某県民はたぶん認めないであろう博多に集まる日本の〇〇〇発祥の地【承天寺&東長寺・聖福寺】福岡県福岡市博多区
ある所で目にしたヒト・コト・モノが、遠く離れた所でリンクしていく。
起点は茅ヶ崎で出会った川上音二郎。茅ヶ崎市美術館のある公園に建てられていた彼(夫妻)の記念碑。気になって調べてみると、音二郎は幕末の筑前は黒田藩御用商人の子。そしてお墓は博多の承天寺。
オッペケペー節が何なのかは今もよく分かっていませんが、承天寺を掘り起こしてみると何やらいろいろ出てきたのでまとめて記録。
九州最大の都市、福岡市の人口は1,670,000人。人口減少が進む日本にあって微増が続く稀有な街。そして現在は九州におけるアジアの玄関口。
その歴史は古く、飛鳥時代には遣隋使の日本側拠点。以降も半島や大陸の窓口を担い、世界的な視点では海のシルクロードの東の端。
中でも那珂川と御笠川に挟まれたエリアは博多と呼ばれ、江戸時代は武家の町福岡(那珂川以西)と区別された商人の町(イメージは中洲から博多駅周辺のエリア)。
現在の博多区という区分では、陸は鉄道の博多駅に九州道直結の福岡都市高速。海は壱岐・対馬(共に長崎県)はもちろん、朝鮮半島との船が往来。
加えて空は福岡空港からアジア&ハワイへ。
21世紀の博多は陸海空全方位をカバーしていて、アジアの玄関口と自称?するのも理解できます。
それでは発掘の起点となる古刹へ。
承天寺

萬松山承天寺は、宋から帰国した円爾(聖一国師:1202-1280)が1242年に開山した古刹で、臨済宗東福寺派のお寺。
スポンサーに名を連ねたのは宋の商人謝国明。
福岡県福岡市博多区博多駅前1-29-9
地図で見ると現在の境内は、承天寺通りで北東側(本堂)と西南側(山門、法堂)に分けられています。
通常は本堂の一般拝観不可のお寺ですが、まずは南側から。
足を運んだのは、なぜか和装女性の姿が目立っていた2024年。

開山の円爾は駿河の人。京都では東福寺を開山したお坊さんで、宋から持ち帰ったお茶の栽培を広め、地元駿河では静岡茶の始祖に。

さりげなくアピールされる博多祇園山笠発祥の地。
起源は円爾さんによる疫病退散の祈祷。


ぞろぞろと流れていく和装女性群に続いて北側の境内へ。


実は博多織のイベント開催日だったようで、和装率の高さはそれが原因。
ただ中に入れるのであれば、ビビる事なくズンズンついていきます。
そして門をくぐるとデザインの異なる3つの日本発祥の碑。
これらが博多由来の発祥の地を雄弁に物語ります。
まず一番右は満田弥三右衛門の顕彰碑。

満田弥三右衛門(1202-1282)は、円爾と共に宋に渡った人。
彼が織物を日本に持ち帰った事から博多織発祥の地に。
つまり今回のイベントの起点になっている人。
続いて真ん中の碑は、日本の饅頭発祥の地。
現在は本社を東京に移している超老舗和菓子屋とらやが所蔵するのが御饅頭所の看板。それは円爾さんが饅頭の製法と共に、博多の茶店の主人に与えたモノ(1938年にとらやの元へ)。
そして碑は御饅頭所看板のフォントをコピー。
実はとらやの記事を2024年10月に書いた折に、看板にも触れています。
ただ承天寺訪問はその1ヶ月後。話としてリンクできたのが今回。
ちなみに山笠の時期には祇園饅頭が期間限定で販売される博多(販売は博多の老舗和菓子屋3店のみ)。
そして一番左にある碑が、諸説ある饂飩・蕎麦発祥の地。
円爾さんは宋から製粉技術、いわゆる粉もの系も持ち帰っています。
タモリさんも当然のように主張する「日本のうどんの発祥は博多!」。
またリアルに福岡でよく聞く話は、地元の人はラーメンよりうどん!
讃岐の人とは永遠に分かり合えない歴史の1ページ。
話を承天寺に戻します。




塀の向こうに方丈を確認しつつ、正面に見える玄関はおそらくVIP用。
その右手にある庫裡が一般ピープル用の入口。

写真では人がほぼ写っていませんが、本堂内にはあふれる和装軍団。


本堂前の洗濤庭は禅寺鉄板の枯山水。
拝観不可の日であれば、庭園は方丈門から覗ける程度のようです。

方丈の裏側にもお庭があるようです。川上音二郎のお墓もそちら側だったようで、お墓や開山堂には近寄れず。

弥三右衛門さんのおかげなのか、運よく拝観の機会を得た承天寺。
そして明確に記憶に残るのは、博多織アンケートへの回答。
それが1年後の音二郎さんをきっかけに、点が線へと繋がっていきます。
このエリアには承天寺以外にも、奈良や京都に劣らない古刹があります。
続いて博多の奥深さを伝える周辺のお寺をサラっと。
承天寺通りが北西で突き当たるのは福岡城跡(大濠公園)までまっすぐ続く国体道路。承天寺から道路を渡って左斜向かい方向にあるのが東長寺。
東長寺

東長寺は806年に中国から帰国した空海(弘法大師:774-835)が創建した最初のお寺(真言宗)。空海さんは讃岐のうどん発祥伝説にも大きく関わる偉いお坊さん。そして今も高野山にいるとされる怖すぎる人。

江戸時代に荒廃していた東長寺を再興したのは、藩主の黒田家。
境内西側には2代藩主忠之をはじめ3代光之、8代治高の墓所が。
ちなみに忠之は黒田騒動の主要キャスト。
境内にはビジュアル的に目を引く五重塔があるせいか、外国人観光客が多数。ただし塔自体は2011年完成の新しいモノ。



その東長寺の裏側にあるのが聖福寺。
聖福寺

安国山聖福寺は1195年建立の日本最初の禅宗寺院。
開基は源頼朝(1147-1199)、開山は明庵栄西(1141-1215)。
栄西さんは臨済宗の祖で、2度も宋に渡って禅を学んだというこれまた偉いお坊さん。後には京都で建仁寺を建立しています。
ちなみに聖福寺は後に、建仁寺派から妙心寺派へと転向。
栄西さんは帰国時に茶を持ち帰り、国内でも栽培を始めてその効用を広めたという全国的茶祖。当時のDNA?が境内に。

栄西さんが持ち帰った茶を栽培した霊仙寺(茶栽培発祥の地:佐賀県吉野ヶ里町)から、自生するゆかりの茶の木が2008年ココに移植されています。
ここでお茶とは深い関係にある臨済宗をまとめた1冊を。
鎌倉や京都はもちろん、承天寺や聖福寺も網羅されています。
豊富な写真で庭園や建築まで臨済禅の歴史を全方位。
聖福寺に戻ります。
荒廃した博多復興のため、安土桃山期に新たに町割りを指示したのは豊臣秀吉。現在の聖福寺の伽藍配置は、1589年当時の領主小早川隆景による復興のもの。勅使門から山門、仏殿、本堂と一列に並んでいます。

復興の名残はデザインのアクセントになっている博多塀に見られます。
博多塀は戦火で焼け残った廃材(石や瓦)を埋め込まれた土塀の事。
モチーフは、熱田神宮(愛知県名古屋市)に現存する信長塀か?
江戸時代に聖福寺の住職を務めたのが仙厓義梵(1750-1837)。
ユーモアあふれる書画を残した〇△▢の人。
境内の西側にある開山堂のそばにお墓があります。
お墓へ門の扉を開けて入ろうとすると、お庭を手入れしていた方から
「そっちは何もないよ!」と声を掛けられました。
「仙厓さんのお墓にお参りに」と答えると、ニヤリと笑っていたおじさん。
意味はよく分からず。そういう人は少ないのかも。

ちなみに承天寺で出会った満田弥三右衛門のお墓は、聖福寺にあります。
これまた開山堂のそばにあったようです(当時は気づかず)。
福岡藩について俯瞰的にまとめられた書籍はコチラ
福岡出身の著者によってまとめられた、江戸時代の筑前の歴史。
黒田家を中心に、武家の福岡と町人の博多それぞれも解説。
仙厓さんはもちろん黒田家領内の文化人・商人まで網羅した1冊。
ここで古刹巡りは終了。
おまけで国体道路に戻ってさらに西(中洲方向)へと向かいます。
徒歩10分程度の距離にあるのが、博多うどんの老舗かろのうろん(1882年創業:「ろ」は「ど」のなまり)。
ここに限らず、うどん屋さんで地元勢がよくオーダーしているのはごぼう天(ごぼ天)。またかしわのにぎりもマスト。
サクサクだのもちもちだのこまい食レポは不要な世界。
ちなみにチェーン系のうどん屋はウエスト。福岡県外でも見かけます。
かろのうろんのすぐ北側には、博多総鎮守で山笠の拠点となる櫛田神社。
そして川を渡ればもう中洲。その先は福岡の中心・天神という位置関係。
以上、オッペケペーから始まった今回の歴史発掘。
そして日本の〇〇発祥の地があれこれ出てくるディープな筑前の国博多。
これも古くからの異国との窓口という歴史の深さの為せるワザ。
諸説あります!はモヤモヤポイントにもなり得ますが、真実にたどり着けなかったとしても、それぞれが重厚な歴史の1ページ。
