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耐久王には一歩届かなかった紅の貴婦人【TS020:富士モータースポーツミュージアム】 静岡県駿東郡小山町

最先端のテクノロジー満載のファクトリーマシン、それは一般人レベルでは知る事のできない秘密の世界。その先端技術は標準化もしくは世代交代されると一般に公開されるようになります。そして当時の関係者の回想と共に記事化されるのは、最近の自動車・バイク雑誌における重要コンテンツ。
加えてメーカーはブランドPRのため、自らのミュージアムで美しくディスプレイして公開するケースも。


静岡県北部にある小山町。人口16,700人の自治体を構成するのは、富士スピードウェイとゴルフ場、そして自衛隊。
地図で確認してみると、町域はあの富士山のテッペンまで続いています。

最強の目印

富士モータースポーツミュージアム

かつてはFISCOと略称された富士スピードウェイ(現在はFSW)。
鈴鹿サーキットと並ぶ日本のモータースポーツには欠かせない聖地。
かつてのコースには名物の30°バンクがありましたが、現在は1.5kmのメインストレートはそのままにコースは改修。経営はトヨタの傘下に。
一時期は4輪の最高峰F1のレースも開催されていましたが、近年はスポーツカーレースがメイン。
2022年にレースガレージやホテルが完成し、レースのテーマパーク化が進んでいます。今回のミュージアムはホテルに併設された豪華な施設で、入場料も都内ミュージアムでの特別展クラスのパンチ力。

静岡県駿東郡小山町大御神645

入口のオブジェは車のパーツ的なモノをレイアウト。
よーく見るとプラモ的で、ワードのチョイスもビミョー。
本物のエンジンパーツで構成する方が、材料や加工技術の持つ美しさをスマートにアピール(過去にはルノーやホンダの例が)。

パンフ 2025年版
視覚的インパクト強め

エントランスには目を引く展示がドーン!
車体の裏表をじっくり見るコトができるのはトヨタ7(セブン)ターボ。
1970年の日本グランプリに向けて、V型8気筒5リッターエンジンをターボで武装し、最高出力は800PS!
ただ目標のレースが中止となり、幻のモンスターに。
解説にはエンジン等に本物のパーツを使用したレプリカと。
富裕層の自宅にディスプレイされているかのような展示スタイル。

パイオニアたち

1Fには自動車業界のパイオニア達がズラリと並びます。

自動車王

ヘンリー・フォード(1863-1947:アメリカ)。
自動車を大量生産によって大衆化させた人。
モータースポーツで資本家や大衆の関心を引き、自社製品の優秀性をアピールするという手法のパイオニア。

展示車両はフレームは木製、排気量18,943ccというトラックのような自動車(1902年)。レプリカですがアメリカのフォード博物館からの貸与品。
エンジンは直列4気筒!で馬力は80PS、最高速147kmを記録。
車両の前に展示されているのはピストン。驚愕のバケツサイズ。

フォード999(レプリカ)

続いて自動車の聖地ヨーロッパから

耐久王のご先祖

フェルディナンド・ポルシェ(1875-1951:ドイツ)は、高性能自動車メーカーの創業者。現在の一族はフォルクスワーゲングループの大株主。
掲げた夢は大衆車、レーシングマシン、トラクター普及の3点。
訪問時のポルシェ展示車はなし。

日本の自動車王

このミュージアムでは決して外せない豊田喜一郎とよだ きいちろう(1894-1952)はトヨタ自動車を創業した人(豊田自動織機製作所内に自動車部門を設立)。

トヨタレーシングマシンの始祖

トヨペットレーサー(写真左)は1951年に技術向上のため作成され、キャプションによると「幻のマシン」(展示車はレプリカ)。
直列4気筒の995ccエンジンを搭載、最高出力は27PS。

奥の赤い車はダットサン210型(豪州一周ラリー・クラス優勝:1958年)。

RC162(1961年)&RA273(1967年)

モータースポーツの世界でいち早く世界の頂点に辿り着いたのは、国産メーカーでは後発だったホンダ。創業者は本田宗一郎ほんだ そういちろう(1906-1991)
展示車はレプリカではなくホンダからの貸与。

2Fにはリアルな記憶のレーシングマシンが増えてきます。

と言いつつまだリアルタイムでは知らないマシン、
トヨタ2000GTのスピードトライアル用(1966年:レプリカ)。

ボンドカーにも

2000GTはクラウン由来の直列6気筒2リッターエンジンを搭載。そのチューニングテクノロジーはヤマハから。最高出力150PSで最高速度は220km。

ちなみにトヨタ博物館(愛知県長久手市)には、2000GTのロードスター(屋根なしに改造:俳優・唐沢寿明さん寄贈)が収蔵されています。
オリジナルのロードスターは、映画007出演のヒストリーを持っています。

トヨタ7

こちらの7は、1969年の日本カンナムレースでの優勝車。
エントランスに展示されていた車両のターボ武装前の姿。
ターボが無くても最高出力600PS。車重は驚異の820kg。
モンスターはビフォアーでも、既に充分モンスター。

こちらはトヨタが王国を築きつつあるWRC(ラリー)コーナー。
現在は参加ファクトリーの減少により、少々寂しい世界選手権ですけど。

セリカ(1984年)

セリカ・ツインカムターボTA64は、現場を担当したTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)との共同開発。
アニマルバーや増設されたライト(サイドミラーの位置にも)が特徴の1984年サファリ仕様(優勝車)。
エンジンは市販車ベースの2.1リッター直列4気筒で299PS(実質は優に300PSオーバー)で、駆動は後輪のみの2駆。
ドライバーはビヨン・ワルデガルド(スウェーデン:1943-2014)。

セリカ(1995年)

10年の進化を遂げたのがセリカST185。こちらもサファリ仕様。
WRCでは4輪駆動が標準化され、渡河用の屋根まで延びたシュノーケルダクトも装備(水の吸い込み防止)。
1995年サファリ優勝車のドライバーは藤本吉郎ふじもと よしろう(1960- )。
展示車は藤本さんから借用したその実車。

トヨタはラリー界に君臨していたランチア(イタリア)を実力でねじ伏せ、ワールドタイトルを獲得した最初の国産メーカー。
ただ1995年にズルが発覚して、2年間弱の沈黙を余儀なくされます。
復活後はメーカー、ドライバー共に多くのタイトルを獲得(現在進行形)。

そしてトヨタは2002年から4輪最高峰のF1参戦を開始。

TF109(2009年)

今のところトヨタ最後のF1マシンTF109
デザイナーはパスカル・バセロン(フランス:1963- )。
エンジンは2.4リッターV型8気筒を搭載、最高出力は740PS。

フロントウィングには小さなエレメントがゴチャゴチャ。
スポンサーにはパナソニックやKDDIにデンソーとチームジャパンの様相。

ラストシーズンとなった2009年のマシンには、小林可夢偉こばやし かむいも最後の2戦に搭乗(展示のスーツは可夢偉用)。
シーズン終了後にトヨタはF1から撤退(世界的な経済状況の悪化から)。
彼らが残したリザルトに記されていないのはF1での勝利。

最も興味深いのが、ル・マン24時間耐久レースのコーナー。
現在のトヨタモータースポーツの核心です。

サルテのコース図
耐久王はポスター展示のみ
トヨタ90C-V(1990年)

世界の壁を思い知らされたトヨタの1990年用グループCカー90C-V
エンジンはV型8気筒3.2リッターで最高出力800PS。
この年のトヨタはル・マン24時間耐久レースに3台投入しましたが、2台がリタイヤ。ジェフ・リース、関谷正徳せきや まさのり小河等おがわ ひとし組が6位に。
ちなみに関谷さんは後に日本人初のル・マン総合優勝ドライバー(1995年のマクラーレンF1)となり、現在ではトヨタドライバー育成の偉い人。
展示のスーツとヘルメットは本人からの借用。

続く1991年のル・マンにトヨタは不参加。そこでタイトルを獲得したのが展示されていたマツダ787B。日本車最初の総合優勝車という栄誉をゲット!
展示車はまたも借用のレプリカで、独自のロータリーエンジンもマシン後方に展示。(本物は広島のマツダミュージアムに)。

787Bと本日の主役

トヨタTS020:GT-one

展示のトヨタTS020(GT-one)は、1999年ル・マン24時間レース参戦用のマシン、くれないの貴婦人
デザイナーはアンドレ・デ・コルタンツ(フランス:1941- )。
1992年のル・マンを制したプジョー905や、F1参戦を決意したトヨタのTF101(F1マシンの始祖:2001年)をデザインした人。

デビューは1998年シーズン。この年のル・マン参戦も3台体制でしたが、またも2台リタイヤ。生き残った日本人組は9位。優勝は耐久王ポルシェ。

1998年はストリートカーがベースのGT1規定に変更されています。
ただしル・マンでは、1台生産すればOKという実質ルールなし。
その中でも、デザインで最も振り切れていると評されたのが紅の貴婦人。
これが市販車? ドライブスルーはどう見てもムリ。

レース用にしか見えないそのフォルムに、600PSを発揮する3.6リッターV型8気筒エンジンを低い位置にめり込ませて搭載。

1999年の布陣はまたしても3台体制。
そして生き残ったのも片山右京かたやま うきょう鈴木利男すずき としお土屋圭市つちや けいいちの日本人トリオ。
カラーリングはなつかしのマルボロ(広告規制によりロゴなし)。

この年はトップを伺う位置をキープしつつ、終盤に猛追を開始。
片山右京のドライブでトップをオーバーテイクしそうな雰囲気の中、320km/hで走行中にタイヤがバースト。
奇跡的にクラッシュは回避、ピットまで辿り着きマシンを修復。
最終的にトラブルを抱えながらのゴールは、2位という結果。
そしてこの年でトヨタの耐久レースプログラムは一時休眠に。

TS020について詳しいのがコチラのムック。
デザイナーのデ・コルタンツへのインタビューをはじめ、当時の関係者の話が満載です。

実は紅の貴婦人(The red lady)という表現は、この書籍が初見。
印象に残った雰囲気のある愛称。web上で検索しても拾えないのは、20世紀のネタだからでしょうか?あるいは創造主はライターさん?
ちなみに2025年トヨタのル・マン出場マシンは、ムックの表紙マシンのカラーリングをオマージュ(霜降りカラーとか呼ばれてましたが)。

休眠後のトヨタのル・マン復帰は2012年。
レギュレーションも変わり、マシンは今やお家芸となったHV(ハイブリッド)の心臓を持ち、高効率の4輪駆動で武装した姿へと変貌。

ル・マン初戴冠はさらに下って2018年のコト。そこからの5連覇・・・
ただしココがル・マンにおけるトヨタ最大のモヤモヤポイント。

トヨタのル・マン復帰後は新耐久王アウディ、また耐久王ポルシェとの激闘がありました。2018年はそんなライバルたちが姿を消した年。
おまけに連覇が阻まれたのは、老舗フェラーリやポルシェが復帰した年。

真の勝利は強力なライバルを倒してこそ。個人的モヤモヤは濃くなる一方。

レクサスLFA

トヨタはレース専用車(プロトタイプ)だけではなく、市販車ベースでの耐久レースにも参戦しています。
この車両は2012年のニュルブルクリンク24時間耐久レース出場車。
今の所レクサスブランド唯一のスーパーカーLFA(2007年製)。
エンジンは4.8リッターV型10気筒。現在の市販車には見られないスペシャルな逸品(やっぱりヤマハが共同開発)。

トヨタは技術者育成の場として、難コースとして知られるニュルに参戦。
ちなみにモリゾウこと豊田章男とよだ あきお(1956- )会長も、このレースの参戦経歴をお持ち。

レプリカや借用品を交えつつ、モータースポーツの歴史を俯瞰的に展示している富士モータースポーツミュージアム。
そもそもファクトリーマシンはワン&オンリーの世界。このスタイルあってこそ成立する博物館。

モータースポーツの世界におけるトヨタの個人的印象は、マツダやホンダに対して一歩譲ります(タイミングや運もありますが)。
一方、ビジネスの世界でのトヨタブランドは圧倒的。市販車を中心としたトヨタ博物館にレース文化の集積地としての富士。ミュージアムも全方位。

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