伝統とモダンをインテグレート【原美術館ARC:磯崎新2】 群馬県渋川市
伝統と革新。なんだかカッコイイフレーズです。
「昔変わらぬ方法で、これからも作り続けていきたい」老舗企業の常套句。
一方で「時代と共に進化あるいは変化していかないと生き残れない」とも。
どっちやねん! というか、どちらも正論でしょう。
美術の世界でもその絶妙な塩梅(バランス感覚)が大切(たぶん)。
伊香保温泉で知られ、足利氏一門の所領だった群馬県渋川市。関東平野の北西端に位置し、人口は71,000人と県内では真ん中あたりの規模の市。
最近やたらとニュースになるクマ出没ですが、渋川市周辺もその渦中。
いよいよ関東平野も彼らのテリトリーと重なるエリアに。
今回は群馬県の風光明媚な山裾にある美術館の記録です。
気持ちの良い場所ですが、公共交通の便はビミョーかもしれません。
美術館へはドライブスルー的なチケット売り場を通って。
ちなみに美術館は、広大な牧場のようなテーマパークの一部。

原美術館ARC
原美術館ARCはアルカンシエール美術財団により設立され、伝統的な日本美術と現代美術がミックスされたコレクションが特徴のアートミュージアム。
財団の名称はフランス語の虹から。定冠詞を付けると日本のロックバンド。

入口にはジャンミシェル・オトニエル(フランス:1964- )の Kokoro(2009年)と多田美波(1924-2014)の明暗(1980年)がお出迎え。
美術館の源流は、1938年東京品川に建てられた実業家原邦造邸。
自邸をミュージアム化し、1979年に開館したのが原美術館。

原邸を手掛けたのは、東京国立博物館本館や尾張徳川侯爵邸を設計した渡辺仁(1887-1973)。
トーハクとは随分とテイストが異なる建築です。

1988年、群馬渋川に別館として開館したのがハラミュージアムアーク。
加えて2008年には、特別展示室として觀海庵が増築されています。
残念ながら2021年に原美術館は閉館され、美術館施設は渋川に統合。
つまり、原美術館+ハラミュージアムアーク=原美術館ARC。
うまい事まとまったなと思ったら、手持ちの統合時のチラシには・・・

そのまんま! まさかのパクりに。


約1,000点の収蔵品は、絵画、彫刻、写真、映像、インスタレーション等々と古いモノから新しいモノまでラインアップ。
構成するのは、
・明治期の実業家原六郎(1842-1933)の古美術
・昭和期の原俊夫(1935- )の現代美術
の両コレクション。
原俊夫は財団創設者でもあり、六郎の曾孫、邦造の孫にあたる人。
群馬県渋川市金井2855-1

渋川の美術館設計は磯崎新(1931-2022)。
プリツカー賞を2019年に受賞したポストモダンの人。
故郷の九州・大分には多くの作品が残り、群馬県内では県立近代美術館も手掛けています。

訪問時の企画展は「この、原美術館ARCという時間芸術」。
展示室内には撮影可と不可が混在していましたが、展示リストにカメラマーク(撮影可能)がついていて親切です。

展示室はABCと3室。加えてやや離れにある觀海庵。
ABCの入り口部分に置かれているのが、
大阪の人三島喜美代のNewspaper-84-E(1984年)。

1984年8月31日のニューヨークタイムスが転写された焼き物。
東京からの移住組の1つ。
ギャラリーAから展示品をいくつか。

山本糾(1950- )の落下する水シリーズ(1988/1994年)
と
杉本博司(1948- )の海景シリーズ(1989/1990年)

ちなみに杉本さんは自身の著書で、原美術館ARCと設計した磯崎新の事をベタ褒めしています。
続いて李禹煥(韓国:1936- )の風と共に(1990年)
よく分からん。

ギャラリーBのメイン?はソフィ・カル(フランス:1953- )のインスタレーション(撮影不可)。
まったく分からん。
そして現代美術ではよく見かける奥州弘前の人奈良美智(1959- )。

マイ ドローイング ルームは、東京の原美術館で開催された奈良美智展(2004年)で制作、そのまま東京で常設されていた作品。
こちらも渋川への移住組。

作家のアトリエを再現したとされ、制作活動の痕跡があちこちに。
作品のキャプションを超意訳すると、奈良美智の脳内が3D化されています。

作家は時々美術館に訪れては、少しずつ変更を加えたそうです。
現在も進化中か?

東京の原美術館で閉館前に手に入れたパンフには、当時の作品写真が掲載されていますが、現在のレイアウトとはまったく違います。
と言いつつ、そもそも東京の展示会場での記憶は消えていますが。
ギャラリーCの作品は、全て撮影不可。
いわゆる難解な作品が並び、フーンというカンジ。
ここにもソフィ・カルの続編部分。
ギャラリーABCから觀海庵へと向かう通路にも、いくつかの作品が。

何だろうと近づくと、
遠州浜松の人鈴木康広(1979- )の日本列島のベンチ(2014/2021)。

スケールは30万分の1で、方位は実際の日本と同じ設定。
グーグルマップの航空写真で確認してみると、確かにそんなカンジ。
そして日本の主要4島の中心を渋川と見なし、この美術館の中心に配置。

同心円状のパターンは、伐採されたモミの木がモチーフ。
キャプションには現代美術らしく作品の様々な意味づけが羅列されていますが、まさに現代美術の個人的モヤモヤポイントの中心。

日本海側のどこかで見たのが、視点の異なる日本地図。
それはこういう目線。

名付けるなら
「ピロシキの国あるいはチヂミの国から見た、日出ずる国」
目当ての觀海庵に向かいます。
とにかくノワールな世界が広がる建物。

觀海庵は、原六郎(原俊夫の曽祖父)の雅号にちなみ命名。

磯崎新による扁額らしいです。達筆!
展示室は書院風の内装。ABCギャラリーとは空気が変わります。

展示室内の花鳥図屏風(六曲一双)&花鳥図(4幅)は、個人名ではなく狩野派とざっくりした作家名による2点。

原美術館には三井寺旧日光院客殿障壁図が所蔵されていて、その中には永徳や探幽作のパートも。展示品もおそらくその一部。
解説によると、1892年に財政難だった三井寺から日光院客殿を建物ごと買い取り、自宅庭園内に移築したのが原六郎。豪快過ぎる人です。
ちなみに建物は1928年に東京・護国寺へと寄進され、月光殿として現存。
現在は通常非公開の重要文化財建築!
花鳥図の脇には、甲斐の人須田悦弘(1969- )の枇杷(2000年)。

知らないと多分見落とす紛らわしいヤツ。
花鳥図と相対するように配置されていたのは花鳥図屏風。

狩野派に挟まれるように展示されていたのは寿老草花図。

江戸琳派の人酒井抱一(1761-1829)の作と伝わります。
ここからが原美術館の独特な世界。
どう解釈するべきでしょうか?
外国人にはありがちに思えるセンスかもしれませんが。

信州松本出身で水玉の人草間彌生(1929- )デザインのケータイが3種。
実は2009年に発売されていたKDDIのガラケー(リストでは2011年制作)。
ハンドバックは1,000台限定。

箱入りケータイとワンコはそれぞれ100台の限定。

見ていてすぐに何なのかを理解できたのはリンリンだけ。
本人の過去作品をモチーフにした3機種のようです。
当時1年で一気に低下するケータイの価値を補完するためのたくらみか?
電話機能には全く影響しませんが、なかなかの価格設定。

そして同じベクトルかと思ったのが青磁鳥形水指(高麗時代)。

展示リストにはありませんでしたが、後ろのアレはやっぱりあの人か?
ちなみに今回未展示だった青磁下蕪花瓶(国宝)は、コレクションの目玉。
意味がよく分からなかったのは関ヶ原御陣図(作者・時代不詳)。
始まりは東軍徳川家康方の三河譜代衆プラス真田信之。

そして信州上田城へと駆ける徳川秀忠のメッセンジャー。
中山道を関ヶ原へと進軍途上の徳川本隊と分かります。

という事は・・・
徳川隊を待ち受ける真田幸村(信繁:信之の弟)。

西軍となった真田昌幸(信之&幸村の父)と幸村親子は、居城・上田で徳川隊(信之含む)を迎え撃つべく準備万端。
一方、信之の居城・沼田では小松姫(信之正室:本多忠勝の娘)が籠城中。
小松姫は、城に立ち寄ろうとした昌幸・幸村親子を城には入れず。

その父・本多忠勝は、関ヶ原でまさに布陣中というストーリー。

史実では中山道の徳川本隊は上田の真田親子に足止めされて、関ヶ原本戦には遅刻するという失態を演じた天下分け目での一幕。
わずかに原美術館ARCと上州沼田という関連性からの展示か?
ややヘタウマなタッチからは、薄めの緊張感。
通路にも配置された作品が。
黒いスペースに白が映えますが、改修時の忘れ物のようにも。

不完全な立方体(1971年)は、ソル・ルウィット(アメリカ:1928-2007)の作品。こちらも移住組。

やはりのよく分からない系。
東京の原美術館が閉館したのは、老朽化が理由の1つだったと思います。
またその時期は、例の流行り病の真っ只中。
所蔵品よりは渡辺仁設計の建物目当てだった事、また展示室内が撮影不可だった事もあり、展示品で覚えているのは宮島達男のデジタル的な作品のみ。
ただ渋川での作品展示は、東京よりも相性が良いような印象。
ちなみに美術館のHPには、わずかに東京の情報が残っています(ちょっと前のグーグルマップの航空写真では、建物の土台が確認できていましたが)。

屋外展示
よく把握していなかったものの、屋外展示もブラブラ。
美術館から遠く東側に見えるのは赤城山。
某マンガでは高橋兄弟のテリトリー。
そして不自然な銀色の輝く物体。

銀色はオラファー・エリアソン(デンマーク&アイスランド:1967- )の手による作品、SUNSPACE FOR SHIBUKAWA(2009年)。
それは太陽の軌跡を視覚的にとらえるという定員5名の観測所。

入り口部分にはまさかの・・・

こちらはたぶん本物。グーグル画像検索ではヒナギク。
芝生エリアには所々小さな花が群生していて歩くのに少し気を遣いました。
ただコレは自生ではないように思えます。知らんけど。

観測所内は常に表情を変えるあたりが現代アート的なアプローチ。

足を運んだのは5月でしたが、暑くなってくるとある意味拷問部屋かも。

そして注意書きには、雷雲の発生時には近づかないようにと。
このあたりは落雷の多発地帯。
美術館の西側にそびえるのは榛名山。
某マンガでは藤原とうふ店が超絶ドリフトしているエリア。

移住組も多い屋外展示
東京では庭園に展示されていた移住組の作品たちは、広々とした芝生スペースにも解き放たれています。
手前に見える四角い石4個と鉄板1枚は、再びの李禹煥作品。

関係項(1991年)は秘密の出入口を思わせますが、仕掛なしの置物。
東京でも芝生に置かれていたようです。
そして鳥取では収蔵に関して議論を巻き起こした人の作品。
アンディ・ウォーホル(アメリカ:1928-1987)。

ココではとにかく目立つ3mの巨大トマトスープ缶(1981年)。
しかも世界中に3つも存在するという驚きの巨大缶。
だからどーした的な逸品ですが、集客のフックになるのであれば、それはそれでよろしいかと。
その効果については、もう少し長い目で見たいものです。
よーく見てみるとインパクト強めな作品は、メナッシェ・カディッシュマン(イスラエル:1932-2015)のプロメテウス。

ギリシャの神プロメテウスが生きたまま鷲に肝臓を食べられたという神話をコールテン鋼で表現。

西洋アートはその背景知識が乏しい事もあって、まだ未知の分野。
調べてみても、何となく話が分かるような分からないような。
西洋の人たちが、仏教美術を見る時はそうなのかもしれません。
非常に紛らわしいのは限定と無限定(1985年)。
古郷秀一(1952- )は下野益子の人。

工事途中の壁ような作品は、またそのタイトルもよく分からない系。
こちらもコールテン鋼を使用。
錆で錆を防ぐという禅問答のような特性を持つ素材。
トマトスープと秘密の出入口の間に突き刺さった物体も移住組の1つ。
イサム・ノグチ(アメリカ:1904-1988)の物見台(1959-1981年)。

一見、いろんな穴が開いているだけのような鉄骨でしたが。
実は素材はコールテン鋼ではなく、アルミニウムに亜鉛メッキ。
作品名は東京よりこの立地の方がしっくりきます。
統合によって展示作品はさほど違和感なく充実した原美術館ARC。
現代美術というカテゴリーは寛容な特性を持っているのかもしれません。

2024年に移住したい県No.1に輝いている群馬県(NPO法人ふるさと回帰センター調べ)。自然に恵まれ東京都心からのアクセスも良好、また県知事によるアピールでは自然災害の少ない地域。
ただ個人的には、夏の猛暑傾向とクマ出没エリア拡大は楽観視できません。
移住してきた屋外展示アートたちの居心地はどうなのでしょうか?
文字通り、伝統とモダンの架け橋(ARC)になりつつあるミュージアム。

