恐るべし!引き出し多めのガイドに案内される邸宅【旧前田家本邸和館】東京都目黒区
観光名所やミュージアムで見かける観光ガイド。人間でなくても特別展では有料の音声ガイド、また最近ではアプリを駆使したりと進化が見られます。
ただ個人的には音声ガイドは使わない派。展示室内の情報量は膨大なうえに、原稿を読むだけのナレーションであれば、むしろ紙で欲しいぐらい。
ボタンを押したらガイド音声が流れるタイプ(昭和な施設で時々お目にかかる)などは、最後まで聞くケースはほぼない。
一方のリアルなガイド。こちらはその時の予定次第で選択します。
地元の人や専門家の方々は独自のネタを隠し持っているので、時間に余裕があればほぼ聞く派。
東京都内の公営施設では、ほぼ配備されているガイドスタッフ。
外国語対応OKやボランティアによる対応もあり充実しています。
今回はガイドスタッフの存在によって収穫の増えた大豪邸の記録。
以前にも旧前田侯爵邸は記録していますが、フォーカスしたのは和館。
駒場公園になった侯爵邸
東京大学駒場キャンパスに囲まれる駒場公園(東京都目黒区)。
かつては現在の本郷キャンパスに大邸宅を構えていた加賀前田家ですが、関東大震災を機に駒場と本郷の土地を交換し、目黒に本拠を移します。

そして新たに築かれた前田家の大邸宅が、現在の駒場公園に。
洋館や和館に入口の門等々、現存する見どころが満載の緑豊かな公園です。
まず今も門の右奥にひっそりと鎮座するのが前田育徳会(尊経閣文庫)。
前田家の所蔵していた大名道具類を保存・公開をしている公益財団法人。

前田育徳会は1926年当時の当主前田利為(1885-1942)による設立。
尊経閣文庫の分館が設けられている石川県立美術館(金沢市)では、その豪華なコレクションが一般公開中。
ちなみに門に守衛所、育徳会の建物も重要文化財。

公園内にはちょっとしたセンスが加えられたトイレ。
かつては前田家の車庫があった場所のようです。

パンフによると、前田家はフォードやキャデラックを4台所有。
当時の所有車の写真がデザインされています。
写真を見る限りでは、建物自体を利用しているようにも。

そもそも旧前田侯爵邸が取り上げられる記事の主役は、ほぼ洋館。

確かに重厚なお屋敷は、日本家屋より写真映えします。
いかにも豪邸な高い天井にバリエーション豊富な壁紙。

そして贅を尽くした格調高く色鮮やかな調度類。

画像で見る分には、洋館のインパクトは強烈。
一方、天下の書府と呼ばれ、各種日本工芸が花開いていた加賀の国。
日本最大の藩は、文化面でも他藩の後塵を拝した事はありません。
当然その蓄積された知識・経験・哲学の終着点が和館(たぶん)。

和館:ガイドなしの自由見学編
前田利為による本邸和館は、1929年から5年の歳月をかけ完成しています。
海外生活経験も豊富だった利為は、外国からのVIPもてなしには日本家屋こそが重要と考え、自身の邸宅構想に追加しています。

利為没後には残念ながら和館は前田家の手を離れ、新たに主となったのが中島飛行機製作所(現在のスバルの源流)。
太平洋戦争後にはGHQに接収されて、幹部の邸宅として使用。
接収解除後には東京都の管理を経て、現在は目黒区へと移管されています。
東京都目黒区駒場4-3-55

洋館パンフは22ページの豪華版。
対して和館は簡素なA4サイズの三つ折りタイプ。

玄関口から和館を眺めると、右側の中2階的な屋根にやや違和感を覚えます。そして邸内をぐるっと廻ってみれば、その違和感も解消できます。

重要文化財ですが、入場無料なのでご自由に!という太っ腹スタイル。

廊下もすべて畳敷きの和館。奥の突き当たりに位置するのが御次之間。
ここに2人ほどガイドさんがスタンバイ。

ガイドしましょうか?と声を掛けられましたが、時間を考えてスルー。
これが思わぬ展開につながります。
御次之間の隣が、和館のメインとなる御客間。
実は少しオリジナル度を回復する仕様に変更されています。

照明がシャンデリアから、部屋の四隅タイプに(古写真と同じデザイン)。

スッキリした空間は今も変わりなく。
厳選されていると思われる邸宅の使用部材。

付書院の火灯窓には、ピカピカのケヤキ一枚板。

お庭は手入れが行き届いたというより、ややワイルドな森。

池泉庭園には微妙な高低差を利用した小さな滝のような演出も。
また本郷の旧邸宅から石灯籠がいくつか移設され、見所の1つに。
この日けっこううるさかったのは、カラスの鳴き声。

畳が敷き詰められた入側。
奥にもスペースがありますが、見学はここまで。


反対側にも、お断りエリアの表記。

精緻な仕事が施された欄間と洋館のような壁紙。

フリーでの和館見学は、お庭が見渡せる御客間&御次之間のみに限定。
つまり意外とすぐに見学終了。
しばし2階へと続く階段の写真を撮影していると、
「見学します?」と先程のガイドさん。

??? 実はガイドさんと一緒であれば、見学可能エリアは拡大します。
(パンフにはガイドツアー時のみ見学OKとの表記)。
見学可能であれば、断る理由はありません。
実は建物の構造的な理由もあっての対応のようです。
2階:ガイドつき編

2階の廊下にも畳敷きが徹底されています。

最初の部屋は御書斎。
モノがないと、部屋なのか通路なのか判断がつきにくい不思議な空間。

その奥には御居間。2階は2室から構成されています。
垂直と水平な直線で構成された空間が広がります。
天井はパズルのような変わったデザイン。一応、格天井。

ガイドさんの解説によると、このシンプルなデザインを希望したのは利為。
「1階の御客間では気がつきました?」と聞かれました。
折上格天井ではなかったので「最高級仕上ではなかったような」と返すと
「そうなんです!」との反応。
格式うんぬんよりも視覚的なシンプルさがお好みだったようです。
違い棚の金砂子紙は、この部屋にのみ残る貴重なオリジナルだそうです。

パンフによると、和館は京都の銀閣に似ていますとアピール。

そして「2階部分は1階の上に乗せているだけなんです」とガイドさん。
「通し柱がないのですか?」と尋ねると、
「そうなんです」と。
同じような構造の建物として挙げられたのが、京都の西本願寺飛雲閣。

桃山期の国宝建築と同列にするあたり、なかなかのセンス。
また前田利家との関係も匂わせる聚楽第の遺構からチョイス(諸説あり)。
一度に多人数が2階へ上がれないのは、そんな構造も理由の1つだそうです。
ちなみに1階部分には、耐震補強のための柱が巧妙に追加されています。

2階部分はVIPの宿泊スペースとして設定。
窓からは池でゆったり泳ぐ錦鯉も眺められます。

床の間の反対側には特徴的な円窓。

かつて円窓の向こう側には、12代加賀藩主斉泰が建てたといわれる煎茶席がありました(こちらも本郷邸からの移築)。
旧大名家での煎茶施設は珍しいかも(今ここにはありませんが)。
ちなみに斉泰は11代将軍徳川家斉の娘を正室に迎え、その輿入れ時に本郷の加賀藩屋敷に赤門(現在は東京大学の名所の1つ)を作った人。
そしてその煎茶席はというと、1949年に成巽閣へと移築されています。

兼六園に隣接する成巽閣は、前田家の建築技術&工芸技術の粋を集めた建物(重要文化財)。1863年に母の隠居所として建てたのが斉泰。
三華亭は通常非公開だそうですが、玄関車寄せの右側に。
昭和期の後付けですが、デザイン的に違和感なく一体化しています。
東京で知る金沢の歴史と遺構。あまりにもディープな前田家。

そんな加賀前田家のローカルな参考書として最適なのはこちら。
その名も北國文華(北國新聞社)
加賀の地元紙・北國新聞社が発行する季刊誌は、全国系書店ではおそらく目にすることのない希少な1冊。
地元の専門家やライターによる記事や小説を掲載。
定価はいいお値段ですが、地元の工芸や歴史記事は全国誌では拾えないオタク度高めな内容。
前田邸に戻ります。
御居間の隣には洗面所が完備。ただしなぜか位置がかなり低目。

中2階:ガイドつき編
そして中2階的なスペース(踊り場)に集められたのが水回り。

トイレとバスルームが並んだこの空間こそが、外から見た時の違和感。
建築途中にVIP用にと追加されたそうです。

洋式トイレと洗面台は当時の東洋陶器製(現TOTO)。

予想を超えるツアーは、1階に下りてからも続きます。
御客間の横にあった開かずの扉(と思われた)の向こう側にも。

杉戸の向こうには、茶室と洋館への渡廊下があります。
茶室:ガイドつき編

多くの杉戸絵を手掛けているのは橋本雅邦(1835-1908)。
雅邦は幕末期に狩野派を学び、近代日本画の発展に貢献した川越の人。
襖絵や戸袋の制作も担当し、それらは石川県立美術館に寄託されています。
劣化した梅鉢紋(前田家の紋)の引手金具は、新たに更新されているモノもちらほら。

洋館への渡廊下は舟底天井。残念ながら洋館側には近づけず。

そして渡廊下から見えるのが茶室。

茶室は前田家御用達の裏千家ゆかりのもの。
千宗旦(1578-1658)が京都に作った又隠(四畳半)の写しをチョイス。

加賀藩2代藩主利常(1594-1658)は隠居後に、裏千家4代仙叟宗室を加賀へと招いています。以降前田家と裏千家の関係が築かれます。
その流れから、金沢の楽焼大樋焼も生まれています。

躙口に加え、オリジナルにはない貴人口(VIP用)も完備。
天井も凝った作りです。
実は茶室は有料で利用可能な貸出施設の1つ。まさにインバウンド向き。
金沢の某茶席では、貸し切り利用が多いのはフランスの人と聞きました。
ただお茶を飲むだけでなく、歴史や建物の説明に加え、所作の意味まで熱心に学ぶ姿勢が印象的と。

天井には網代織に化粧屋根裏。


廊下をぐるっと廻って御客間に戻ってきます。

和館が現役時代の節句行事には、前田家のチビッ子たちが渡廊下を通って御客間脇の杉戸から来襲し、障子や襖を破ったとか破らなかったとか。
さらにツアーは中廊下を挟んだ御次之間の裏側へ。
小座敷:ガイドつき編

この小座敷も有料で貸し出されているスペース。ただし飲食は不可。
この床の間付きのスペースではたして何を?

こちらの杉戸には、狩野派というより琳派的で色も鮮やかな燕子花。
ただ経年変化具合がまったく異なる引手金具には違和感が。

洋館より和館が似合うのはやはり伝統芸能でしょう。加賀宝生なども舞われたのでしょうか?
ちなみにこの人形は洋館で展示されていたモノ。

和館邸内はこれにて終了。
予想以上だったガイドさん。その引き出しによって長居してしまった和館。

と思ったら玄関でも最後のネタが1つ。
門と玄関が斜めに配置されているのは、風水的な意味合いだそうです。
邸内に悪い気がまっすぐ入ってこないようにと。

念を入れて玄関の正面にあたる塀部分には、大きな石を配置して完全にシャットアウト。


正直なんでこんなデカイ石が入口にあるのかなと思っていました。

小さなミュージアムでも、情報量豊富なガイドに関心させられることは珍しくありません。そしてガイドに求められるのは、情報を多く伝えることよりも聞く側の反応をどれだけ拾えるかに尽きると考えます。
自身の説明したい事をあまり前面に押し出さず、こちらの質問にも答えながら、互いの話が展開していく。そのあたりの塩梅を上手にコントロールできるガイドさんは非常にありがたくて面白い。
ただ大幅に滞在時間がオーバーする問題だけは解消できませんが。
ちなみに前田家洋館の記録はこちら
九州に現存する江戸期からの武家領主屋敷はこちら。
集落全体が城下町の雰囲気を残しています。

