近江源氏の遺した現存天守と仁清コレクション【丸亀城:京極氏】香川県丸亀市
お城めぐりの道しるべとして日本100名城、あるいは続日本100名城というカテゴリーがあります。何をもって名城なのかはよく分かりませんが、日本全国を網羅するスタンプラリーに引き寄せられる方々は少なくありません。
中でもヴィジュアル的に分かり易いという点では、天守閣の有無は非常に重要。しかも江戸時代からの現存天守は、わずかに12城という希少性。
また個性豊かな各お城のパンフレットからは、地元の力の入れ具合(コストや地元愛)も見えてきます。
ちなみに全国のお城では、スタンプにとどまらず「御城印」もここ数年のトレンドです。個人的には際限のないお手軽課金のようにも・・・
香川県第二の都市・丸亀市の人口は107,000人(微減傾向のほぼ横這い)。
かつての讃岐国(香川県)の区分は、東讃に西讃と非常にシンプル。
東の中心は高松、西の中心が丸亀と江戸時代には2つの藩が統治した地域。
現在では瀬戸内海の小豆島や塩飽、直島諸島も香川県域です。
農業用水の「ため池」や富士山のような形をした小さな山が点在する事も、別名うどん県の景観的な特徴。

丸亀城

豊臣秀吉から讃岐一国12万6千石(のちに17万3千石)を与えられた生駒親正(1526-1603)は領国東側の高松、西側の丸亀に築城します。
丸亀城は標高66mの岩山を利用し四方に高石垣をめぐらせ、築城に要したのは1597年から5年もの歳月。
1615年に幕府から一国一城令が出されると生駒氏は丸亀城を廃城扱いとしましたが、樹木で建築物を巧みに隠蔽したとも。
生駒氏がお家騒動で秋田へ改易されると讃岐は東西に分割統治される事となり、1641年に山崎氏(5万3千石)が幕府の許可を得てお城を再建。
そして1658年には京極氏(6万石)へと城主は変遷します。

大手口には小ぶりな大手二の門(高麗門)と鉄壁の一の門(太鼓門)によって桝形が形成されています。ともに重要文化財。
桝形は敵を三方からボコボコにするという、織豊大名の鉄板防御形態。
ちなみに大手口は1670年、城の南側から現在地(北側)へ移転しています。


一の門をくぐり振り返ると、城内側の窓はわずかに1つ。
また豪壮な構造材が露出しています。

香川県丸亀市一番丁
あいにくの天気でしたが、天守へ向けてスタスタ進みます。
一の門をくぐると天守方向へ向かう道はぐるりとUターン。
その先に続く見返り坂の長さは150m(雨のせいのスタスタで写真なし)。
けっこうな勾配ですが、坂を上り切って右折した先がようやく三の丸。
階段ではなくずーっと舗装された坂が続きますが、けっこうな勾配のため路面が濡れていると下りは少し怖いレベル。
晴れていれば、体力作りのダッシュには最適な場所です。

織田信長、豊臣秀吉に仕えた生駒親正による石垣は、織豊大名のド真ん中。

三の丸から東南方向に見えるのは讃岐富士の飯野山(420m)。
そのスタイルは優美ですが、高さは平凡。

北側の瀬戸内海方向には瀬戸大橋(相変わらずの天気で視界悪し)。
遠くに望む塩飽諸島から城の石材は切り出されました(見にくいけど)。

かつては櫓群に囲まれていた二の丸ですが、現在建築物はありません。
天守しか目に入らないので、スッキリ潔いともいえますが。

そして本丸。ここから四方を見渡せます。
西側に見えるのは、2018年の豪雨被害により崩落した石垣の修復作業。

復原された箇所は色調が異なります(たぶん)。

北西方面には巨大な造船ドックが。調べてみると隣国伊予の今治造船。
もちろん本拠地愛媛県にも拠点をお持ちですが、讃岐にも日本最大級のドックが完成したのは2017年の事。お殿様にも衝撃!

北側には市の中心部が広がります。右手前に見えるのが現代の政庁群。

かつての丸亀城の本丸、二の丸には櫓群が林立していました。
模型では大手口から一直線の見返り坂とその先の急勾配も正確に再現。

丸亀市立資料館には、生駒、山崎、京極それぞれの時代の絵図が展示されています。下図は約200年続いた京極時代のモノ。模型とほぼ同じ。

丸亀城でも数少ない建築物の1つ天守へ。

天守は高さ15mの三層三階建て、現存12天守の1つ。
また四国には現存天守が4つありますが、四国最古は丸亀城(1660年)。
当然のように重要文化財です。

千鳥破風と唐破風が控え目に。
現存天守の鉄板ネタは急勾配の階段。すこし傾いたハシゴとも言えます。

構造材に通し柱はありません。


天守からの眺めでは、港の向こうに見える塩飽諸島の姿もやや明確に。
右方面には瀬戸大橋もかすかに。

三の丸の南側には、1933年に延寿閣と貴賓室の別館が移築されています。
延寿閣は6代藩主高朗のかつての隠居所。
また別館は京極家江戸藩邸の部材を利用した歴史ある建物です。
残念ながら延寿閣自体は老朽化のため1985年に解体されていますが、休眠中だった別館は新たな役割を得て生まれ変わっています。
城泊
今後の城下町観光において、大きな可能性を秘めているのが城泊。
平戸城の記録にはその一端を記しましたが、webページや現地の状況を見た限りの印象は少しモヤモヤが。
対して丸亀城のプランは、江戸時代の遺構の巧みな利用が美点。
そもそも城跡は史跡指定されているケースが多く、建物の大幅な改造や現代建築の新設には高いハードルがあります。
つまり手持ちのカードをどう利用できるのかが、このプランの肝です。
何よりも歴史を刻んできた本物に触れられるという経験は非常に大きい。
ラッキーな事に丸亀には、天守と延寿閣別館そして大名庭園があります。
宿泊プランではこれらを組み合わせて殿様ライフを再現。
2人1泊で約120万円と強気かつ破格な価格設定です。
それは非日常感は当然の事ながら、希少性の高い価値ある体験。
ざっくりした内容は、京極家ゆかりの延寿閣別館での夕食&宿泊、夜は閉館後の天守閣をバーラウンジとして楽しむお酒。
翌朝は大名庭園での朝食と「ある日の殿さまの1日」的で唯一無二な体験のようです(朝からお城の上り下りは大変?)。
ちなみに庭園の中津万象園は1688年に2代藩主高豊によって築庭され、茶室を備えた御茶所を持つコンパクトな大名庭園。現在は美術館も併設。




万象園はお城から車で10分ほどの距離。
お城に戻ります。
本丸から見返り坂を下り、お城の西側にあった藩主居館跡へ。
御殿表門は藩主居館用の門で、江戸初期の建築。
そのそばには番所&長屋も。


丸亀市立資料館

現在の藩主居館跡には、丸亀市立資料館が鎮座しています。
資料館は1972年に開館したスタンダードな市立ミュージアム。
2017年にリニューアルされていますが、昭和感あふれる雰囲気はそのまま。
看板展示は歴代藩主家関係ですが、近年では重要美術品の脇差が目玉。


生駒、山崎、京極と歴代の藩主家が並びます。
スタートは生駒氏。信長、秀吉による全国統一事業の多くに関わった家。
丸亀統治は1587年から1640年まで。ただし本城は高松城です。

続く山崎氏はメジャーとは言えないかもしれませんが宇多源氏の一族。
丸亀城や前任地の天草富岡城、改易後の備中成羽城と、山崎家の関わった城の石垣群は織豊大名ならではの美しさ。統治期間は1641年から1657年。
1658年から幕末まで丸亀の殿様を務めたのが京極氏。
宇多天皇を祖とする宇多源氏(近江源氏・佐々木源氏)の中心的一族。
鎌倉期以来、近江国を領有した名門武家で、室町期には四職の1家として幕府の要職を務めました。戦国期の下剋上により一時没落。
室町期にはバサラ大名の京極道誉を輩出しています。
武だけでなく文においても高い教養を備えた一族。
安土桃山期の京極高次(1563-1609)は織田信長や豊臣秀吉に仕え、大津6万石を拝領して大名として再浮上。

高次は、妹(姉とも)の松の丸が秀吉の側室となった事で家運が開けます。
正室には初(淀殿の妹)を迎えて豊臣色が強くなりますが、関ヶ原の戦いでは一転して東軍の家康方に。その功により若狭小浜8万5千石へ移封。
ちなみに以降の京極家最盛期は、出雲松江での26万石!
初(常高院)(1570-1633)の両親は、浅井長政と市(信長の妹)。
いわゆる浅井三姉妹の真ん中。

小谷城(浅井長政:父)、北ノ庄城(柴田勝家:継父)、大津城(関ヶ原の戦い:京極家)、大坂城(豊臣家:姉)と4度の落城を目の当たりにし、戦国時代の終焉を見届けた人。
ちなみに初の妹江が家康の子秀忠(2代将軍)の正室となっていた関係で、大坂の陣での初は豊臣家と徳川家の交渉役を務めています。
そんな波乱万丈な歴史をくぐり抜けてきたのが丸亀京極家。
京極家に過ぎたるもの
江戸時代の狂歌で京極家を評したものに
「京極家に過ぎたるもの三つあり、にっかり、茶壺、多賀越中」
という1首があります。
にっかりは豊臣秀頼から拝領した脇差の「にっかり青江」、多賀越中は家老、そして茶壺は仁清コレクションの事。
京極家の丸亀初代は高和(1619-1662)。
そして高和と2代高豊親子は仁清のコレクターでした。
今では仁清コレクションは京極家の手を離れ散逸していますが、各地の有名美術館で目にする事はできます。手持ちの写真からいくつかをご紹介。
華やかな色絵牡丹図水指はトーハク蔵(重要文化財)。

水指は京極家のオーダーにより制作されたそうです。
トーハクは梅図の茶壺も所蔵。
野々村仁清(清右衛門)は、江戸前期の人で京焼の陶工。
その作品は巧みなろくろ技術と典雅な絵付けが特徴。
清右衛門が仁和寺の門前で窯を開いた事から名乗りが仁清に。
色絵吉野山図茶壺(重要文化財)は、京極家から岩崎家へ伝来。

京極家伝来と考えられていますが、黒い京焼はあまり見ないような気が。
そして仁清茶壺の最高傑作とされるのは色絵藤花文茶壺(国宝)。

重要文化財との差はよく分かりませんが、京焼の王道という構図や彩色。
京極家に詳しい図録はこちら
香川県立ミュージアムでの特別展図録ですが、図録のみ通販で入手。

編集・発行:香川県立ミュージアム
2012年 119ページ
京極家の歴史をギュッと凝縮した1冊(当然のように絶版)には、トーハク蔵の仁清2点がピックアップされています。
参考図版としてMOA美術館と静嘉堂文庫のほか、福岡市美術館、文化庁、出光美術館、根津美術館所蔵の茶壺たちも掲載されています。
MOAの国宝以外はすべて重要文化財というのも京極家コレクションの凄さ。
また現在はほとんどが東京に集まっているのも驚きの事実。
ミュージアム巡りの新たな切り口にも。
四国には数少ない名門武家によって治められてきた丸亀の地。
そしてそれほど規模の大きくはない6万石の城下町。現存天守は町のシンボルのような存在であり、別邸庭園はほどほどに適度なスケール。
歴史好きには申し分ありません。
派手さはないかもしれませんが、歴史の深みを持った本物に触れられるのがこのお城&城下町の魅力。

