アートギャラリーへと変貌した日本銀行支店長の邸宅へお邪魔します【砂丘館】新潟県新潟市
リノベーションというオリジナルに現代的なエッセンスを加える手法で、歴史ある建物を再生するケースは珍しくありません。
最近のトレンドでは富裕層向けの宿泊施設や、サードプレイス系のカフェでしょうか。
一方で地域に残ったかつての豪邸に見られるのは、相続や維持等の問題から地元自治体への寄贈。自治体によるカンフル注入によって、地元の期待を背負った公共財としての生まれ変わり。
それは見学施設という機能に加え、地域文化の新たな拠点の誕生。
そんな邸宅をいくつか抱えているのが、どういう訳か新潟市。
この甲信越最大の都市の人口は760,000人。明治期には都道府県別の人口で日本最多も記録した県(現在とは異なる都道府県区分の変遷期ですが)。
かつての豪農や豪商の邸宅&庭園には重要文化財指定される貴重なモノもあり、魅力的な観光コンテンツ群を形成。

今回の目当ての邸宅は、半分は「官」的な位置付け。
立地はこんな場所に建ててもOKなのかと心配してしまう、新潟砂丘の上。
かつては洋風建築だった旧制新潟高校とその学生寮が並んでいたそうです。
そして市内中心部から邸宅への近道(ちょっとだけ)がどっぺり坂。
坂名の由来は、ドイツ語のドッペルン(二重にする→ダブる)から。
学生に「街に繰り出し過ぎると落第しますよ」という戒め込みのシャレ。
当時は坂の下に井戸から始まった湧水池が2つあったそうで、それを連想させるモニュメント的な湧水とベンチが併設されています。

砂丘館:日本銀行新潟支店長役宅

1933年に建築された日本銀行支店長役宅は、日本銀行の技師平松浅一による設計。また戦前の日本銀行役宅で現存するのは、新潟と福島のみ。
パンフやWEB上にある情報ではこういう説明になりますが、建築コンセプトにはある方(T氏)の深い企みが隠されているようです。

支店長役宅はもともと現在地から市中心部寄りにありましたが、都市計画の一環で移転が必要となり、T氏の構想により砂丘の上に移転。
1999年に日本銀行の保有資産見直しから売却対象となり、新潟市が取得。
指定管理者は一般公募された画廊・新潟絵屋&新潟ビルサービスが、2005年から継続して担当しています。
砂丘館の名称は、彼らからの提案により決定。
企画展ではそのサポートも務め、住宅内の作品展示にも彼らのスパイスが。
画廊のアネックス、延長線上にある施設のようにも。
新潟県新潟市中央区西大畑町5218-1

庭園

建物の配置は雁行型。室内からの庭の眺めは、各部屋によってその表情が変わります。そして庭に続くのは飛び石。実はそこには深い意味が・・・


ギャラリーとしての居室

建物は中廊下によって接客・居住空間とサービスヤードに区分されています。プライバシーに配慮したという当時最先端の考えは、大正期の住宅改良運動を受けてのコトだそうです。


玄関そばには、いきなりの洋間。喫茶スペースとして利用可能な部屋もあり、個室によっては貸室利用もOK。いわゆる公民館的な位置付け。
おまけに利用料金は250円/1hほど(蔵ギャラリーは350円/1h)と格安。

展示されている作品は、SNS映えしそうなバリバリのモダンアートというよりは、当時の人々が飾っていても違和感のなさそうな作品たち。
好感が持てるのは色調のせいかも。

軽くジャブの2連発。

ガラスのスイカ(たぶん)とよく分からん犬の絵。
お花と「お茶が飲めます」という案内は、あちこちのお部屋に。



貸室設定のお部屋は、展示作品も控え目。
ちなみに使用中のお部屋は、見学不可に(この日は居間が使用中)。






一番奥には、企画展会場となる土蔵。
併設された土蔵は邸宅建設時に市内から移築されたもので、当時の日銀支店長役宅では標準装備。理由は支店が罹災した時の臨時施設と想定されていたため。土蔵は保管庫として、外壁がコンクリートに変更された強化仕様。
実際は支店長や家族・客人のビリヤード&卓球場として利用されたそうです。時代的にビリヤードは当時の必修科目か。
企画展ギャラリーとしての蔵

ギャラリーは「とあるセンスがいい人の部屋」的な設定。
過度な色彩に訴えない、いいサジ加減。

2025年5月-7月 @砂丘館
「え・いえ」展は、かつての「家」のように各所に「絵」を飾る企画。
その中には個人蔵となった作品が実際にオーナー宅で飾られている光景をおさめた写真も。






蔵から戻り、住居エリアの2階へ。


昔は2階から新潟の街が一望できたそうです。また振り返ると日本海側も望めるそうですが、話を聞いたのは帰り際だったのでスルー。


室内は夏仕様でしょうか? 2階もカフェ利用可能。


客間は2階で最も奥に配置される部屋。
テーブルが年代物なのかは不明ですが、モダン根来といった風情。



こうなるとよく分からなくなってきます。
チープな色ガラスはデフォルトなのか作品なのか。

先ほどの「手」は華雪の作、この「雪華」は作品名。

最後に強烈なボディーブロー。
作者のマドハットさんはイラク出身のクルドの人。
オーナーさんは丿貫を思い浮かべながら、この作品を手に入れたそうです。
丿貫とは豊臣秀吉主催の北野大茶会で評判となった茶人。
いわゆる変人として知られ、彼が会場で使用したのが朱塗りの大傘。
そしてなによりかなりの難読漢字。
現代アートの解釈は、よく言えば自由。
ただこの赤だけで丿貫がオーバーラップするオーナーの変態加減(色だけではないかも)。メキシカン特有の鋭角左ボディーの如く悶絶ものです。


展示作品はどちらかといえばよく分からない系のモダンアートでしたが、建物の雰囲気とは違和感がなかった砂丘館。
20年に及ぶ運営の歴史は、自治体の方向性と地元組織の運営スタイルが新潟市民の支持を得てきた証拠でしょう。
入館時に受付の方にも概要をサクっと説明して頂きましたが、帰り際に年配スタッフがススッと近づいてきて邸宅の歴史を説明してくれました(個人的にはそちらの方が興味アリ)。
「この建物は当時の支店長がプロデュースしたんです・・・」
半分公人的な立ち位置でそんな事が可能なのかと疑問でしたが、説明を聞いていると「そうかも」と思えてきます。
プロデューサーT氏は当時の支店長:高草平助の事。1932年から1934年に新潟支店長を務めた岡山の人。
砂丘の立地は、市内と佐渡(見えたらしい)の眺望を求めての事。
そして庭園は新潟県をモチーフに、植栽や飛び石とその配置関係が新潟の山や河川を表しているらしい(説明が多すぎてややパンク気味でした。なんせ新潟は長くて広い)。

役邸には迎賓館の機能もあり、新潟各地から集まってくる地元の名士的な人たちとの庭園デザイン論は喜ばれたのでしょう。
短い赴任期間でそこまで新潟の地勢や地域性を把握し、邸宅の設計にも反映させた平助さん。自らの趣味性と美意識全開で強烈なキャラを持っていたであろう人。
ビジネスにも美術的視点や教養が必要!というのが最近のトレンド。
明治から昭和初期の官僚クラスにも文化人的素養は必須だったようです。
というより歴史が繰り返しているだけ?
スタッフさんには「諸説あります」的な形でボカされましたが、実際WEB上に「高草平助」の情報はほぼないので、真実は分かりません。
自身には各種文献を当たるほどのパワーはないので、その事実を深堀りするのは砂丘館の最優先課題というコトにしておきましょう。がんばれ新潟市。

最後に「これは現代作家の作品ですか?」と尋ねると、初期の企画展で作家がそのまま置いていったモノだそうです。意外と馴染んでいる印象。

このお宅ではのんびりと地元の人たちの文化やコーヒーでも楽しむのが、平助さんの目指した境地かもしれません。

