「細川家の日本陶磁」から関口教会と細川侯爵邸【永青文庫4+丹下健三+和敬塾本館】 東京都文京区
かつて「美術の殿様」と呼ばれた人がいました。旧大名家のご当主ですが、明治以降の方なので正確には殿様ではありません(男爵から侯爵に)。
家伝来の所蔵品だけでなく、自らも中国の工芸品や日本刀を蒐集。
日本絵画では同時代を生きた菱田春草の「黒き猫」や「落葉」(ともに重要文化財)のコレクターとして知られています。
今回のミュージアムは再びの永青文庫。
永青文庫で陶磁器展示といえば戦国期からの茶の湯の名品が並びます。
この企画展では大正以降の陶磁器も数多く並びました(あまり記憶にありません)。例によって館内は撮影禁止。
加えて永青文庫周辺の気になる建築2ヶ所も記録。
永青文庫
永青文庫は肥後細川家の大名道具を収蔵・展示するミュージアム。
16代細川護立(1883-1970)によって1950年に設立、1972年から公開。

永青文庫の建物自体は旧細川邸ではなく、あくまで家政所(事務所)。
護立さんは白樺の設立メンバーの1人でもあり、志賀直哉、木下利玄、武者小路実篤、正親町公和らとは学習院高等科の同窓。
また徳川慶久(最後の将軍慶喜の継子)は、特に仲がよかった同級生だそうです(2人が並ぶ姿の写真も残っています)。
東京都文京区目白台1-1-1

3階建てに見えますが蔵のような中3階の展示室を持つ4階構成の建物。
展示室は2~4階部分。
今回の企画展は陶磁器。
河井寛次郎からはじまり細川家伝来品、そして先代&当代当主の作品が。

2025/1/11-4/13 永青文庫
河井寛次郎のイメージは民芸の人でしたが、初っ端から美しい色彩の花瓶が目に留まります。
調べてみるとこのスタイルは清朝・景徳鎮窯の火焔青&火焔紅といい、オリジナルは宋・元時代の紫紅釉を使った鈞窯(紫というか青寄りと赤寄りの2種類あり)。
寛次郎の初期作品は、大陸や半島の古陶磁を参考にスタートしたそうです。
そして護立は自身の中国陶磁蒐集が本格化する以前から河井作品に興味を示し、その作風が初期から変化していった事実も指摘しているそうです。
鈞窯風から三彩風、磁州窯風への変遷は護立の好みとも合致。
寛次郎は高島屋呉服店での個展に何度か出品しており、護立は第一回展から作品を入手したと考えられています(直接の購入記録は残されていない)。
参考として景徳鎮窯の瓶(清時代:上写真)と鈞窯の瓶(金-元時代:下写真)、中国渡来の2点の作品を。

どちらも(特に火焔青)寛次郎作品と近いテイストの色味。
同じ釉薬を使っているのでしょうか?

さらに細川家伝来品で気になったのは茶入出雲肩衝。
前オーナーは金森可重(出雲守:1558-1615)。
金森長近の養子となって飛騨高山38,000石を相続した人。
可重の茶の湯の師は千利休と古田織部。
秀吉により利休が賜死すると、利休の子・道安を保護しています。
そして彼の長男が金森宗和(重近:廃嫡されますが姫宗和と呼ばれた人)。
出雲肩衝は、可重が領国内を探し回って入手した茶入。細川忠興(三斎)が可重に何度もお願いしてようやくゲットした逸品です。
他には細川家の地元八代焼(起源は忠興が豊前の陶工を肥後八代まで同行させ作陶)や先代当主の護熙&当代護光親子が作陶した茶碗も並びました。

永青文庫の崖下には肥後細川庭園がありますが、頭をぶつけそうなビミョーな高さの石門をくぐっての入園も可能。
続いて常時見学可能ではありませんが、永青文庫周辺の気になる建築を。
東京カテドラル聖マリア大聖堂:関口教会

永青文庫の北側(目白通りの斜向かい)にあるのが1900年設立の関口教会。
1920年には築地教会から司教座聖堂(カテドラル:司教の座るイスがある教会)が移転しています。

太平洋戦争の空襲によってオリジナルの聖堂は焼失し、1964年にコンペで選ばれた丹下健三設計による現在の聖マリア大聖堂が完成。
東京都文京区関口3-16-15
外装はステンレス張りで、周囲をぐるりと回ってみると上から見た時のフォルムは十字架だろうと想像できます。教会内に入って天井を見上げると、天窓の形状はやはりの十字架。内壁はコンクリート打ち放し。装飾性を極力削ぎ落とした空間が広がります。教会内は撮影不可。

教会内では巨大なパイプオルガン(イタリア製)の演奏を聞けるかも。
また教会内にはフランシスコ・ザビエルの胸像(1642年寄進)等、聖遺物の展示コーナーも設けられています。

敷地内にはフランスのルルドにある洞窟(奇跡の泉)を同サイズで再現。

アンドレ・ジョセフィーヌは、1877年にフランスから渡ってきた2つの鐘の1つ。もう1つの江戸のジャンヌ・ルイーズは築地教会に現存。

また関口教会は日本でのフランスパン発祥の地ともいわれています。
教会前を東へ坂を下った所に店舗を構える関口フランスパンは、教会由来の歴史を持っています(イートイン可)。

旧細川侯爵邸:和敬塾本館
続いて永青文庫の本邸だった、旧細川侯爵邸(文庫の北隣)を。

旧細川侯爵邸は1936年に細川護立によって建てられた自邸。ベースのチューダー様式に別テイストも織り交ぜた洋風住宅。

設計は大森茂と臼井弥枝。大森は数寄屋住宅の高梨邸(千葉県野田市)や山形屋デパート(鹿児島県鹿児島市)も手掛けた人。
こうして見比べてみると、大森は引き出しの多い建築家という印象。


現在の旧侯爵邸は、和敬塾という現役の学生寮なので通常は非公開です。
ただし和敬塾本館(侯爵邸)部分は、季節限定ですが月2回程度の予約制(人数制限有:ネットか郵便での申込)で公開。
さらに東京都のイベントで公開されるケースもあり。
また本館はウェディング会場としても貸出されているので、ブライダルフェア等での見学会も開催されています(演出で雰囲気は変わりますが)。
公式見学ツアー以外でもチャンスはあります。

館内は撮影可能ですが、ネット上での公開不可が条件。
館内見学はスタッフによる解説付で、立派なパンフがいただけます。

案内役の方は学芸員という訳ではなく、「独学なので間違っていたらごめんなさい」と謙遜されていましたが、色々と面白い話を散りばめつつ解説。
邸内にはお金持ち(要人)ならではの防犯関係の仕掛けが多数。
建物が空襲を免れたのは、関口教会のおかげ説もあるそうです。
ただ教会自体が焼失しているので、その線は薄いでしょうとも。
ちなみにウエディング会場(パーティー用?)は屋根裏部屋的で天井が低い空間。照明等の設備やキッチンスペースにも制限があると思われ、演出や料理のクオリティよりは、雰囲気重視の人向けでしょうか。
前撮り用としての利用が一番しっくりくるかも。
見学での最大の発見は正体不明だったアレ。

実は熊本の妙解寺(細川家菩提寺:熊本市)から運ばれた石門で、もともと侯爵邸の玄関エリア(洋館ですが靴を脱ぐ場所)に置かれていたそうです。



庭からは永青文庫がわずかに見えます。当時の植栽状況は不明。
ちなみに永青文庫の4F展示室前の廊下からも、木々の間からチラリと旧侯爵邸が覗けます。

個人的には訪問頻度高めのミュージアムが永青文庫。
永青文庫起点で周辺を見回せば、ミュージアム系では早稲田大学の會津八一記念博物館、建築系では鳩山会館やスカイハウス(菊竹清訓自邸)が徒歩圏内(高低差あり)。
もう少し頑張れる人なら、漱石山房記念館や草間彌生記念館に霞会館記念学習院ミュージアム(2025年オープン)も射程圏内。
オプション豊富なエリアというのも永青文庫のポイント。
