ハイブランドの時計師と香道がコラボしたのは将軍家の菩提寺【増上寺:浄土宗】 東京都港区
商品の価格帯によらず大切な企業イメージがブランド。
高品質や高級感等、価格に対してのパフォーマンスの高さはブランド力を高め、突出したブランドイメージを構築できれば、その商品価値は青天井。
そして価値を構成する要素に不可欠ながら、どの企業にも平等なのが歴史。企業がどんなにお金を積んだとしても、歴史を手に入れる事は不可能です。
東京都23区内の平均所得ランキングではトップの港区。人口はやや少な目の270,000人。その港区内で長い歴史を持ち、かつては広大な境内を擁したお寺で行われたのは、他に例を見ないコラボ展示(2022年)。
増上寺とは
増上寺は、1393年江戸に創建された浄土宗の大本山。当初は現在の紀尾井町にあったそうですが、江戸に入府した徳川家康(1543-1616)の都市計画によって、現在の芝へと移転しています。
寛永寺と共に徳川将軍家の菩提寺となり、江戸期には巨大な伽藍を形成。
明治期の廃仏毀釈や太平洋戦争の戦火により、多くの建物を失いながらも乗り越え、その遺構は今も目にする事ができます。

1937年に老朽化のため再建された大門は、長らく所有者がハッキリしなかったそうで、2016年に東京都から増上寺に返還されています(40年ぶり! 2017年に改修済)。

大門から続く三解脱門は、1622年の建立(重要文化財)。
解脱はむさぼり、いかり、おろかさの3つの煩悩からの解放を意味します。
現在絶賛修復中ですが、修復完了は2032年予定!とかなり気の長いお話。

東京都港区芝公園4-7-35

家康の故郷・三河岡崎にある松平家菩提寺が、増上寺と同じ浄土宗の大樹寺。その大樹寺の登誉上人から家康が頂いたとされる言葉が、
厭離穢土欣求浄土
その意味は「穢れた現世を離れ、浄土への生まれ変わりを求める」。
家康はその言葉を旗印として常用しています。いわば徳川家のミッション。

大殿は1974年の再建。根本道場としてあらゆる儀式法要の場。

境内で見かけるのはかなりの外国人の方々。観光スポット化が進んでいるようです。見ていると被写体は、お寺の向こうの東京タワーなのかも。

2010年に再建された安国殿。2025年時の堂内は撮影禁止とされています。2022年時にお寺の方に撮影可能か尋ねると、「どうぞ」とのお答えでしたが・・・

遺構の1つ、圓光大師堂(旧広書院)表門。
築年と元の場所は不詳ですが、1978年に現在地へ移築。
甲府宰相徳川綱重(6代家宣の父)は、1705年に伝通院から増上寺へと改葬されています。おそらく没後に将軍の父になったから。
門には増上寺水盤舎(綱重廟からの移築)と共通の特徴が見られます。

黒漆塗だったので黒門とよばれた旧方丈門。三解脱門の南側に位置する地味な門。3代家光による建立とされています。1980年に現在地に移築。
宝物展示室

企画展会場の宝物展示室は、大殿の地下1Fにあります。

モダンアートも花を添えつつ

これまたモダンなデザインの企画展導入部。
当時の企画展は、流行り病の終息を願いつつとなにやら壮大な目的も掲げられていました。

代表的日本文化と認知されている茶道や華道と同じく、室町期にそのスタイルが確立された香道。
志野流は志野宗信(松隠軒:1443-1523)を祖とする香道の一流で、一子相伝という北斗神拳のようなスタイルでその奥義を継承してきた流派。
宗信は室町8代将軍足利義政(1436-1490)の命により、将軍家の名香180種を分類し、現在に至る「六十一種名香」を制定。
香道を体系化した人。

2022年4月-6月 @増上寺宝物展示室
江戸時代には将軍家大奥でも親しまれたそうです。
尾張徳川家の支援を得て、1864年京都から名古屋へと本拠を移しています。
企画展チラシの表紙は20代幽玄斎宗玄(1939- )
裏には21代一枝軒宗苾(1975- )
展示室内は撮影禁止だったため参考資料を


香道では香りを「嗅ぐ」ではなく「聞く」と表現します。
展示では歴代家元の肖像画や書状が展示され、香木の頂点に君臨する蘭奢待も展示。
志野家伝来の蘭奢待は、二条院から源頼政(鵺退治の人)、太田道灌、徳川将軍家、と伝来(かなりザックリ)。
そして東福門院和子(2代秀忠の娘)経由で志野流7代宗清が拝領。
その経緯は志野家に伝わる蘭奢待傳書に記録されているそうです。
展示室の前室には、特徴的な数字のポップが並んでいます。


まずは釈迦と釈迦の長男&従弟の舎利が納められた厨子。
舎利は1955年に容器や仏典とともに、インドのパナティッサ大僧正から増上寺へ贈られたもの。1956年の仮奉安から紆余曲折を経て、ようやく2020年正式にこの場所に奉安(これまた長いお話です)。

そして稀代の時計師と志野流のコラボ。
フランク・ミュラーと志野流
フランク・ミュラー(スイス:1958- )は天才時計師と評され、1992年に時計メーカーを創業した人。いわゆる超絶技巧を盛り込んだ高級複雑腕時計で知られ、文字盤の独特な書体がトレードマーク。
フランクさんは2019年の来日時に、広島県尾道で香道と出会ったそうです。その縁での今回のコラボ展示・・・と理由付けはやや強引な印象。
また今回のコラボ(2022年)は、ブランド30周年も兼ねて。

志野流500年の歴史からチョイスされた品々と、非売品と記されたフランク・ミュラーの逸品が並べられての展示。
ブランドに足りない歴史を香道から補完するためのコラボとも。


組み合わせとしては興味深いものがありましたが、モノの関連については正直よく分かりません。
ちなみにスーツ姿のスタッフが常駐されていましたが、そもそも平日はお客さんは少ないようでやや手持ち無沙汰。伝わるのかブランドの世界観?

増上寺は、フェラーリやルイ・ヴィトンといったラグジュアリーブランドのイベント会場にも選ばれています。
こういう時代の変化には、法然さんもビックリでしょう。
将軍家墓所
寛永寺の将軍家墓所は基本閉ざされていますが、増上寺の墓所は基本拝観OK。またかつては境内でしたが、現在は増上寺の手を離れていると思われるエリア(たぶん)にもいくつか遺構が残っています。
ただしすべての遺構をブラブラ見て廻るには、相応に体力が必要。
将軍家墓所の前に、少し離れた場所にある霊廟の遺構を3点。

台徳院は2代将軍徳川秀忠の院号。秀忠の霊廟はほぼ焼失していますが、総門はその生き残り。もちろん重要文化財。
ちなみに宝物展示室には、焼失した秀忠公御霊屋の巨大精密模型(彫刻監修は高村光雲、イギリス王室からの貸与品)が展示されています。

有章院霊廟(7代家継)は、1717年に8代吉宗による建立。
こちらの霊廟も東京大空襲でほぼ焼失。二天門はその霊廟の惣門で、広目天と多聞天が祀られています(重要文化財)。
ちなみにかつては文昭院霊廟(6代家宣)が並び立ち、こちらの惣門には持国天と増長天が睨みを利かせていたそうです(参考写真にチラリと)。


駅名にもなっている御成門も現存する門の1つ。かつては御成門交差点(現在地のやや北東)にありました。その名のとおり将軍専用の門。
明治期の道路新設時により現在地へ移動。門の面する道路は、タクシーの運転手の昼寝スポット。
現在はコンパクトにまとめられた将軍家墓所は、安国殿の裏側にひっそりと。こちらは別料金エリア。

江戸期の墓所は本堂の北側と南側の広大な敷地(現在はどちらもプリンスホテルが建つエリア)に広がっていましたが、1945年の空襲で大半が焼失。
その後の学術調査を経て、生き残った宝塔群が現在地に集約され改葬。
正面の門は文昭院(6代家宣)の霊廟にあった鋳抜門の移築。
青銅製の扉の両脇には、昇り龍と下り龍が鋳造されています(表も裏も)。
墓所には2・6・7・9・12・14代の将軍、家継を除く5名の正室、加えて甲府宰相綱重(6代の父)らが眠っています。


熱心に配置図と解説を見ていた外国人夫婦がいましたが、解説板はジャパニーズオンリー。今時グーグルなんやらで読めるとは思いますが、ご夫婦はしばし宝塔を観察し最終的に東京タワーを写真に収めていました。
日本語を読めたとしても、そもそも配置図は江戸時代の仕様。またお墓の主全てを理解するのは、日本人でもかなりの高難度。


この中で最も古いのは2代将軍夫妻。ただし秀忠さんの宝塔は焼失していて、江さんの宝塔を夫婦で共用。恐妻家だからという訳ではないようです。

他の将軍と違うのは14代。志半ばで病に倒れた将軍さんと、京都から下向してこられた皇女さん。こちらは夫妻別々かつ将軍は石塔、皇女は青銅塔。
ちなみに和宮さんと6代家宣夫妻以外の皆さんは、石塔仕様。

そして忘れていけないのは、増上寺の南側芝公園の一角にある初代将軍。


芝東照宮はかつての安国院(家康)霊廟。ご神体は家康の寿像。
明治期に増上寺から独立して東照宮になっています。
社殿は例によって残念ながら焼失。現在の建物は1969年の再建。

参考の上野東照宮は、豪華金ピカ仕様。こちらは藤堂高虎創建の由来を持ち、3代家光によって改築された重要文化財。
家康の手掛けた江戸は世界有数の巨大都市へと成長し、幕府消滅後にその名を東京と改められます。その姿は彼の目指した理想郷に近づいているのでしょうか。まあお寺と香道と高級時計がコラボレーションできる環境は、ある意味浄土なのかもしれません。
そういえば家康さんは、当時では超高級品の機械式時計のオーナーでした(久能山東照宮蔵:重要文化財)。そしてその時計は今や日本現存最古に。
フランクさんはご存じでしょうか?

