重厚な石垣は関東では希少種!【金山城跡ガイダンス施設&地域交流センター:隈研吾4】群馬県太田市
山城といえば日本全国に数万もあるとされています。基本的に天守や櫓の構造物(現存、復興問わず)があるお城の方が好みですが、越後春日山城や月山富田城のような巨大な山城も興味の対象。
堀切や盛土を見てその地域の歴史に思いを馳せるのも悪くはありませんが、単なる山登りに終始するとなんだかモヤモヤします。
群馬県太田市の人口は222,000人(市のHPにはその内外国人は15,000人)。
人口の規模では群馬県第3位。北関東No.1の工業都市だそうで、現在は自動車会社スバル(富士重工業)の企業城下町。
スバルは日本の自動車メーカーでは珍しく、内陸部に本拠を構えています。
外国籍の住民が多いのは、三河(愛知県)から遠江(静岡県)にかけてのエリアと似ているかもしれません。
今回はそんな太田にある江戸初期には機能停止とされていた城跡。
プラスその麓にあり、城跡を補完するようなミュージアムを。

金山城跡
金山城は分裂していた岩松氏(足利氏系)を統一した岩松家純(1409ー1494)が、重臣の横瀬国繁(後に由良氏へ)に命じて1469年に築城。
家純没後には国繁による支配に。

お城が位置するのは上杉、北条、武田といった巨大勢力の境界線。
最終的に由良氏は北条氏に臣従しますが、秀吉が関東を制圧すると金山城は廃城となり、国繁は常陸・牛久へと移されます。
江戸期の金山の地は徳川幕府の直轄地となり、松茸の献上地として一帯は保護されています。日本100名城の1つ。
群馬県太田市金山町40-106
ガイダンス施設は開館時間前だったので、城跡から攻略。

新田荘を開発し拠点としたのは八幡太郎義家系の源氏新田義重(1114-1202)。後に金山の地を支配したのがその系譜岩松氏。
新田氏の庶流には里見、山名、世良田氏らがいます。
ちなみに後の将軍家となる徳川氏は世良田からの分流を名乗っています。
新田氏は鎌倉後期に新田義貞(1301-1338)が幕府攻略に貢献しましたが、同族の足利氏のようには時流をリードできず、大きな勢力には成長できませんでした。
むしろ室町期から戦国期にかけては、庶流の山名氏や里見氏の方が活躍。

金山城は標高240mほどの山上にあり、麓からのトレッキングコースがいくつか整備されています。
中腹あたりの金山展望台には駐車場があるので、そこから本丸までなら徒歩20分程度と軽い山登りレベル。
駐車場からの眺めも悪くありません。
早朝はイノシシに注意!という看板を横目に、テンポよく進みます。
するといきなり石垣ではなく、巨大な岩が露出しています。

基本的に岩盤の上を歩いている感触です。
コケるとヤバそうなので油断せずに歩いていくと・・・

石垣が見えてきます。しかも道は石敷きに。
岩松氏は織豊系大名ではない(純関東系の人)という認識でしたが、技術は伝播していたのでしょうか?

馬場下通路のすぐそばには物見台。石垣というよりただの岩盤露出?

物見台からは西側に赤城山系や榛名山系を遠望(たぶん)。
さらに進んで大手道を登りきると・・・

周囲を石材で補強された月の池と、石垣の波の威容が目に入ります。

結構な山の上に池があるのは珍しい。かつての飲料用と考えられています。

大手虎口は石垣が高く積まれた防御拠点。当時は石垣上に堅牢な櫓門が建っていたようです。

整然とした石垣は全てがオリジナルではなく、廃城後に放置されていた状況から1995年の発掘・調査を経て復元されたもの。
棚田のようにも見えます。


虎口を抜けると休憩所のある南曲輪が広がります。
日の池は勝利や雨乞いの儀式が行われた神聖な池と考えられています(祭祀用の遺物が出土)。

月の池と同じように石で補強され、飲料水用に井戸を2つ装備。
まさに井戸端会議的スペース。

南曲輪には金山城の模型が設置され、ここからは関東平野を一望。
遠く秩父山系の上には雪化粧姿の富士山が!

南曲輪にはスバルの前身、中島飛行機の創設者中島知久平(1884-1949)の胸像が眼下の市街地を見守っています。

中島飛行機は太平洋戦争時には陸軍系の隼(一式戦闘機)や鍾馗(二式戦闘機)、疾風(四式戦闘機:日本の戦闘機の最高傑作)を開発・生産。
海軍系では零式艦上戦闘機(ゼロ戦)用のエンジンも生産。
中島飛行機は戦後に解体され、現在のスバル(富士重工)や日産(一部)といった自動車メーカーの源流に。
また知久平さんは前田利為没後の旧前田侯爵邸(東京都目黒区)を手に入れて、中島飛行機の本社にしていた時期もあります。
相変わらず露出した岩の上を本丸へ

歴史の生き証人のような金山の大ケヤキは、推定樹齢800年。

昭和初期には7本あったそうですが、最後の生き残り。
本丸には新田神社が鎮座。

本丸から東方向には、筑波山がきれいに。

関東平野を全方向に眺望できるこの山は、お城を築いて睨みをきかすには絶好のロケーションだったのでしょう。
条件が揃えば東京スカイツリーも見えるそう。

本丸裏の残存石垣は、いわゆる野面積の築城当時の姿。
ここで本丸は終了。トレッキング用に山の北側へと抜けていくルートもありますが、今回の登城はここまで。

下山しながらよく見ていると、あちこち岩でゴツゴツしています。

中島知久平といえば、太田市はスバルの城下町(スバリストの聖地)、言い換えると昭和期から現在にいたる城主は六連星。
関東平野を眺めつつ地図で確認すると、山の麓(写真手前)の大きな建物はスバルの工場でした。その左側の尾根の向こうには、そのものズバリのスバル町があり本工場が鎮座。
写真では霞んでいて確認できませんが、さらにその向こう側(南側)には巨大な工場が2つほどあるようです。

金山城跡は歴史に興味がなくても展望スポットとしても楽しめる山城。
そして麓からは想像できない壮観な石垣を擁しています。
夜景も綺麗でしょうけど、駐車場はたぶん真っ暗。
麓のミュージアムへと下山します。
ガイダンス施設&地域交流センター

金山城跡ガイダンス施設は2009年の開館。
特徴的な外観を持つ建物は、隈研吾の設計。

北関東(栃木県や茨城県)では隈建築が多く見られます。
こだわりを持つ施主(予算潤沢?)は石材を、大多数はデコラティブに木材を使用し、訪問者の目を引く建物を量産している建築家。

このミュージアムのデザインは金山城の石垣をモチーフにしています。
外壁・内壁を化粧板が覆っていますが、他館とは印象が異なります。

外壁には石板を使用しているようですが、内壁は再利用されたような素材(タイルカーペットのような)がペタペタ貼られています。


石垣モチーフであれば、天井はやり過ぎか。


現存する最大の資料は廃城となったお城。
一方、ミュージアムで展示される資料類は少しさびしい印象。
まあ入場無料なので多くは求められません。
撮影は不可でしたが、岩松氏(由良氏?)のジオラマはよくできています。

展示ジオラマでは大手虎口が再現されています。櫓門というより小屋?

実際の場所と比較すると。

規模的には、板塀と柵で固めた砦的な要塞です。
日本各地のお城で枕詞のように使われる「難攻不落」ですが、
金山城はリアルに難攻不落。

馬場下通路の現在と昔。


体験学習室や会議室のスペースが大きくとられているのでミュージアム施設というよりは、最近よく言われる地域のハブ的な役割が大きいのかもしれません。また歴史だけでなく自然観察の拠点としても有効です。

城跡とミュージアム、どちらから見ても楽しめますが、本丸からの眺めは空気が澄んでいる早朝が良さそうです。
下山は10時頃でしたが、駐車場あたりには麓から登ってきたと思われるハイカーさんの姿がチラホラと。
実はガイダンス施設だけは、以前に見学した事がありました。
その時は時間が読めなかったので山城はスルー。
ただ実際に本丸まで上がってみると得られるコト(情報)は予想以上に多く、とりあえず体験してみる大切さを実感します。
詰め込み過ぎないスケジュールとある程度の体力は必要条件。

