【Lil Fovnt #23】映画ボツシリーズ第2弾。自分のルーツと、MJが描いた究極の「Ambiance」
Fovnt Freaks Vol.6の「映画」テーマに向けた制作過程から、ボツになったアイデアを拾い上げる第2弾。
今回取り上げるのは、『This Is It』だ。
言わずと知れた、マイケル・ジャクソン(MJ)の幻となったロンドン公演の過酷なリハーサルを追ったドキュメンタリー映画である。
この映画は【Ambiance】のテーマで作ろうと思っていた。
実際にFovnt Freaksで書いた「清洲会議」と、どっちにするか最後まで悩んだのだが。
なぜ、この作品をボツにしたのか?
理由は二つある。
一つは、これを「映画」という一つの枠組みで評価・レビューすることに、どうしても違和感があったからだ。あれは映画というよりも、ひとりの天才の「頭の中の設計図」を覗き見しているような、恐れ多い体験だからである。
そしてもう一つ。今年の6月から伝記映画『Michael』が公開されることもあり、このタイミングでは少し構成が作りづらかったというのもある。(ちなみにこの新作映画、個人的にめちゃくちゃ楽しみにしている)。
だが、MJは俺にとってブラックミュージックの入り口になった特別な存在だ。
小学生の時、友達の兄貴にマイケルのVHSを見せてもらった。と言うか見せられた。そのカッコ良さは衝撃だった。今でも鮮明に覚えている。
だからと言う訳ではないが、メインの記事ではボツにしても、この「Lil Fovnt」という場所でどうしても軽く触れておこうと考えた。
MJといえば「キング・オブ・ポップ」。圧倒的なダンス、唯一無二の歌声、そして世界を熱狂させるカリスマ性。
だが、『This Is It』を見て俺が一番痺れたのは、ステージ上のパフォーマンスそのものよりも、彼が音楽監督やダンサー、照明スタッフたちとコミュニケーションを取る「裏側」の姿だった。
例えば、「イヤモニの音が大きすぎる」と、生の音を感じるために繊細なバランスを要求するシーン。マイケルの繊細さが見える印象的なシーンだ。
女性ギタリスト(オリアンティ)のソロパートで、「もっと来い、もっと来い」とジェスチャーを送り、彼女の熱量を極限まで引き出そうとするシーンでは、彼女が本当にいっていいのか戸惑う姿が、マイケルへのリスペクトが見える。
さらに印象的なのは、彼のリハーサルをステージ下で見つめる超一流のダンサーやスタッフたちが、いつの間にか完全に「いち観客」の顔になり、熱狂してしまっているあの光景だ。
マイケルはマイケルなのだ。それが実感できる。
彼は、観客には気づかれないようなコンマ数秒のタイミングや、わずかな音のニュアンスに対して、異常なまでのこだわりを見せる。
決して声を荒げるわけではなく、「With Love(愛を込めて言うけどね)」と優しく前置きしながらも、自分の理想からは絶対に1ミリも妥協しない。
彼がそこまでして何を作ろうとしていたのか。
その真意は、今となってはわからない。
しかし、自分が思うに、それは単なる音楽ライブではなく、完璧にコントロールされた「空間(Ambiance)」だったのだと思う。
音の鳴る瞬間、光の差し込む角度、演者の息遣い。そのすべてが完全にシンクロした時にだけ生まれる究極のグルーヴを、彼は誰よりも鮮明に思い描き、自らの手でデザインしようとしていた。
結果的に、あのライブが観客の前で開催されることはなかった。 だが、この映像が残してくれたものはあまりにも大きい。
何かを作り上げる時、細部までこだわり抜き、その場の空気を完全に支配するということ。
マイケル・ジャクソンこそが、世界で最も偉大で、究極の「Ambiance Maker」だったのだと、この作品を見るたびに痛感させられる。
そして、それは彼にしかできない、彼のみに許された「空間(Ambiance)」なのだと思う。
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Ambiance Maker Ko-Ta
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