千代田区紀尾井町にあり、今回の目当ての建物はそのお向かい。

紀尾井清堂

ピンヘッド

東京都千代田区紀尾井町3

紀尾井清堂は何らかの目的をもって設計された建物ではありません。
あえて表現するなら多目的ホールとかギャラリーのよう。
「使い方は出来上がってから考えるので、思ったように造ってください」と建築家に依頼したのは、器のデカい理事長(施主で創始者の孫)。
2021年に完成した建物は地上5F、地下1F、外装はガラススクリーンで覆われています。
ファサードの見た目で頭に浮かんだのはイギリスのホラー映画、ヘルレイザーの悪役キャラ?・ピンヘッド。

エントランス
最近よく見る傘立て

館内で流れていた映像以外は撮影可能でした。

展示の主役は木の根っこ。1Fのピロティを主のように占拠、インパクト強。

あれはイサム・ノグチでしょうか。未確認

根っこは、この床・壁材や多角形柱と違和感なく収まっています。そして仕上げ材と柱は、同じ建築家の山陰のミュージアムとリンクします。

(参考)グラントワ(島根県益田市)


この時の展示は、「奇跡の一本松の根」展(2022年3月-2023年2月)。

奇跡の一本松の根 展 パンフ 2022年

2011年3月11日に東日本を襲った大地震によって、岩手県陸前高田市は震度6弱そして18mの大津波に見舞われます。市内1,700名以上の方々が犠牲者に。
そして市の海岸線には7万本の松並木がありましたが、ほぼ全滅。
ところが奇跡的に樹齢173年 高さ27.5m、幹の直径90cmの松が1本生き残りました。残念ながら2012年5月に枯死が確認。
希望と復興の象徴としてこの松は保存されます。
幹を5分割して中心部はくりぬかれて防腐処理、カーボンの心棒を通して枝や葉は型をとってレプリカを製作。分割された幹はスチールの継手で接続し、基礎にはコンクリートを打設。
掘り起こされた根は深さ約1.6m、直経13m。中心部の重量は約2t(プラス周辺部)。分割されて市内の倉庫で保管。

この展示は紀尾井清堂の完成間近に、保存された一本松の存在を知った建築家から提案され、それを快諾した財団理事長によって実現されています。
今回初めて繋ぎ合わされての展示だったそうです。1Fフロアと根っこのサイズはギリギリでピッタリ、ただし搬入のために大きなガラスを外す必要があったそうです。これも奇跡。


建築家:内藤廣

設計を依頼されたラッキー?な建築家は内藤廣ないとう ひろし(1950- )。
自由にやってくださいという丸投げに対して内藤さんは、無目的=現代のパンテオンと解釈したそうです。イメージの糸口としてか、理事長に現在の興味を尋ねると「縄文時代」と。
これを聞いて求められたのは「資本主義や常識に縛られない、魂を揺さぶるようなもの」と理解した建築家(なんだか難しい)。
実は内藤さんは過去に倫理研究所・富士高原研究所(2001年)の設計でも関係をお持ちの人でした。

再開発が目白押しの東京都心部の状況に、ちょっとモヤモヤをお持ちだった建築家。そのタイミングで容積率を目一杯使おうとしないクライアントに共鳴し、その考え方に魅力的かつ興味深い設計で応えています。
とらや赤坂店と紀尾井清堂は偶然にも同じ地域と時期。

定番の図面

建物は15m四方のキューブ(立方体)を4本の多角柱で3.6m持ち上げ支えています。柱はお洒落家具の脚のよう。
1Fの床・壁材は、石州瓦を焼き上げる窯で棚板として使用されたモノ。通常廃棄される消耗品を1年半キープ・ストックしてもらっての再利用。
モザイクのような部材は、歴史を重ねたかのような多彩で独特な表情を見せています。職人さんの苦労の結晶だそうです。

2Fへは外階段で。
ガラススクリーンは、2.6m角で厚みは3cm、アンカー固定。総重量約3t。

2-5Fは吹き抜け空間が広がり、階段の一部はコンクリート壁とガラススクリーンの間に露出。

床のピカピカ具合は内藤建築に共通。

特徴的なトップライトからの採光。前川國男の天井のようです。

(参考)熊本県立美術館(熊本県熊本市)
こちらは天井からの採光はなし


パンフ 2022年版

結界はあえてのサビ加工のようです。

足場のようにも

大規模改修中にも見える不思議な建物。やっぱりピンヘッド。


参考書籍(図録)を。
とらや編でも紹介しましたが、内藤建築の理解を助ける図面カタログ集。
日の目を見なかったプロジェクトも掲載されています。

2025年に渋谷で開催された内藤廣展でもソールドアウトになっていた1冊。

建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 図録
著者:内藤廣
発行:2023年 381ページ
西川正伸 株式会社 グラフィック社

掲載されている各プロジェクトには、ほぼ携わった職人さんたちの記録も。地域・場所が変わってもそんなチームが出来上がるのは、内藤さんの人脈・人徳でしょうか。

実は内藤さんは、東日本大地震の復興関係の委員会に複数関わっていたそうです。結果、鎮魂施設を提案する側(設計)にもなっています(高田松原の国営追悼・祈念施設:2019年)。

紀尾井清堂の展示会場には、その施設のパンフも置いてありました。

高田松原 パンフ 2022年版

大震災から1年半後ぐらいのころに当時の状況を知るため、個人的に福島県相馬から岩手県大船渡までの海岸線沿いを見て回りました。
フツーに戻っているように見えた仙台市中心部。対照的に津波で被災した沿岸部の印象は、どこも復興工事で往来するダンプカーとホコリっぽさ(陸前高田や大船渡は更地のように)。
歴史には負の記憶もあります。当事者の方々は忘れるコトはないかもしれませんが、直接関係しなかった人たちの記憶は年月とともに薄れがち。
大震災から約10年のタイミングで、その記憶を思い出す機会になりました。たまたまですけど、そういう役割を果たしてくれた建築。


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