御城乃口餅は奈良最古の和菓子屋から!:本家菊屋 奈良県大和郡山市
世界的に見ると、老舗と呼ばれる会社が多いとされる日本。
和菓子屋の老舗というと京都や江戸をイメージしがちですが、かつての城下町にはだいたい1つ2つは存在します(たぶん)。
奈良市や橿原市といった法律で指定された古都ではありませんが、今回は奈良県のほぼその界隈にある和菓子屋の記録です。
奈良市の南隣に位置するのが、82,000人と奈良県第4の人口を擁する大和郡山市。金魚の町として知られていますが、奈良市とほぼ一体化しているような双子都市。江戸時代には、大和の国最大の藩が置かれています。

大和郡山城

大和郡山城は、織田信長(1534-1582)に臣従し大和を平定した筒井順慶(1549-1584)によって、1580年ごろに築城されています。
1585年になると豊臣秀吉の弟秀長が入封。当時の秀長は大和、和泉、紀伊3ヶ国におよぶ100万石を領有。
お城は100万石大名にふさわしい居城として大拡張され、織豊大名の代名詞・立派な石垣や、現代にも繋がる町割りが完成。

秀長とその継嗣が没すると、秀吉はブレーンの1人増田長盛を配置。
しかし関ヶ原の戦いで長盛が改易されると、郡山は徳川家康の管理下とされ、以降は徳川譜代、親藩の居城に。
1724年には柳澤家が15万石で入封、統治は幕末まで続きます。
奈良県大和郡山市城内町2-255
明治維新後に城郭の建物は取り払われていますが、1983年の追手門にはじまり1987年にかけて、追手向、多聞、追手東隅櫓を復元。
立派な石垣は豊臣時代に築かれたものが多いようです。2017年に修復完了。

天守台は標高82mというけっこうな高さ。現在は展望台のように。
そもそも天守はそういう役割か。

豊臣秀長
大和郡山城を拡充した豊臣秀長(1540-1591)は、天下人となった豊臣秀吉の実弟。大和における経済の中心を、奈良から郡山へとシフトした人。
通称は小一郎。そして2026年大河ドラマの主役。
大和の国は中世以来守護不入の地。寺社勢力が強く、武家の支配が及ばなかった地域でした(実質興福寺の統治)。筒井氏の出自も興福寺の衆徒。
秀吉が最も信頼する親族とはいえ、そういった地域の統治を任されたのは、もちろん優れた秀長の内政能力ゆえでしょう。
秀長は郡山入封後の任官によって、大和大納言と呼ばれるように。
城跡には復元建築の他に、移築建築も。
二之丸にある城址会館は旧奈良県立図書館。

以前は奈良公園内にあったそうですが、1968年に書庫や付属屋を除き、本館のみが大和郡山へと移築。設計は奈良県技師の橋本卯兵衛。
柳澤文庫も同じく二之丸に。場所は本丸へと続く極楽橋の手前。

文庫は旧柳沢伯爵家の郡山別邸で、建築は1905年ごろ。
車寄せは東京にあった芝本邸から移築されたものを合体。
現在は所蔵する柳澤家の大名道具、藩の記録や郷土資料類の展示資料館に。

見どころはあるようでややビミョーな大和郡山城。残念ながら天守台から遠望できる奈良市内の寺社群ほどのパンチ力はありません。
しかーし、キラリと光る老舗和菓子屋があります。しかも秀長がらみ。
菊屋

本家菊屋は菊屋治兵衛により1585年創業された奈良最古のお菓子屋。
治兵衛は豊臣秀長に従って大和の国にやってきたそうです(どこから?)。
お店は市役所の真ん前にありますが、狭いままの道幅やヨソ者を阻む一方通行はいかにも城下町な雰囲気(市役所にもお堀の名残が)。
そして店舗は見るからに歴史ある趣。ちなみに駐車場完備。
奈良県大和郡山市柳1-11
パンフによると現当主は26代目の英寿(菊岡洋之)さん。
ちなみに豊臣家は短命政権だったので、残念ながら2代で終了。

建物は1854年の地震による倒壊後に、再建されたもの(江戸末期)。
パンフと同じアングルの下写真(&夏仕様)は2017年時のもの(その他は2025年)。店舗にほぼ変化が見られないのは、ある意味老舗ならでは。


店内にはイートインスペースもあって、写真はこたつを備えた冬仕様。
とはいっても、お店は戸が全開となったオープンカフェ状態。
一応軒先でも和菓子をいただけます。
老舗という敷居の高さはまったく感じません。

お店の方は「撮影してもOKですよ!」と。加えて「天井に収納されたお菓子の型も見落とさないようにね!」とご丁寧に。
飾られた展示パネルには、なにやら古い書物が(1813年刊行:菊屋蔵)。

内容は畿内の名物紹介のようですが、きっちり菊屋の看板商品も掲載されています。その名は300年前から知れ渡っているようです。

菊屋御自慢のお菓子はいくつかありますが、ここは鶯餅の一択。
大和郡山城主となった秀長は茶会で兄・秀吉をもてなすため、
「うみゃーお菓子を作ってちょーよ」(あくまでイメージ)
と治兵衛さんに命じます。そして天下人のため考案された新作のお菓子。
秀長の没年を考えると、おそらくお店の創業期のころ。

献上したのは、粒餡を包んだお餅にきな粉をまぶした一口サイズのお菓子。
これをたいそう気に入った秀吉は、鶯餅と命名(鶯餅のオリジン説あり)。当時は砂糖が希少で高価な時代。
そして店舗が郡山城の大手門前にあった事からこの逸品は御城之口餅と呼ばれ、そのブランドは400年を超える歴史を更新中。
現在も原料は丹波 or 北海道産の小豆と近江産のもち米を使用し、きな粉は貴重な青大豆(国産)。スペシャルパッケージは大河ドラマにあわせて。
このお菓子を食べないという選択肢はありません。
そして食レポはなし。400年の歴史の意味は食べれば分かります。
観光地用に開発されたお菓子とは、明確な一線を画した逸品。
ちなみに御城之口餅は、公式HP上からのネット注文も受付中。これも老舗。
お菓子は冷凍状態で発送されるようです。
解凍後の賞味期間は3日ほどと短め。
以前に奈良県のアンテナショップで発見して購入した事がありますが、その時も冷凍状態でした。
ただお店に足を運んで入手した方が、美味しいこと間違いなし(店構えのせいでしょうか?)。

秀長の家臣には小堀遠州の父正次も名を連ねていました。また天下人と千利休の関係からすると、当時の茶席でも御城之口餅が彼らの口に入ったはず。

また菊屋には、江戸期の藩主柳澤堯山(保光:1753-1817)が残した「一口残」の書が現存。



見ていた限りでは、地元のお客さんが目立っていました。
観光客は店舗外観の撮影のみで、お菓子には興味を示さず。
2026年は・・・ どうなる菊屋?
総理大臣のようにフル回転かも。


個人的には近くまで来れば、寄らない選択肢はありません。
店先で軽く食べるもよし。また道中のお供としてストックするもよし。
ただ2026年は、やや入手困難になるかもしれない御城之口餅。

