華麗なる転身は江戸琳派から【足立区立郷土博物館:佐藤武夫設計事務所】 東京都足立区
公立・私立に限らず最近よく目にするのがミュージアムのリニューアル。
老朽化による改修もあれば、新たな入館者を獲得するべく展示スタイルを一新したりとその内容はさまざま。
20世紀で時が止まったかのような展示は論外ですが、化粧直し程度のガッカリパターンもゼロではありません。
今回は「郷土資料館から美術博物館へ」と壮大な野望宣言(2025年4月)を行ったリニューアル案件の記録。
東京都北東部に位置する足立区の人口は703,000人。政令指定都市と比較してみると、静岡市、岡山市、熊本市といった県庁所在地と同規模。
ちなみに江戸時代には四宿の1つ千住宿が設置された交通の要衝です(ほかに品川、板橋、内藤新宿)。中でも四宿では最大の人口を誇ったのが千住。

足立区立郷土博物館

足立区立郷土博物館は1986年の開館。
設計は佐藤武夫設計事務所。ミュージアム系というより自治体庁舎や市民会館を多く手掛け、都内では葛飾区や中央区の庁舎も。
足立区の歴史を展示するスタンダードなミュージアムが美術博物館への転身宣言をしたのは、区制80周年を機にスタートした区内の文化遺産調査から。
その成果は専門家曰く「美と知性の宝庫 足立」!
ちょっと盛り過ぎてないか?
ちなみにリニューアルは郷土資料館機能はそのままに、美術品展示機能を追加するためのようです。
東京都足立区大谷田5-20-1

ミュージアムの裏手には東渕江庭園。一般利用可能な茶室も完備し、都心の区立施設と比べると自然豊かな環境です。



リニューアルオープン時の企画展は「琳派」が主役。

その前にまず常設展示を。館内は基本的に撮影OKです。

宿場町関連や家康の関東入部から続く人口増に対応した新田開発がメイン。
江戸初期には移住者を積極的に新田開発に誘導しています。
プロジェクトマネージャーは名代官伊奈忠治(1592-1653)。

江戸(のち東京)の旺盛な食料需要を支え、田んぼだけでなく畑も多数。

旧家に残る具足も展示しつつ

吹き抜けエリアには山車も展示可能。

高い部分も同じ目線で見学OK。

近代エリアにはお化け煙突(83.82m:1926年)の記憶。

当時は下町のランドマークだったそうです。今ならスカイツリーか。
こち亀では両さん子供時代のエピソードに登場。
続いて戦時中の子供の記憶。西新井の子供たちは長野へ疎開したそうです。

疎開中のご飯は大豆でカサ増し。味噌汁はほとんど具なし。
先生の日誌(8月15日)には「正午重大放送聴取」。これも歴史の一部。
一気に空気が変わります。
「スイーツランド」は地元で使われている名称なのでしょうか?

過去に特別展が開催されたようですが、その常設化なのかは不明。
戦後になると足立区内に菓子メーカーが増えたそうです。
見た事のないポテチも現役バリバリの足立区生まれ。

それではミュージアム転身編へ。
その口火を切ったのが、2022年の特別展。

この時点で区制90周年記念、調査には10年もの年月が費やされています。
またリニューアルはそこから3年後になるので、その準備はかなり入念。

2022年10月-12月 @足立区立郷土博物館
当時の区立ミュージアムでは、インパクトある展示でした。
千住宿はかなり大きな宿場町。そんな町を差配していた名主は、資質として教養や経済力も豊かでなければ務まりません。そういった旧家に秘蔵されていた美術品たちに、スポットライトが当たり始めたのが2012年。
また調査と同じ頃から、博物館では資料のデジタルデータ化とwebページでの公開も推進されています。館報には資料の調書作成がその第一歩と。
その後の博物館でも琳派をテーマにした特別展が開催され、満を持してか2025年4月にリニューアルオープン。

ケースには博物館コレクションと多くの寄託品(個人蔵)が並びます。
ここからは過去展示もふくめ、足立の琳派関連の展示品を。
足立ならではの展示品は、当時のクリエイターたちによる酒合戦の品々。

酒合戦は千住の飛脚問屋、中谷六右衛門の還暦祝いとして1815年に開催。
いわゆる飲み比べのイベント in 千住。
大盃はイベントで使用された実物。下絵は酒井抱一、蒔絵は原羊遊斎、共箱の表書は大田南畝、裏書は谷文晁という豪華な面々。
注目すべきは参加者として名を連ねたクリエイターたち。
見物人として招かれたのは
谷文晁(1763-1841)
亀田鵬斎(1752-1826)
酒井抱一(1761-1829)
の下谷三幅対の3名。
ちなみに下谷と千住を結んだのは、建部巣兆(1761-1814)。
千住連と呼ばれた俳諧グループのリーダー格。
後日に酒合戦の様子を記録したのが高陽闘飲図巻(複製:1817年頃)。
図巻制作は上記の3名に加え、
大田南畝(1749-1823)
谷文一(1世:文晁の娘婿:1786-1818)
狩野彰信(1765-1826)
らが参加し、そのお披露目の場は第2回の酒合戦。
第2回では書画等の展示も加わり、イベントは拡大化。

図巻拡大部分は、谷親子により描かれています。
合戦の様子を楽しむ面々の中で、赤ワク内の一番右で盃を持つのが谷文晁、その左が亀田鵬斎、そして坊主頭が酒井抱一。
続いて三幅対の作品。
谷文晁が弟子の舩津文渕のため描いたのが波濤雲龍図(1837年)。

文晁は狩野派に学び、南宋画、西洋画も研究し自身に取り込んだ人。
当時のクリエイターたちに立ちはだかった松平定信に仕官。
そして文渕は足立の豪農兼絵師。
亀田鵬斎の作品はトーハクから。

蘭亭序屏風(1824年)は、書聖王義之による詩集の序文。
文字がうねうねして読めません!
光琳百図は、酒井抱一による尾形光琳の画集。

抱一による光琳顕彰ハイライトが、1815年のイベント開催。
谷文晁や酒井家、町名主、商人文人画家から、光琳作品百幅!を招集。
光琳百図、光琳百図後編はその出品記録。

展示品の光琳百図は抱一から文晁へと渡り、船津文渕に渡ったと考えられています。それは抱一から親しい人へ配られた貴重な初版本。
百図は2冊構成のようですが、展示で見る事ができるのはごく一部。
木蓮に菜の花図扇は鈴木其一(1795-1858)作。

其一は抱一の弟子。千住のクリエイターたちとも積極的に交流し共作も。
屠龍之技(1815年)は酒井抱一が出版した句集。
展示品はその写本。

展示された写本は舩津文渕が筆写(1833年)したものですが、巻頭には其一が墨梅図を追加コラボ。
師匠同士の付き合いが弟子にも影響し伝播・拡大していきます。
秋草図屏風は鈴木其一の弟子村越其栄(1808-1867)の作。

其栄は下谷から千住に拠点を移した足立琳派のパイオニア。
次世代村越向栄(其栄の子:1840-1914)による八橋図屏風。

琳派の鉄板ネタ。ここまでくると私淑ではなく、リアルに派閥形成か。
その発火点となった人物をもう少し掘り下げます。
酒井抱一という人
酒井抱一(忠因:1761-1829)は酒井雅楽頭家のプリンスで、当時の吉原やクリエイティブシーンでブイブイ言わせた人。
父は姫路藩主の世嗣忠仰(1735-1767)。
兄忠以(宗雅:1756-1790)は姫路15万石の2代目藩主を継承。また茶の湯や書画にも優れた文化系の人。
その趣味では抱一とウマが合い、抱一の芸術活動をサポートしています。
抱一の絵画は狩野中橋家の狩野高信(1740-1794)や木挽町家の狩野惟信(養川院:1753-1808)から学んだとされ、土佐派、円山四条派、中国画に浮世絵美人画と幅広く横断。俳諧や狂歌も兄同様に情熱を注いでいます。
若い頃の抱一は兄の仮養子になった事もありましたが、よき理解者だった兄が亡くなると甥の忠道が家督を継ぎます。世代交代が進むと徐々に家中に居場所がなくなり、30代後半の1797年に築地本願寺で出家。
ただし酒井家からは財政サポートと用人(目付役?)も付属されています(用人の鈴木蠣譚は抱一の画業もヘルプ)。
画業での抱一は30代の頃から尾形光琳に私淑・傾倒。
後に江戸琳派として自身のスタイルを確立する事に。
ホーイツの作品はトーハクから
抱一作品を多数所蔵するのがトーハク(東京都台東区)。
かつての抱一旧居があった下谷からは、歩いて行ける距離。
トーハク所蔵の抱一作品の白眉は夏秋草図屏風(重要文化財)。
屏風は一橋治済(11代将軍家斉の父)のオーダーにより、風神雷神図屏風(光琳作)の裏面に描かれました。光琳へのオマージュとも。
ちなみに雅楽頭家を継承した兄の孫忠学正室は、家斉の娘。
抱一の才能と将軍家との血縁から成立した作品でしょう。
残念ながら夏秋草図の手持ち写真はありません。
またここ数年のコレクション展示でも見かけません。そろそろよろしく!
ちょうど1年前に展示されていたのは流水四季草花図屏風。

四季の草花が色鮮やかに描かれ、流水は群青で表現。華やかです。
トーハクではさりげなく展示されるのが扇面。素通りする人多し。

やや寂びた感じは夏秋草図を連想させます。
こちらは60面で1セットを構成する扇面雑画。
一括展示されないので、全てを見るのに時間を要する作品。

その中から3点をチョイス。

落款印もいろいろあって面白い。
この3点を見るのに足掛け3年。

四季花鳥図巻(1818年)は上下巻で構成され、共に7mもの大作。
上巻は春夏、下巻は秋冬の草花、そして鳥類に昆虫が描かれています。

抱一による博物図譜的な印象の作品。
宗達や光琳には見られない鳥や虫を取り入れたのが、抱一のセンスだそう。

トーハクらしさは書状にも

書状は抱一から文晁あて。スラスラと書かれ、ほぼ読めません。
冒頭の「写山先生」が文晁の事で、その下部にかろうじて「抱一」と。
「句会に来てね!」という文面らしい。
抱一のお墓は、出家した築地本願寺(東京都中央区)にあります。
ただ墓石は21世紀になって現在の場所に移動されたようです。

抱一の右側には、吉原から身請けした遊女・小鶯(妙華)。
作画活動を助け、作品の中には漢詩の賛を添えたモノも。
ここで江戸琳派を学ぶのに最適な3冊を。
抱一のベスト版的な図録は「酒井抱一と江戸琳派の全貌」
求龍堂発行で2011年に姫路市立美術館、千葉市美術館、細見美術館を巡回した特別展で発行された1冊。
超重量級で505ページの大ボリューム(ハードカバー)。掲載作品には個人蔵が多く見られるので、今後これだけの作品が集合するのはなかなか大変。
続いては別冊太陽の「酒井抱一」
発行が上記図録と同時期で、章立ても似ています。
図録ほどヘヴィーではありませんが、抱一とその周辺を読みやすくまとめた1冊。古本での入手になりますが、プライス設定もリーズナブル。
最後は足立区立郷土博物館発行の「琳派の花園あだち」展の図録。
ちなみにこの図録は現在絶版状態で、かなりのレアアイテム。
古本屋で根気よく探すしかない1冊。

発行:足立区立郷土博物館
2022年 109ページ
宣言後の入館者数や反応が、どのように変遷しているのか気になります。
そして2026年2月-4月の企画展では、有名絵師がらみの模写作品が集合。
地元の絵師・舩津文渕やその師・谷文晁の模写も多く並んでいるようです。
琳派という鉱脈にブチ当たった幸運はありますが、埋もれた地域の魅力を文字通り掘り起こした区立ミュージアムの成功例と思われます。
そしてその結果を掴むには多方面にアンテナを張っておく事が大切。
それはかつての絵師たちが貪欲に新しい手法を求め、各方面にコネを拡げていた姿となにやらダブります。

