【Lil Fovnt #74】日本のこだわり−それを作り出した雑誌文化
服や靴、その素材や作り方にまで異常なほどこだわる。
それが日本人の持つ一つの特異性だ。
いや、服や靴に限った話じゃない。
車、時計、オーディオ、あるいはもっとニッチな趣味の世界。どの分野を見渡しても、日本人の「マニアックさ」はちょっと異常だと思う。
最近では、それを学ぶかの如く、日本に海外からの渡航者も多くいるくらいだ。
海外なら「雨に強いか」「防寒はどうか」「どれだけ実用的か」が重視される場面でも、自分たちは「どんな意図でその素材を選んだのか」「どういう構造で作られているのか」を知りたがる。
その細部に宿るものを知り、納得することで、初めてそのモノの価値を測ろうとする。
たとえば、6,000円の靴と50,000円の靴があったとする。 なぜ、この靴は50,000円もするのか。
どんな製法が採用されていて、使われている素材の背景には何があるのか。
その6,000円との「差」をしっかりと理解して、初めて50,000円の靴に価値を見出す。
感覚的にはそれが当たり前で、当然のことだと思う。
日本では、なぜ、そこまで裏側の詳細にこだわるのか。
そのルーツは間違いなく、日本の「雑誌文化」にある。
ネットもない時代、日本の雑誌はただのカタログではなかった。
そこにあったのは、書き手たちの異常な熱量だ。
「作り手がどんな思いでこのプロダクトを生み出したのか」「その奥にあるストーリーを、どうやって読者に伝えるか」。ただスペックを並べるのではなく、作り手の魂みたいなものを言語化して届けることに執念を燃やしていた。
そのせいで、作り手たちと揉めることもあったくらいだ。良くも悪くも。
自分たちは、事細かに「なぜこれが生まれたのか」「なぜこんな作りなのか」「なぜこの素材を使っているのか」がびっしりと記載されている雑誌の情報を頼りにモノを選んできた。
雑誌という媒体そのものが、ただの読み物を超えて、一つの強烈な「カルチャー」として機能していた。
そういう環境で育ってきたからこそ、細胞レベルのディテールまで知りたがるのが普通になったんだと思う。
それは高級品に限った話じゃなくて、安いモノに対してすら「なぜ安いのか」という明確な理由が求められる。ただ安いだけでは、日本では通用しない。
モノの真価は、その背景を知ることでしか測れない。
自分たちが作り、届けようとしているものも、結局はその延長線上にある。
そんなことを思う日々が続いている。
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