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一般公開は年間数日!奇麗さびの庭園と伝わる松壽園【小堀遠州 池上本門寺2】 東京都大田区

時期限定オープンとなると見たくなってしまうのは、人間の煩悩でしょうか。しかも由緒や歴史、著名な人が手掛けたとかいろいろなタグがつけられるとなるとなおさら。
宗教施設はその典型的な場所の1つ(特に京都)。おまけにご利益が得られるとなれば、足を運ぶのには必要十分な大義名分。
知的好奇心と欲深さの境界線は、グレーゾーンがかなり広いうえに曖昧。


大田区の人口は744,000人。東京23区内では3番目の規模(ちょっと意外)。
イメージは先端技術から汎用技術まで、いわゆる町工場の巨大集積地。
そして日本全国また世界から人々が飛んで来ては旅立っていく羽田空港。

伝統仏教の総本山はほぼ関西にありますが、今回のお寺の宗派はその例外の1つ(ただし総本山ではありません)。
今回はそのお寺に残る希少な庭園をメインに。

池上本門寺

池上本門寺は日蓮さんが入滅した地に建立された日蓮宗の大本山。
入滅は甲斐の国(山梨県)身延山みのぶさん(総本山の地)から、温泉治療のため常陸の国(茨城県)へと向かう途中、池上宗仲の館に立ち寄った1282年。
日蓮宗にとっては重要な霊跡(聖地)の1つであり、江戸時代には将軍家や大名のサポートもあって大伽藍が形成されていました。

太平洋戦争では大きな被害を受けていますが、主要な建物は復興していて現在でも結構な偉容を誇ります。

東京都大田区池上1-1-1

総門

総門は江戸時代の元禄年間(1700年前後)に建てられ、扁額はマルチクリエイター本阿弥光悦ほんあみ こうえつ(1558-1637)が1627年の江戸下向時に揮毫したもの(原本は霊宝館に)。

総門の先に見えるのは96段の階段。寄進は豊臣恩顧の大名で石垣普請の第一人者加藤清正かとう きよまさ(1562-1611)によるもの。

階段を上り切って振り返ると結構な高台。

仁王門(三門)
大堂(祖師銅)
経堂
清正 供養塔

加藤清正の供養塔は、清正の娘で紀州徳川家初代頼宣よりのぶの正室となった揺林院ようりんいんによって建立。
清正はもちろん頼宣の生母も熱心な日蓮宗信者。

多宝塔は日蓮さんが荼毘に付された場所に建つ供養塔。

多宝塔

1828年上棟の重要文化財です。赤く塗られた宝塔は遠目にも目立ち、近づくと桃山様式のような極彩色で彩られている事に気がつきます。

その多宝塔の周辺には多数のお墓が密集しています。
中でも境内に約90基もあるという、狩野派のお墓の大部分はこのあたりに。

江戸狩野各家の当主の墓は、家族や門人とは全く異なる規模と形状を持ち、その明確な違いは当主の格式を表しています。
主要メンバーを何人かを作品とともに。

狩野探幽

狩野探幽たんゆう守信もりのぶ:1602-1674)のお墓は、鍛冶橋家当主に踏襲される笠付碑形とひさご形(目黒永隆寺から改葬された分骨墓)の2基が並んでいます。

(参考)山水図屏風(探幽筆:重要文化財)@トーハク
右から孝信、貞信、尚信の親子+甥

孝信たかのぶ(1571-1618)は永徳えいとく(1543-1590)の次男で、探幽、尚信、安信三兄弟の父。幼くして宗家を継承した貞信を後見。
貞信さだのぶ(1597-1623)は永徳の嫡孫。継嗣には安信やすのぶ(探幽末弟で従兄弟)。
尚信なおのぶ(主馬:1607-1650)は探幽の次弟。

(参考)猿曳さるひき図:尚信筆 @トーハク
右から常信、周信、筆塚、養信

木挽町家当主のお墓は、亀趺きふ形という亀に乗っかったスタイルが特徴だそうです(大名家にも見られます)。

2002年の五重塔修理時に常信・周信・養信の墓所は移転改葬され、学術調査が行われています。その成果は霊宝館で展示。

(参考)唐獅子図屏風 @三の丸尚蔵館

唐獅子図屏風は狩野派の代表作(国宝)。
右隻は永徳筆。左隻が常信つねのぶ筆(尚信の子:1636-1713)。

狩野家墓所パンフ 2025年版

多数ある狩野家のお墓ガイドパンフは、霊宝館で配布されています。
全てを確認しようと思う方には必須アイテム。併せて体力と気力も。

やや体力は必要ですが、気楽に回れる庭園へ。
公開は限定されていますが、一般公開時は入園無料。

日程はかなりピンポイント

松濤園

松濤園は、毎年ゴールデンウィークのころに一般公開されている庭園。
ただし隣接する朗峰会館から庭園を眺めることは可能なので、開かずの扉というほどではありません。檀家さんや施設の利用者には開かれています。

味のあるマップ 2025年版

本門寺旧坊客殿から俯瞰できるようにと作庭を担当したのは、小堀遠州こぼり えんしゅう(1579-1647)とされています。
配布資料には、
「遠州茶道の極意を具現し、渓流と池を回遊する名園とした」と。

小堀遠州という人

(参考)遠州像 @五先賢の館

小堀遠州は公務では作事(建築系)奉行として才能を発揮し、築庭や茶道、王朝文化にも通じた「奇麗さび」の体現者。
仕事もできてアートの才能兼備という違いの分かるテクノクラート。

遠州作庭の庭園を2選

(参考)二条城二の丸庭園(京都府)

公務の代表作、二条城の庭園。広大な敷地に武家らしく豪快な石組み。

(参考) 頼久寺(岡山県高梁市)

頼久寺の庭園は二条城とは一転、手入れの行き届いた刈込が特徴。

ここからが本題の松濤園。
松濤園は太平洋戦争では甚大な被害を受けたそうで、伝来の茶室等は全て失われています。いくつかの茶室が移築され、庭園は1991年に修築完成。

手入れはされていますが、割とワイルドな趣き。
高低差がある庭園は、遠州作では珍しいような。

松月亭は見晴らしの良い位置に建てられた東屋。立礼席で60名を収容。

松月亭

筆塚は狩野派の絵師橋本雅邦はしもと がほう(1835-1908)の弟子たちによって、雅邦使用の絵筆が納められた石塔。

筆塚

雅邦は奥絵師狩野雅信に学び、アーネスト・フェノロサ(1853-1908)や岡倉天心おかくら てんしん(1863-1913)らと近代日本画の草創期に尽力した人。

(参考)寿老人鶴亀図(1900年)@三の丸尚蔵館

めでたい系モチーフが満載の三幅は、後の大正天皇と貞明皇后のご成婚祝いとして、宮内省職員一同が献上したもの。

浄庵は1992年完成の茶室。庭園の最も高い位置にある国賓対応可能の茶室。

浄庵

1868年には本門寺が西郷隆盛と勝海舟による江戸城明け渡しの会見場にもなっています(遺構はなく記念碑のみ)。ちなみに新政府軍の本陣。

筆塚から階段を使うと一気に池まで。

対岸の朗峰会館(入口)。最上階は浄苑から見ると同じぐらいの高さ。
レストランには、すき焼きで知られる今半が入居しています。
時代の流れとはいえ、庭園を眺めながらお肉をいただくというのは日蓮さんもビックリでしょう。

池の水は全て湧水だそうです。
ちなみに近所(徒歩15分)の川端龍子旧邸では、戦争中に爆弾が落ちた穴から水が湧き出た(爆弾散華の池)という話も。

石組みの風景は、二条城との共通項でしょうか。

鈍庵は、1990年に根庵と共に裏千家より寄贈・移築された茶室。

鈍庵

4畳中板の茶室の名前は陶芸家・大野鈍阿から。
根庵は8畳間の茶室2間からなり、最大収容人数は50名。

鈍庵

植栽は手入れが行き届いたというよりは、自然の力をそのままにという印象を受けます。

幕府の仕事も忙しかった遠州の作品が多く残っているのは活動拠点の京都。
遠州の奇麗さびの持つ優美さやシンプルなデザインが、松濤園ではいまいち感じられなかったのは「遠州作と伝えられる」とややぼかされた表現によるものでしょうか。

その目がきっちり幕府に向いていた遠州であれば、本門寺の大スポンサーだった紀州徳川家からのプッシュを断れない事は想像できますが。

長い歴史を持つ池上本門寺。そしてすき焼きと遠州でちょっとモヤモヤした松濤園。

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