【Lil Fovnt #68】純文学の頂点は、スパイと名探偵の「税金対策」から生まれた
前回の『Fovnt Freaks #67』では、「文学の世界大会」としてノーベル文学賞と国際ブッカー賞を取り上げ、「翻訳という錬金術」や「評価のパイプライン」について書いた。
今回は、そのスピンオフ的な話を少しだけ。
Fovnt Freaksでは作品の強度や構造について触れたが、実はこの「ブッカー賞(および国際ブッカー賞)」というシステムは、その「成り立ち」自体がめちゃくちゃ面白いのだ。
日本でも馴染みのあるノーベル賞が、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルの莫大な遺産から生まれたことは誰でも知っている。
では、英語圏最高峰、しかし日本では馴染みの薄い世界の翻訳文学の頂点を決めるブッカー賞の資金源は何か?
その答えは、日本でも大人気の「ジェームズ・ボンド」と「名探偵ポアロ」である。
もっと生々しく言えば、「世界的エンタメ作家の、エグすぎる税金対策」だ。
時は1960年代。当時のイギリスは最高所得税率が90%を超えるという、とんでもない重税国家だった。
ここで頭を抱えていたのが、『007』シリーズの生みの親イアン・フレミングと、ミステリーの女王アガサ・クリスティーである。
彼らの本は世界中で爆売れしていたが、稼いでも稼いでもほとんどを税金で持っていかれてしまう。
そこに目をつけたのが、食品卸売などを手がけていた商社「ブッカー・マコーネル社」だった。
彼らは「著作権を管理する会社ごと買い取ってしまえば、作家は売却益として手元にまとまったお金を残せるし、うちは今後一生続く莫大な印税が入る」と持ちかけたのだ。
結果、ブッカー社はこの2大エンタメコンテンツの版権を手に入れ、笑いが止まらないほどボロ儲けした。
そして、彼らはその莫大な利益を使って「ブッカー賞」を創設する。
ここで一つの疑問が湧く。
エンタメ小説で稼いだなら、なぜ彼らはエンタメ小説の賞を作らず、難解で高尚な「純文学」の賞を作ったのか?
一つの理由は、ブッカー社幹部たちが掲げた「本から得た莫大な利益なのだから、現代の優れた文学を支援するために還元しよう」というスポンサーとしての理念だ。
エンターテインメントの分野においては、彼らはすでにクリスティーやフレミングという絶対的エースを抱え、世界的な大成功を収めていた。
だからこそ、彼らが新たに創設する賞の目的は「商業的に売れる本」を見つけることではなく、「芸術的価値が高い優れた文学(純文学)を支援し、権威づけること」に置かれたのだ。
だが、理由はそれだけではない。その高尚な理念の裏には、成金特有の「文化的な権威への渇望」と、イギリスのプライドが透けて見える。
当時、食品卸売とエンタメ版権で巨万の富を得ていたブッカー社だが、伝統と階級を重んじるイギリス社会においては「ただ金を持っているだけの企業」に過ぎなかった。
彼らが喉から手が出るほど欲しかったのは、金では買えない「社会的権威(プレステージ)」である。
さらに当時、イギリスにはお隣フランスの『ゴンクール賞』に対抗できるような、英語圏を統べる絶対的な文学賞が存在していなかった。
そこで彼らは考えた。スパイや探偵が稼ぎ出した大衆娯楽のマネーを使って、最も高尚で近寄りがたい「純文学」のパトロンになればいいのだ、と。
言ってみればこれは、エンタメマネーを使った見事な「文化資本のロンダリング」である。
こんなドラマチックな成り立ちこそが、ブッカー賞の隠された魅力なのだ。
しかも、この賞の面白さは成り立ちだけにとどまらない。
選考のシステムもかなり狂っている。
通常、権威ある文学賞といえば、大御所の重鎮作家たちがふんぞり返って審査するイメージがあるが、ブッカー賞は違う。
審査員は毎年完全に総入れ替えされ、作家や文芸評論家だけでなく、学者、編集者、さらには俳優や引退した政治家などの「文学好きな著名人」がぶち込まれるのだ。
このカオスな5人のチームが、年に100冊以上のノミネート作をすべて読み込み、毎月集まって密室でバチバチの激論を交わし、1冊を決める。
過去の実績やキャリアの長さは一切関係なし。政治的忖度や派閥が入り込む隙がない、極めてフェアで過酷な闘技場なのだ。
近年では、この「純文学の賞」であるブッカー賞において、「死者が自分の殺人犯を捜す」という完全にミステリー構造を持った作品が大賞を受賞したりしている。
何十年もの時を経て、賞のルーツであるアガサ・クリスティーのDNA(エンタメ性)が、純文学の頂点へと回帰してきているような、不思議な因果を感じずにはいられない。
「文学の権威」の裏側には、人間のドロドロした資本や欲、そして極上のエンターテインメントが地続きで繋がっている。
そんなことを知った上で世界最高峰の海外文学を開いてみると、今までとはまた違った空気(Ambiance)が漂ってくるのではないだろうか。
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