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奥州よりもさらに北の伊達【白老陣屋&だて歴史文化ミュージアム:伊達家のトビラ6】北海道白老町&伊達市

旅はタイミングと運。もちろん長い旅程であれば、それなりにスケジュールのアウトラインは描きます。
いろいろな方々のブログではスケジュールの詳細な記事も目にしますが、実際には計画通りに進まないケースは意外とあります。
また道中で目に留まった気になるポイントをスルーするのは惜しい。
ノープランというほどワイルドではありませんが、柔軟に行動を修正できれば旅の濃度を高められます。たぶん(路銀の都合もありますが)。


最初の緊急事態宣言が解除された頃、仕事での調査も兼ねて東北を1周しています。取り合えず初日の宿泊地仙台から、反時計回りのルートでどう回ろうかなと考えていると、頭に浮かんだあるオプション。

ちょうど「ごちそうさまはヒンナ、ヒンナ!」とTVCMがやたらと流れていた時期 ・・・ フェリーで北海道に渡れるのでは!

調べてみると料金は車(1人込み:仙台-苫小牧間)で4~5万円ほど。

ちなみに仙台-青森間(約350km)の高速料金はガソリン込みで約1万円、プラス青森-函館間のフェリー代が2万円。

仙台から19時頃に乗船して翌日の12時ごろには苫小牧に到着(しかも快適な個室で1泊分込みの料金)。加えて移動の労力は大幅カット。
おまけに当時は宣言解除による旅行支援が始まったころで、割引されると2万円チョットというお得な素晴らしいオプション(支援関係の不正受給の摘発はいまだに続いてますけど)。

当然のように太平洋を北上するルートへと舵を切ります。
それが結果的に北海道と仙台藩との深いつながりを知るコトに。

遠く津軽海峡
左側が下北半島 右側に北海道

フェリー内のモニターでは、海洋上の現在地が表示。
スマホのGPSでも確認しつつ、デッキで眺めるのは本州と北海道の中間点。
朝方に通過した津軽海峡ではマグロの姿は見えず。

仙台藩白老元陣屋

白老町の人口は15,000人、周囲に広がる風景からはイメージしにくいそこそこの人口数。最初に覗いた駅前の観光案内所のスタッフさんが外国人だったのには驚きましたけど(外国籍の住人は約400人:町のHP)。

ウポポイ(駅前にある国立ミュージアム)の開館で観光客の増加を期待しての対応でしょうか? ただしウポポイの来場者数は当初100万人/年を目指していましたが、オープン当初から今も半分にも届かないというお粗末さ。

最初の目当ての白老元陣屋跡は、ウポポイから車で5分ほどの距離。

北海道白老郡白老町陣屋町681-4

1800年頃から徳川幕府は、南下するロシアに対する備えとして東北諸藩に蝦夷地警備を命じます(そもそもは蝦夷地は松前藩の管轄)。

一度は松前藩の管理に戻りましたが、1855年に再び諸藩に幕府より警備の命が下り、仙台藩は白老に拠点を置いています(現在では近くに自衛隊の駐屯地もあるので要所なのでしょう)。

山城跡のように痕跡は土塁と堀レベルです。
陣屋建物跡にはそれらしい目印がありますが、陣屋といっても砦のようなモノでしょうか。とはいえ道内最大規模。
1868年(明治元年)には戊辰戦争勃発のために伊達軍団は地元へと撤収。

思いを馳せる的な観光地としては、かなりの玄人向けの場所。
真面目にクマに出逢いそうな雰囲気あり。

陣屋は雰囲気だけ味わって資料館へ。

パンフ 2020年版
陣屋跡パンフ 2020年版

ベタ過ぎる政宗な甲冑のお出迎え。

元陣屋というのは陣屋の元締め的な意味で、常時120人ほどが駐屯。
択捉えとろふ国後くなしり根室ねむろ厚岸あっけしには出張でばり陣屋(各40人程度)が置かれたそうです。

伊達家は北海道東南部から千島列島にかけての気候風土が厳しく苦労の多かったブラックな土地を担当。

衝撃の展示

けっこうなスペースが割かれていたのが三好監物みよし けんもつ(清房)なる人物。
その説明を読むと北海道での最大の衝撃が。

三好家は阿波三好郡を本拠にした一族で、信濃小笠原家の庶流(新羅三郎義光系)。織田信長以前に足利将軍家を京都から追放して畿内を掌握した三好長慶ながよし(1522-1564)が一族の黄金期。
大阪の大東市や堺市周辺では三好家を大河ドラマに!運動が絶賛展開中。

解説パネルの説明では浪人中だった義元(長慶の養子義継よしつぐの子)が片倉小十郎(景綱か重長か不明)の口添えで政宗に出仕し、伊達家中の人に。
ちなみに片倉家は真田氏(信繁の子)や松前氏(松前藩主の子)といった大名クラスの血筋とも何故か縁があります(凄腕リクルーターか)。

時代は幕末に下って、監物さんは蝦夷で2代目御備頭として活躍(白老に陣屋を置くことを進言したのも彼)。明治維新で藩論が分かれる中で自領に隠居(勤王だったため)、後に自刃されています。

北海道での伊達家関連ネタはなかなかディープでしたが、さらに阿波三好の血筋が登場するとは全くの予想外。
ただし三好見たさにここまで来るのは、かなりのヘンタイかもしれません。

続いて伊達市へと向かいます(片道60kmほど、約1時間の距離)。
こちらは伊達宗家とはまた別の伊達一門ゆかりの地。

有珠山 @有珠山SA

途中に見えた有珠山は現役の活火山。
100年に1回ほど噴火していて、前回は2000年。温泉の恩恵も多し。

北海道駒ヶ岳と噴火湾 @有珠山SA

だて歴史文化ミュージアム

豪華な大手門的なモノがありますが、史実とは無関係。

なんの人形かは不明

伊達市は人口31,000人と道内では小さい方の市。
だて歴史文化ミュージアムは、体育館や図書館が集められただて歴史の杜の一角にある歴史博物館。

北海道伊達市梅本町57-1

ミュージアムには亘理伊達家から寄贈された大名道具類に加え、アイヌ文化を伝える品々を展示。
ミュージアムの裏手には旧伊達邸(迎賓館)が現存。

パンフ 2020年版
洛中洛外図展 チラシ
2020年9月-11月 @だて歴史文化ミュージアム

企画展の展示は伊達家らしい洛中洛外図を中心に。ただし伝来は宗家ではなく一門家のモノ。

伊達市の原型を文字通り切り開いた伊達邦成くにしげ(1841-1904)は、亘理伊達家の14代当主。父は岩出山伊達家9代義鑑よしのり

仙台藩は幕末の奥州列藩同盟の処分によって大幅減俸となり、亘理伊達家の所領は消滅します。
その後に家臣らと共に新天地を求めて北海道へと渡り、開拓に邁進(総勢約2,700人)。その功績によって男爵になっています。
どういう経緯か不明ですが殿様はクリスチャン。

福島県の伊達市は宗家が由来ですが、北海道の伊達市は亘理伊達の由来。

迎賓館 @だて歴史の杜

仙台の伊達邸を建てた大工・田中長吉を棟梁に建てられた和洋折衷の数寄屋風の書院造。開拓の視察に来た政府高官の接待に使用され、昭和30年頃まで伊達家が利用。1955年に伊達市へ寄贈(解説版より)。

旧三戸部家住宅 @だて歴史の杜

仙台地方の建築様式が取り入れられた明治5年着工の住宅。
移住初期の代表的スタイルで、手斧ちょうなで削って釘は不使用。
1969年にこの場所へ移築。
このスタイルで北海道の寒さをしのげるのか?

ちなみに邦成の実兄邦直くになお(岩出山10代:1834-1891)は当別町(札幌市の北東部)を開拓しています。その功績から孫は男爵に。

さらに片倉家(家臣が主体)も開拓組の一員で、札幌市の白石区はその出身地からの名残。

亘理わたり伊達家とは

家祖となる伊達実元さねもと(1527-1587)は、伊達家14代稙宗たねむねの子(つまり政宗の大叔父)。越後国主・上杉家の養子に入るはずでしたが、兄晴宗はるむねの反対で頓挫(これが原因で稙宗・晴宗の親子喧嘩が南奥羽を巻き込んだ天文の大乱に発展してしまいます)。
結果的に実元は、晴宗・輝宗・政宗の3代を支えることに。

養子の縁から上杉家の家紋竹に雀が伊達家へと贈られています。
ちなみに越後上杉家は長尾景虎ながお かげとら(後の上杉謙信けんしん)の主君筋。

(参考)上が竹に雀の家紋 @瑞鳳殿(仙台市)

実元の子が亘理伊達家初代の成実しげざね(1568-1646)。父が政宗の祖父晴宗はるむねの弟、母は政宗の父輝宗てるむねの妹。血縁近すぎ。

伊達家中では一門No.2の格式で、亘理を中心とした所領は24,000石。
片倉重綱が政宗の右腕なら、成実は左腕。政宗の主要な戦にほぼ参戦。
跡継ぎに恵まれず政宗の9男!宗実むねざねを養子に迎えています。

ちなみに伊達家以前に亘理の地を治めていたのは亘理氏(紛らわしい)。
亘理氏は武石胤盛たけいし たねもり(鎌倉幕府樹立に貢献した千葉常胤つねたねの子)が祖。政宗の好敵手ライバル相馬氏とは同族でどちらも歴史ある家柄。
伊達家の複雑な婚姻政策により、亘理家を相続したのが実元の弟亘理元宗わたり もとむね(1530-1594)(実元と同じく政宗の頼れる大叔父)。
そして元宗の孫娘が成実の正室(亘理御前)に。血縁複雑すぎ。

家臣団の再配置で亘理の地を離れた亘理家は、のちに涌谷伊達家と佐沼亘理家に分流しています。
他家を継いだ一門たちが連合を組んだのが伊達家の強みでしょうか。

市内の大雄寺だいおうじは、亘理伊達家の菩提寺・亘理大雄寺の末寺。
明治期に移住者の求めにより亘理大雄寺の住職によって建立。

実元と成実の霊廟は亘理に残されていますが、似たような廟が北海道にも。

立派なお寺の中には展示室もあります。亘理伊達家中の伝来品が多数。

侍たちの北海道 図録
発行:2019年 234ページ
伊達150年物語の会

大雄寺で入手した図録。
開拓使たちの歴史が多数の写真や絵図と共にまとめられた渾身の1冊。
各地で見られる自治体発行ではなく、有志の会によるもの。
伊達宗家や亘理伊達家の始まりから記されていますが、内容の65%は幕末から北海道開拓関係。片倉家や伊達一門筆頭の石川家についても記述あり。

伊達家を理解するのに最適なのがこのマンガ。

膨大な家臣たちも絵があればスーッと入ってきます。
北海道に渡った伊達家の祖・伊達成実は準主役。
伊達家中での亘理伊達家の位置付けも理解できます(マンガは政宗逝去で幕を閉じる大河ドラマ的構成)。

北海道に上陸できたのは3日間ほどでしたが、思いのほか興味深いコトが広がっていきます(伊達関係以外にも)。
最大の収穫は、北海道の距離感を実感できたことかもしれません。
雪の降らない地域とは違って、限られる移動可能な時期。
またそのスケールからは、移動の予算や時間設定に必要なある程度の計画。
クマの出没エリアは、もはや予測不可能ですけど。

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