首都圏の田畑に囲まれた邸宅&ミュージアム 遠山記念館【お宅訪問11】 埼玉県比企郡川島町
創業者(とその一族)のコレクションをベースにした実業家系ミュージアムは、その創業の地や彼ら(企業)の歴史と深く関わる場所に立地しています(ゆかりの建物を流用するケースも)。
明治から昭和初期にかけては、社会の構造変革によって行き詰った旧来の支配階級は所蔵していた美術品や道具類を放出します。
その受け皿となったのは、成功して財を築いていた実業家たち。
そして茶の湯は彼らの交流の場に。
今回のミュージアムは、ぱっと見そういった文脈上にあるように思えましたが、実はちょっと様子が違いました。
もちろん他館には引けを取らないミュージアムです。
埼玉県比企郡川島町は、さいたま市の北西にある人口18,000人の小さな町。比企郡といえば山地のイメージでしたが、川島町は吉見町とともに飛び地のように平野部にあります。
町は荒川、入間川をはじめ四方を川に囲まれた輪中を形成。
そして町の中央部を圏央道が東西に横断し、最寄りの川島IC付近には物流施設が集積されつつあります。

遠山記念館


邸宅とミュージアムを建てたのは遠山元一(1890-1972)。
ただし遠山記念館の周辺に広がるのは広大な田畑というロケーションで、交通の便はビミョー。
元一は豪農の家に生まれますが、子供のころに家は没落。丁稚奉公から身を起こして日興證券(現SMBC日興証券)を創業した人です。
ちなみに孫にはスープストックトーキョーを創業した人、遠山正道(株式会社スマイルズ代表:1962- )。
元一が蒐集した佐竹本三十六歌仙(頼基像:重要文化財)をはじめとする美術工芸品のコレクション(重要文化財6点を含む11,000点)は、遠山記念館(邸宅の横に1970年に完成)で収蔵・展示されています。
ミュージアムは建築家今井兼次最後の設計作品。
埼玉県比企郡川島町白井沼675



ブロンズ扉のシンボルは、遠山家の家紋を中心とした太陽をデザイン。
そして十字に見立てた槲の葉を。




2室に分かれた展示室はコンパクト。西洋画は収集対象ではなかったようですが、アジアや中南米ゆかりの品々もいろいろと。
元一がクリスチャンだったという事で、館のあちこちのディテールに。


2022年4月-5月 @遠山記念館
所蔵品:2022年&2024年

この年は大河ドラマに連携してなのか、平安から鎌倉期にかけての書画がいろいろと。この立地で平日にもかかわらず、お客さんがポツポツと。
(写真の一部はトーハク所蔵品から参考として)
源頼朝(1147-1199)の書状は、1187年と年代がハッキリしている貴重な自筆モノ。

藤原俊成(しゅんぜい、御子左家:1114-1204)は歌道の家の人(のちに冷泉家へと継承)。

千載和歌集の撰者であり、本歌取の本家。
また国司として三河蒲郡の地を開発した人(銅像が立つレベルの活躍)。


了佐切の名前の由来は、古筆了佐(1572-1662)が鑑定した事から。
明月記は藤原定家(ていか・俊成の子:1162-1241)が残した60年にわたる日記。自筆本80巻近くが現存(そのほとんどが冷泉家時雨亭文庫所蔵の国宝)、断簡は多数。

定家は小倉百人一首や新古今和歌集の撰者であり、鎌倉3代将軍実朝(頼朝の子:1192-1219)の和歌の先生。
その筆跡は定家様と呼ばれる独特な書体。
小堀遠州や松平不味による茶道具への箱書にも見られます。
建築図面で使われる直線主体の四角い文字に似ているような。

こちらは定家72歳の日記。断簡ではない巻物状態で、松平不味の旧蔵品。
以下は2024年のコレクション展示パート2での品々。
一部は2025年(巳年)を先取りしての展示(12月20日閉幕)。

江月宗玩の書「年々好 日々好」は、中国の禅僧圜悟克勤の語録にある詩句。

「過去や未来にとらわれず今を精一杯生きなさい」という禅宗らしい教え。ワイルドな書跡ですが、ウマいのかヘタなのか全く分からないのが悲しい。
宗玩は津田宗及(堺の豪商で織田信長の茶頭の1人)の子で、大徳寺156世住持を務め龍光院を継承した禅僧。
龍光院は国宝茶室密庵を擁し、曜変天目を所蔵する拝観謝絶の塔頭。
小堀遠州や松花堂昭乗らと交流し、弧篷庵(井戸茶碗・喜左衛門を所蔵)を開山しています。

「惑乱多少人来」も同じテイストの書跡。ウーン分からん。
清水比庵(1883-1975)は岡山県高梁出身で、富士山を好んだ人。

デフォルメされたデザインが印象的な88歳の作品。

ともにカワイイ系の蛇の紋様を組み合わせた4世紀ごろのナスカの帯。Z(ゼット)展示の意味は不明。

元一は十二支の置物を収集していたそうです。

こちらの蛇はリアルな銀製の彫金。2代目豊川光長(1850-1923)の作品。

ミュージアムショップというよりは、ちょっとした売店スペース。
遠山邸
1936年に元一は、母(美以)のために故郷の川島町に豪邸を建設します(現重要文化財)。加賀前田家の成巽閣(石川県金沢市)のようなストーリーですが、内装の素晴らしさは引けを取りません(しかも個人の財力で)。

敷地面積約9,200㎡に長屋門、東棟(茅葺豪農風:約260㎡)、中棟(2階建・大広間は書院造:約180㎡)、西棟(数寄屋造:約240㎡)、茶室等で構成された邸宅です。
設計は室岡惣七、大工棟梁は中村清次郎が務め、全国各地から集められた銘木が使用されています。完成までに費やした年月は2年7ヶ月。
見た目は豪農か大庄屋的な住宅ですが、実業家が故郷に錦を飾る的なストーリーの具現化です(のちには日興証券の迎賓館の役割も)。



玄関脇の8畳間。いきなり茅葺とは思えない格調の高さ。

内玄関でもこの凝りよう。床は土間ではなく由緒あるお寺のような仕上げ。


サロンパス的な斜めの畳(菱畳)が妙に気になります。
内玄関から上がると天井も凝った作りの18畳の囲炉裏部屋。


この邸宅では畳廊下がデフォルト、そして船底天井。

この邸宅で興味深いのは、増築ではなく建築当初から3つの棟を渡り廊下でつなぐという設定。東棟を見学している段階で部屋の位置関係と現在地が徐々に怪しくなってきます。
パンフで確認しながら奥へと進みます(写真では豪華すぎる廊下と部屋との区別がつかなくなってきます)。
ちなみにHPでは邸内のバーチャルツアーが可能。


建物北側に日常生活空間が集められています。


奇をてらわないシンプルな造作を吟味された材料で。
主要な部屋には使用された木材リスト(引戸棚の上)が。

中棟は公的な空間を兼ねています。2階エリアは期間限定の公開で未見。
ちなみに元一は当時の成功した実業家としては珍しく、茶の湯は嗜まなかったそうです(ではこれらの美意識はどこから?)。
そして由緒ある建物を移築するという数寄者あるあるな手法を使わず、すべてを新築したのが遠山スタイル。
そうして出来上がった邸宅には、施主の好みを強烈に反映させたやっちまったなー系のディテールは見当たりません。日本の伝統美の集合体です。


このパートでは廊下が畳と床のハーフ&ハーフ仕様になっていて、天井は掛込天井(西棟への入口付近)。


西棟は凝った部屋が庭園に対して雁行形に並びます。




この部屋には室内縁側的な空間も。
中棟とは違って柱のバリエーションが豊富です。

最も端っこの部屋。


西棟にも専用玄関が。やはりゴージャス。





東棟に戻って囲炉裏部屋の北側では、元一の御母堂の歴史がわずかに展示。


吟味した材料をスッキリとしたデザインで。
そして手入れの行き届いた日本建築を堪能したあとはお庭へというコース。


庭から見上げるとそのボリューム感はさすがの茅葺。


庭の巨石は建物の繊細なデザインとは異なり豪快でワイルド。
植栽も相応に管理されているとは思いますが、野趣あふれる雰囲気。
邸宅は真っ平らな平野部に位置するので借景は望めませんが、田んぼの広がる風景も悪くありません(邸内からは見えないけど)。



2階も見るべきでしょうね。いずれそのうち。


西棟側。室内縁側があった部屋は一段かさ上げされています。

そして一番端っこの部屋。


晩年の元一は遠山邸の文化財的価値を考えて、彼の美術コレクションと併せて財団化しています。
個人もしくは企業の所有では、後世に維持できなくなったり散逸してしまう可能性を認識されていたのでしょう。
圏央道が開通してこのあたりの風景も変化してきているでしょう。
ただ入り組んだ道(それほど広くない)や広がる田畑の風景は、濃厚に残っています(市町村合併せずに町のままというのも影響してるのかも)。
遠山邸の重要文化財指定は2018年。しかも今すぐにでも富裕層向けの宿泊施設として使えそうなクオリティで維持されているのには驚かされます。
トーハク所蔵クラスの美術品(ザックリ1000年の歴史)と100年の歴史を余裕でクリアしそうな武蔵の国の贅沢な邸宅。










