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国宝天守を擁する赤備えの居城【彦根城:井伊家】滋賀県彦根市

江戸時代以前に築城された現存天守は、全国にわずか12城。
その中でも国宝天守は国内に5城。東から松本、犬山、彦根、姫路、松江。
お城ファンであれば、分かり易く目指すべきターゲットです。
今回は、仮想敵・豊臣家の東進を阻むために築城されたお城の記録。
お城の枕詞のように使われる「難攻不落」かどうかは、自らの足で要確認。


琵琶湖の東岸に位置する滋賀県彦根市の人口は110,000人。
近江国内では最大だった彦根藩の城下町として知られています。
滋賀県は県庁所在地の大津市こそ340,000人と突出していますが、他の市は10万人前後の規模(大津市の隣:草津市で14万人)。

備えには余念のなかった戦国時代の最終勝者こそが徳川家康とくがわ いえやす
その家康が最後の火種に備えるため、近江彦根に配置したのは井伊直政いい なおまさ
彦根城は伊賀上野城(三重県伊賀市:藤堂家)と共に、江戸幕府に対する西からの軍勢を受け止める事を想定した最前線のお城です(バックアップは名古屋城と福井城)。

彦根城

その井伊家が、佐和山城に代わる新たな居城として築いたのが彦根城。
近隣大名の手伝いによる天下普請によって、1604年から築城開始。
天守の完成は1607年頃、完成までには約20年と長い歳月を要しています。
伊賀上野城と同じく大坂の豊臣家に対する防衛拠点でした。

完成を急ぐため、近江で廃城となった佐和山城や大津城の建物や部材を積極的に利用した、今で言うSDGsなお城。
また城下町は湿地の多かったお城南側の土地を、琵琶湖にそそぐ芹川を利用しつつ低地は山を切り崩した土で埋め立てて造成。芹川は外堀兼用に。

そうして築き上げられたお城は江戸期を通じて井伊家の居城となり、明治維新後の廃城令のピンチは明治天皇の命により免れています。
その後は彦根市に寄贈され、現在に至ります。

佐和口多聞櫓

城郭の入口部分にそびえるのが佐和口多聞櫓(重要文化財:写真左側)。
1770年頃に再建された現存建築で、道路の上にはかつては櫓門が架かっていました(残念ながら櫓門は明治期に解体されています)。
ちなみに写真右側の多聞櫓(開国記念館)は、昭和期のRC造。

佐和口多聞櫓の内側は、現在は駐車場になっています。
さらにもう1つの濠をはさんで目に入ってくるのが彦根城の御殿建築。

駐車場脇に建つ地味な建物も、実は現存建築(重要文化財)。

馬屋&駐車場

全国的にも現存例のない大型の馬屋です。収容能力は21頭。
今で言うガレージの感覚でしょうか。

馬屋

濠に架かる橋を渡って入城します。
天下普請らしく石垣で固められていますが、単体での高さはそれほどでもありません。

最初の石垣を過ぎると、門番の代わりのチケット売り場が。

滋賀県彦根市金亀町1-1

パンフ 2023年版

遠江から近江へやって来た井伊氏

井伊氏は平安期の遠江とおとうみ井伊谷いいのや(現在の静岡県浜松市)を発祥とする国人衆。
初代井伊共保いい ともやすは井戸から生まれたとされる伝説の人。
戦国期には駿河今川氏に苦汁を飲まされた井伊氏ですが、三河松平氏の家臣となって頭角を現した井伊直政いい なおまさ(1561ー1602)が飛躍のキーパーソン。
直政は徳川四天王の1人に(最年少)。

戦国大名武田氏滅亡後には武田旧臣たちや家康の寄騎が付属され、他家から「井伊の赤備え」と恐れられた炎の軍団を構成。
また有能な外交官としても家康に重用された切れ者でした。
ただし家臣たちには、かなりブラックな主君だったようです。

家康の関東移封では上野こうづけ箕輪12万石、のちの関ヶ原の戦いでは武功により近江18万石を拝領(のちに加増されて、最終的には35万石に)。
また老中の上位となる大老を輩出する別格な家に。

ちなみに現当主は18代井伊岳夫たけお(直岳:1969- )さん。彦根市役所の人。
17代の婿養子として旧領主家を継がれていますが、市長ではありません。
市長をはじめ上司はやりにくそうな環境にあるのかも。

それでは本丸へ向かいます。

天秤櫓

坂をズンズン登っていくと見えてくるのが天秤櫓。
彦根城のチャームポイントの1つ。

天秤櫓は長浜城からの移築とされる現存建築です(重要文化財)。
戦時には接続する廊下橋を切断して防御力をアップする構造。
本丸への通路は、くるりとUターンするようにレイアウトされています。

天秤櫓

ちなみに櫓デザインは天秤のような左右対称ではありません。
また石垣の積み方も、改修時期の違いによって左右に違いが。

天秤櫓

櫓内部も見学可能でしたが、特に特徴もなく・・・

ただ櫓からの眺めは素晴らしく、眼下に見える御殿の屋根は壮観!
東側にそびえるのは佐和山。

天秤櫓を出て、再び本丸へと進みます。
天守がチラリとのぞくのは太鼓門前。

太鼓門

太鼓門&続櫓は、どこかの城門あるいは寺院の山門を転用移築されたと考えられている現存建築(重要文化財)。

太鼓門&続櫓

表側は無骨ですが門をくぐって振り返ると、建物背面には外廊下を設置した特殊な造りが見て取れます。こちらも内部は見学可能物件。

太鼓門背面
絶賛公開中

本丸へ到着です。入口から本丸まではそれほど距離を感じません。
特徴ある現存櫓や門が、ちょうど良い気分転換になるからでしょう。

そしてゴールの国宝天守。時間が合えばひこにゃんが出迎えてくれます。
初見の印象は意外と小さい!

天守

国宝天守は大津城からの転用移築とされています。
加えて5階4重から3階3重へと減築されたリデザイン。

駐車場スタッフさんの話によると、お客さんが多い時の天守入場は1時間待ちも珍しくないそうです。サイズがサイズなので仕方がありません。

現存天守特有のハシゴのような階段を上ります。
梁は割と自由な感じの部材を巧みに使用。完全に現場合わせな仕様。

天守からの眺めは悪くはありませんが・・・
彦根市中心部は一望できます。駅のそばに建つ東横インが目立ちます。

市街地側

一方の琵琶湖側はやや微妙な景色。
実は琵琶湖の最寄りは本丸ではなく西の丸。そちらにも櫓はあります。
写真では森の上にかすかに屋根が。

琵琶湖側

西の丸三重櫓&続櫓は、お城の西北隅にある現存建築物(重要文化財)。
西側の守りの要は、小谷城からの移築説もあるそうで。

三重櫓&続櫓

こちらも絶賛公開中物件。

築城初期には筆頭家老の木俣家(1万石)の仕事場だったそうです。
家老のお仕事は離れのオフィスで。怖い上司の顔を気にする事もなく。

この位置でも琵琶湖まではやや距離があります。
グランドは市立西中学校。その奥には滋賀大学のキャンパス。
学生は上級家臣の扱いです。

高島方面

北西方向は長浜方面。
遠くに小さく見える白い建物が、長浜城そばにあるホテルでしょうか。

長浜方面

彦根城もまたトンビが似合うお城の1つ。

気持ちよさそうに上空を旋回していたかと思うと、櫓のてっぺんに留まってシャチホコのように周辺を警備中。

太鼓門

実はかなり昔の事ですが、本丸への経路で重要な機密情報を得ています。
それは太鼓門手前にある、時報鐘の茶屋でのお話。

時報鐘&茶屋

ちなみに解説板によると鐘は今でも現役で、1日5回時を知らせるそうです。
そして茶屋は鐘の管理小屋を改造し、聴鐘庵ちょうしょうあんと名付けられています。

茶屋のおかみの情報では、ひこにゃん(初代か初期か忘れました)の中の人は女子高校生(当時)が担当していたと!
あの独特の動きを定着させたのも彼女だそうで。なかなかのパフォーマー。

もう10年以上昔の情報なので、確かめるすべはありません。
またひこにゃんもビッグスターに上り詰めてしまいました。

唯一思い出すのは、ひこにゃんがお出ましの時にプレゼント満載のコンビニ袋を持った中年女性がやたらとまとわりついて、渡された袋の扱いに困ったひこにゃんの姿のみ。当時は警備スタッフもいなかったような。

御殿へ向かいます。

彦根城博物館

彦根城博物館は1987年の開館(前身は井伊美術館)。
現存遺構ではありませんが表御殿跡に外観復元する形で建てられ、この場所にマッチした風情を醸し出しています。
個人的にはお城より足を運んだ回数が多い場所。

彦根城博物館

建物の設計は早川正夫(1925-2013)。
MOA美術館にある黄金の茶室も手掛けた人。

RC造の御殿部分内部は、展示エリアの中心となる空間。
加えて藩主の公務時の休憩所と奥向きエリアは木造復元、庭園も古絵図をベースに復元されています。
元々表御殿にあった能舞台も紆余曲折を経て移築復元され、展示室に内包されるようにレイアウト。

井伊家に伝来した武具類、美術工芸品や文書類は約45,000点。
開館後の収集資料と合わせると約90,000点に。
27,800点におよぶ井伊家文書は重要文化財です。

2023年版

新旧パンフレットには微妙な違いが。

2010年版

井伊家といえば赤備え。導入部には伝来の武具が並びます。

朱漆塗しゅうるしぬり燻葦威ふすべがわおどし縫延腰取ぬいのべこしとり二枚胴具足(名前長すぎ)。
2代藩主井伊直孝なおたか(1590-1659)の所用です。

金箔押しの天衝脇立てんつき わきたての兜は、以降の藩主用具足のベーシックデザインに。
もちろん、ひこにゃんも採用。

2023年版パンフに採用されていたのは、こちらの具足です。
そして2010年版は直弼仕様(当日の展示はなし)。
ちなみに初代直政の兜は、実践重視のためか脇立なしタイプ。

井桁紋いげたもん金箔押旗印は大坂冬の陣で使用されたと伝わる旗印。

ちなみにこの時の井伊勢は豊臣方真田隊の挑発に乗ってしまいボコボコに。

所蔵品の白眉は風俗図(彦根屏風:国宝)。

彦根屏風

作者は狩野派説もあるそうですが、不詳。
毎年4-5月頃に公開されます。

平和な時代の武家のたしなみと言えば能。
井伊家には充実した能面や能装束コレクションも。そして能舞台。

能舞台

雅楽器は12代井伊直亮なおあきによる収集品。
よく見ると、かなり古い時代の楽器です。

しょうきり行円ぎょうえん作:鎌倉時代)

篳篥ひちりき玉振たまふり(室町時代)

篳篥

竜笛りゅうてき讃竹丸さんちくまる(平安時代)

竜笛

竜笛の名手だった村上天皇(926-967)の勅作。
下賜されたのは藤原道兼みちかね(961-995)。

琵琶(鎌倉時代)

琵琶

社交での重要なたしなみは茶の湯。

古芦屋こあしや立口たちくち松藤文平丸釜(筑前:室町時代)。

芦屋釜

竹寸切たけすんきり花生。

竹寸切花生

怡渓宗悦いけい そうえつ(大徳寺253世:石州流怡渓派)の手による花生です。

茶の湯と言えば13代の井伊直弼なおすけ(12代弟:1815-1860)。
安政の大獄を主導した大老として歴史に名を残しています。
そしてのちに桜田門外で暗殺された人。

茶の湯は石州流。自ら茶道具もデザインし、茶道の著作も残しています。
ここでは一期一会の人。

また直弼は、石州流新派も設立しています。
その入門者のための心得をまとめたのが入門記(重要文化財)。

入門記

井伊家は幕府中枢にいた事から、絵画も御用絵師作品からいくつか展示。
花鳥図は狩野安信筆。

花鳥図

狩野安信かのう やすのぶ探幽たんゆうの弟(中橋狩野家:1614-1685)。

扇面散図せんめん ちらしずは狩野永岳筆。 

扇面散図

狩野永岳かのう えいがくは、江戸ではなく京狩野家の人(1790-1867)。

藩主による作品は馬図。

馬図

10代井伊直幸なおひで(1731-1789)の作品は、狩野派テイスト。

雅な書跡は飛鳥井雅光による和歌懐紙。

和歌懐紙

飛鳥井雅光あすかい まさみつ(1794-1850)は蹴鞠の人。12代井伊直亮なおあきの師匠も担当。

ここからは木造復元エリアです。

復元され50年ほど経ちますが、経年感は少なめです。
手入れが行き届いているからでしょうか。

徳川家康は「非常時の先陣には藤堂家(津藩主:外様)を一番手、二番手は井伊家(譜代)」と遺言したとされています。
それは当時の藩主・井伊直孝と藤堂高虎が、家康からの信頼がずば抜けていた証拠でしょう(もちろん能力も)。お城の歴史とも符合します。

ところが幕末になると両藩は、幕府方ではなく新政府方の先鋒に立ち位置を変えてしまいます。これも歴史の面白さ。状況によって組織も変わります。

現存天守のあるお城の中では、1:国宝天守をふくむ建築物、2:大名道具類を展示するミュージアム、3:大名庭園(今回は触れていません)と彦根城の完璧なラインナップは比類ありません。加えてひこにゃん人気も。
全部まとめての見学には、時間だけでなく結構な体力も必要となる彦根城。

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