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改めてブランド化されたのは巨大登り窯の歴史:波佐見町歴史文化交流館 長崎県波佐見町

人口減少もあり、ゆるやかに衰退が進みつつある地方自治体。
日本各地の自治体では様々なアイデアを出し合って地域開発等を図っていますが、経済規模の拡大が必ずしも地元住民の幸せに繋がる訳ではないのがこの問題解決の難しい所。
また時代の流れによって栄枯盛衰のサイクルも変わり、そこに人材と予算がうまく嵌まるかどうかは時の運。


長崎県の中部、佐賀県との境にある東彼杵ひがしそのぎ波佐見はさみ町。
主要な産業は農業と窯業で、人口は14,000人弱と小さな町。
その町名の語感から、海沿いの町と勝手に思っていましたが、長大な海岸線を誇る長崎県(日本で第2位)にあって、県内では唯一の海なし自治体。

かつての肥前国の現在は、ざっくりと北東半分が佐賀県(鍋島領+唐津)。
西南半分と島が長崎県(平戸+大村+島原+壱岐・対馬+五島)。

今回の記録は、地域の歴史の上にどっかりと座っているミュージアムのような地域のハブ?のような施設。

波佐見町歴史文化交流館

歴史文化交流館は2021年に開館した、比較的歴史の浅いミュージアム。
その新しさの割に、入口では靴をぬぐというスタイルが特徴。

建物自体はまったくの新築という訳ではなく、波佐見焼の窯元だった昭和陶器の旧社長宅(1972年築)をベースに増改築が加えられています。
設計は㈱修復技術システム。

3つの展示室を持ち、町民ギャラリーにカフェや和室(交流室&休憩室)を備えた、外観からは想像しにくいモダンなリノベ物件。

長崎県東彼杵郡波佐見町湯無田郷1010-1

パンフ 2026年版

交流室と休憩室は和室ですが、座布団ではなくイスの準備が。

展示室入口は民俗資料館的な・・・

常設展示はスッキリしたデザインでパネルでの解説を多用。
歴史解説が古代から始まるのは、公立ミュージアムでは常識。
ただどこの館でも、地域の特徴を見い出すのはむずかしい。

分かり易いパネル展示と、下部に描かれたイラストセンスは秀逸。

キリシタン系

中世コーナーでは、日本からローマ法王に派遣された天正遣欧少年使節をイラスト化。帆船による大航海を経て使節団は法王に謁見。
ヨーロッパから音楽文化や印刷機を持ち帰り、日本に伝えています。

戦国期の波佐見を含む肥前(長崎県部分)は、キリスト布教のど真ん中。
平戸、大村、島原の大名は交易の旨味を求めて布教を許します。
その中でも大村氏と有馬氏(島原)、そして豊後の大友氏がローマへと名代みょうだいとして派遣したのが天正遣欧少年使節。

波佐見出身の原マルチノ(1569-1629)は、最年少で使節に参加。
マルチノは語学に長けていた人で、帰国後は通訳や出版で活躍。
キリスト禁教令が出されるとマカオへと追放、現地で生涯を閉じる事に。
全国的な知名度がどれ程なのかは未知数ですが、ここではイチオシ。

展示品には複写ですが、原マルチノの演説書(活版印刷物)が。

原マルチノの演説(複写:筑波大学附属図書館蔵)

演説書は、インドでのマルチノによる巡察使A・ヴァリニャーノへの報告原稿(ラテン語)を印刷物化したもの。しかも日本人の手による初の活版印刷物という貴重なもの(原本はイエズス会ローマ文書館蔵)。

一方、中世の武士団コーナーでは大村氏と後藤氏(武雄)との境目で苦心した波佐見氏の歴史が。イラストには山城や騎馬武者に足軽。

武士系

近世になると波佐見は大村藩領となり、佐賀藩(鍋島家)との境目に。
禁教令までは、仏教とキリスト教の境目という文化的にも境界線。
展示には大村家臣団の展示も充実しています。
大村藩は長崎に近かった事もあり、海外の情報にも精通していたようです。

特別展示室には、波佐見焼のコレクションや寄贈品が並びます。

特別展示室

歴史展示は、かなりコアなファンでなければ「フーン」と通り過ぎるような内容かもしれません。
特にキリシタン関係の展示は、平戸や島原、あるいは天草あたりのミュージアムの方が充実しているような印象。

展示室やカフェに囲まれた中庭は、パッと見は荒涼とした雰囲気。

中庭

実はその中庭には、巧妙な地域デザインが施されています。
敷き詰められた石は陶石。またアカマツは磁器制作では欠かせない燃料に利用され、波佐見町のストーリーを可視化しています。

現代の波佐見町を他地域と差別化させているのは、この地理と地場産業。

波佐見焼の流れ

地場産業となる波佐見焼の始まりは、九州の他地域と同じ1600年頃。
きっかけは秀吉の唐入りで大村喜前おおむら よしあきが連れ帰った朝鮮人陶工(李祐慶り ゆうけいら)。陶器から始まり、波佐見で陶石が産出されると徐々に磁器へとシフト。
青磁は大名家や富裕層向けに重宝され、1650年代には長崎を通じて海外へと輸出されていたようです。

一方庶民向けの主力となったのが「くらわんか碗」。
巨大な登り窯によって、高級品とされていた染付や青磁を大量供給。
全長170mという世界最大級の登り窯跡が今も波佐見には残っています。

波佐見焼 各種 @長崎歴史文化博物館

ただ陶磁器といえば「波佐見焼」より「伊万里焼」や「有田焼」が全国区。
なにしろ隣接する自治体こそが、陶磁器生産の全国区・佐賀県有田町。
それでも陶磁器産業は、町では重要な地位を占めていました。

そして独自ブランド確立の契機となったのが2000年頃。
波佐見産の磁器は有田焼と同様に認識されていましたが、地域ブランドの定義が厳格化される流れから、「有田焼」ではなく「波佐見焼」ブランドとして歩み始めます。

個人的に印象に残っているのは、全国展開する無印良品が波佐見焼の器を扱い始めたころ(当時、あの辺りの磁器はすべて有田焼と思ってました)。
しかも染付ではなくシンプルなデザインで、長く使えそうな食器を中心に。
現在の無印良品では殊更に波佐見焼をアピールしていませんが、ベーシックな磁器は今もおそらくメイド・イン・波佐見かもしれません。

また最近のTV番組では、浸透しつつある波佐見ブランドの現状や、お洒落スポットとしてリメイクされたかつての工場が取り上げられたりと、有田とは異なる価値が注目を集めているようにも。
ちなみに歴史文化交流館のパンフには
「観光交流人口も年間100万人を超えるまでになりました!」
と静かにアピール。

参考までにお洒落スポットとして取り上げられていたのはこちら。
「西の原」はレストランやショップが集まる複合施設。

企画・運営は現役の波佐見焼メーカーで、廃業した波佐見焼窯元の工場をリニューアルして利用。地域文化のショーケースのような場所です。

現代の波佐見焼にはくらわんか碗のような伝統的デザインだけでなく、ポップでカラフルな色彩の器も見られ、アップデートされています。

波佐見町は小さな町なので、メディアが切り取るような洒落たスポットは実際は限定的です。ミュージアムでの歴史資料も相応の規模感。
ただ都市圏の住人には、今も残る昔からの日本の風景や、変わらない日常(伝統とも)が魅力的に映るのかもしれません。
その価値は理解できますが・・・  個人的には見慣れた田舎なのは不変。

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