【Lil Fovnt #70】建物のない建築展。ヴェネチア・ビエンナーレが提示する「実験室」
「ヴェネチア・ビエンナーレ」。
以前、Fovnt Freaksにおいて美術(アート)の世界大会として取り上げた。
「ビエンナーレ」という言葉は何なのか。
ビエンナーレとは、イタリア語で「2年に1度」という意味で、それが転じて2年に1回開催される国際美術展や芸術展のこと指す言葉になっている。
ヴェネチア・ビエンナーレは2年に1回開催されているのか。
というと、そうではない。
「ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」は2年に1回(偶数年)に開催されているが、この美術展が開催されていない年(奇数年)には、同じ会場で「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」が開催されているのだ。
建築というテーマでこの「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」についてもFovnt Freaksで触れようと考えたのだが、やめておいた。
理由はシンプルだ。直感的に「わかりにくい」からである。
美術展であれば、キャンバスに描かれた絵画や空間を切り裂く彫刻がそこにある。
しかし「建築展」はどうだ。
ヴェネチアの会場に世界中から実物のビルや家を建てて、「今年の優勝はこのビルです!」と競うわけではない。
そもそも、建築とは本来「具体的なクライアント(発注者)」や「実際の土地」が存在して初めて成立する生産活動だ。
では、その前提がない展覧会という場において、世界中の建築家たちは一体何を提示し、競い合っているのか?
彼らが持ち込んでくるアプローチは、大きく分けて3つある。
1つ目は、最新の技術や実験的な構造物の提示。例えば2025年のカナダ館のように、光合成を行うバクテリアを組み込んだ「生きた構造体」など、未来へのソリューションを見せる方法。
2つ目は、ポーランド館(2025年)のように、会場の設備(配管や消火器)に意味を持たせ、「会場のパビリオン建築そのもの」を作品化する方法。
そして3つ目が、現実のプロジェクトの「設計プロセス」や「思想」を展示する方法だ。
とここまで書いても、やっぱりわかりにくい。
しかし、日本がこのアリーナにどう関わり、どう戦ってきたのかを見ると、この「建物を建てない建築展」の面白さが端的にわかりやすくなる。
2012年に開催された第13回国際建築展で、日本館は国別参加部門の最高賞である「金獅子賞」を受賞した。
その時のテーマは、「ここに、建築は、可能か」。
展示されたのは、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田市に、建築家の伊東豊雄氏らが被災者とともに対話を重ねながら集会所(みんなの家)を作っていく『プロセス』だった。
完成したカッコいい建物の造形美が評価されたのではない。
絶望的な状況の中で、建築が人々の繋がりをどう再生できるかという「建築の根源的な役割(社会的意義)」が世界一として評価されたのだ。
さらに面白いのが、その展示の舞台となる「日本館」という器そのものの存在だ。
1956年に、ル・コルビュジエに師事した建築家・吉阪隆正によって設計されたこのパビリオンは、床にぽっかりと穴が空いていたり、1階部分が柱だけで支えられた開放的な吹き抜けになっていたりと、それ自体が歴史的な建築作品である。
事実、2025年の日本館はこの歴史的建築を「改修する」という架空のストーリーで、建築と人間を対話させる見事な展示を行った。
この特異で強烈な個性を持つ空間の中で、毎回日本のクリエイターたちが四苦八苦しながら「概念」を展示し、世界と戦っているのだ。
こうして見ると、建築展の正体がはっきりと見えてくる。
完成した実物が目の前にある美術展とは異なり、建築展とは「実物の家を建てる場所」ではない。これからの建築や社会はどうあるべきかを構想する「実験室」なのだ。
実物のない建築展。
この難解な思考の実験を楽しんでみてはどうだろうか。
ヴェネチア・ビエンナーレは、毎年楽しめる大イベントなのだ。
ちなみに他にもいろんな部門がある。
他は調べてみてください。
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