神々が集う国の城下町:小泉八雲旧邸 島根県松江市
旧暦10月には日本の神々が集う国が出雲。
日本の出雲以外では10月を神無月と呼びますが、出雲では神在月。
明治期以降にはかつての出雲・石見・隠岐は島根県へと統合されます。
現在の島根県は、ご多分にもれず人口減少の進むエリアです。
だからという訳ではありませんが、過剰な商業開発の外側にあって、昔ながらの日本の風景が色濃く残る地域とも言えます。
人口192,000人と島根県最大の松江市は、宍道湖の東側に位置しています。
中世以来の出雲国の中心地で水の都。
ちなみに宍道湖西側には第2位の出雲市(171,000人)が。
県人口の60%が集中するのが宍道湖周辺。
今回は松江の王道にはフォーカスせずに、割と地味な旧居の記録。
松江城:山陰の国宝天守

と言いつつ最初にサラっと、松江の中心にあるシンボルと歴史を。
室町期の出雲は守護京極氏、その庶流で守護代の尼子氏、そして毛利氏と支配者が変遷してきました。
関ヶ原の戦い後には、本戦で戦功をあげた堀尾吉晴(1543ー1611)が入封。そして尼子氏以来の月山富田城から新たな居城に定めたのが、1611年に築城の松江城。豊臣大名の築城技術の粋が詰め込まれた名城です(国宝)。
ここに始まる近世松江の歴史。
京橋川や大橋川を外堀とし、城下に張り巡らされた運河が現在も残ります。

堀尾氏が無嗣断絶すると京極氏が継承し、1638年には松平直政(徳川家康の孫:1601-1666)が信濃松本から18万6千石で襲封。
幕末まで松平氏(結城秀康の系譜)の城下町として栄えました。
松平治世下で目立つのは大名茶人として知られた7代藩主松平治郷(不昧:1751-1818)。松江に茶の湯文化を定着させた人。
彼の茶の湯コレクションは雲州蔵帳としてまとめられ、茶の湯系の美術展示で目にする事ができます。

松江藩に詳しいのは、現代書館発刊の「シリーズ藩物語・松江藩」。
堀尾時代、京極時代についても言及されています。著者は松江の人。
松江市内の旧城下町エリアは、大橋川以南にある市街地(ビジネスホテルの集まる松江駅周辺)とは異なり、独特な空気が流れています。特段活気があるという訳ではなく、城下町特有の落ち着いた雰囲気でしょうか。
ただし一方通行に加えて橋が多いので、車で回る時には注意が必要。

塩見縄手

塩見縄手は、松江城北側にある通り。
侍屋敷地として並行する内堀と同じく堀尾時代に造成されています。
200石から600石の中級武士の居住地とされ、通りの名前の由来はその中から出世した塩見小兵衛。
松江市内でも江戸の風情が色濃く残るエリアは、伝統美観保存地区。


塩見縄手沿いの風情を構成するのは、歴史ある松並木。
ただしその成長度合いは、歩行者よりも優先されています。

そして塩見縄手の西側に、明治期の作家ゆかりの武家屋敷が残っています。

小泉八雲旧居

小泉八雲旧居は、旧藩士だった根岸家がオーナーの武家屋敷。
住居の北・西・南側をグルリと囲むお庭が特徴。
北側の庭には小さな池も完備。公開されているのは住宅の西側半分。
庭には多様な植物、そして池には水草や蓮が。
明治期に新居を求めていた八雲がこの住宅を気に入り、借り受ける事に。
八雲お気に入りの庭は、明治元年の1868年の作庭。
家屋は1982~83年の大修理に際して、八雲時代の姿に復原されています。

当時の根岸家当主の息子は、松江中学、旧制五高(熊本)、東京帝国大学では八雲の教え子。のちに松江に戻って旧居を保存しています。
屋敷は1850年に根岸家の所有に。建物の築年は1700年代と伝わります。
ちなみに根岸家は初代松平直政の越前時代からの家臣。家中では古株です。
島根県松江市奥谷町322
小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン(1850-1904)は作家。父はアイルランド、母はギリシャの人。松江ではヘルンさん。
1890年にアメリカから来日し英語教師に。後に日本に帰化。
日本への興味は古事記から(日本人の自分でもよく知りませんが)。
松江在住は意外に短い1年3ヶ月。
そのうち旧居での生活は、半分にも満たない5ヶ月間。
日本での生活は松江、熊本、神戸、東京とトータル14年間に及びました。

西洋の多様な国々で培われたハーン(ヘルン)の経験は、日本の文化と独自の視点によって融合・昇華。

実は小泉八雲の著作を読んだ事はありません。
唯一のかすった記憶は、中学校の英語の教科書で読んだMUJINA。
MUJINA(貉:むじな)は、いわゆるタヌキやハクビシンの事。
八雲は人を化かした妖怪のっぺらぼうをMUJINAとして怪談化。


苔の使い方が印象的なお庭です。手入れはされていますがナチュラル感も。


書斎にはハーンが使用した特注デスク(レプリカ:原本は記念館に)が。
お気に入りだったようで、熊本、神戸、東京とハーンに随行。


北側の庭には蔵も。彼の著作には蔵のエピソードもあるようです。



中級とはいえ武家屋敷なので、内装は簡素なサムライスタイル。

旧居の西隣には資料館があります(別料金)。
小泉八雲記念館

記念館は1933年の開館。当初は洋風建築だったそうですが、美観地区指定に合わせて1984年に改築。2016年には展示リニューアルも。
八雲遺愛の品々や直筆原稿を収蔵・展示。もちろんあの机も。

建物は旧居と違和感がないようデザインされています。

玄関口にあるのが遺髪塔。
塔内には遺族によってハーンの遺髪が安置されています。
塔のモチーフは古い五輪塔。その待遇は大名クラス。

もう1つはハーンが赴任した尋常中学校(1887年築)の礎石。

中学校は市民からはヘルン校舎と呼ばれていたそうです。
老朽化のため1976年に撤去。その礎石のみがここに現存。
下写真の中央に見えるのが小泉八雲旧居の門。
ちなみにその右側には、さらに立派な長屋門のお屋敷が見えます。
長屋門をくぐれば、松江文化を体現している田部美術館。

田部美術館は元島根県知事だった23代田部長右衛門が創設した茶の湯系ミュージアム。田部家はたたら製鉄を家業とした一族(現在の田部グループ)で、日本の山林王。
また23代は、県立中央病院や地元メディアの山陰中央新報社、山陰中央テレビジョン(各前身)も創業した人。
美術や建築にも理解のあった方で、美術館(菊竹清訓設計)とコレクションはその結晶。
今となっては重要コンテンツの一角を占めている松江の建築(たぶん)。
詳しくは別の機会に(あふれるやる気)。
塩見縄手以前のヘルンさん
松江赴任直後のハーンは、旅館住まいでした。
さすがに現在ではその旅館は姿を変えています。
最初の宿は富田旅館(現在は大橋館へと継承)。
訪問当時はハーン目当てではなかったので、旅館の写真はありません。
ただ宿泊していたホテルから島根県立美術館への道中で、偶然にも数枚が残っていた近辺の写真を。
こちらは、ほぼ大橋館前から望む宍道湖方面。
おそらくヘルンさんも見ていた川面。
大橋川に架かるのは松江大橋。幹線道路用ではありません。

川沿いには歩道もあり、ぶらぶらと町の雰囲気が体感できます。
西へと宍道湖方面に進みます。松江大橋を越えて振り返ったあたりが、ハーン2番目の宿とされる場所。現在は皆美館、こちらも松江の老舗旅館。

ただし皆美館の敷地は川沿いまでカバー。歩道は中断しています。
一旦敷地北側の商店街へと迂回する必要あり。
さらに西へと進んで大橋川の河口、つまりは宍道湖へ。
写真は河口の宍道湖大橋の上。湖畔に見える白い建物は島根県立美術館。

美術館は冬季を除き、閉館が日没30分後という変わった設定です。
その意味する所は・・・
設計は田部美術館と同じく菊竹清訓。菊竹島根県シリーズの最終章。
以上が今回の記録。
松江編のプロローグに過ぎません。それほどに魅力あふれる城下町。
松江の象徴・松江城や藩主家関係の寺院。市民の日常に浸透した茶の湯文化。そしてなぜか複数が現存している菊竹建築。
失礼ながら最先端の要素はほぼ見当たりませんが、八百万の神々が集う土地に脈々と息づく日本の伝統と文化。
ヘルンさんが魅了されるのも当然でしょう。
