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#3. 《波間に還る色》

 グランティア港の朝は、潮の香りと船員たちの声で満ちていた。

 埠頭を歩いていると、桟橋の端で海をのぞき込む小さな背中が目に入った。足元に置かれた古びた布袋からは、貝殻と色あせた布切れがのぞいている。

 声をかけると、少女は驚いたように振り向き、少し間を置いて口を開いた。
「……帰る場所があるの。でも、道がわからなくなった」

 肩に留まったリュミエが小さく囁く。
「この子……セレシアの子じゃない。詩(うた)の国から来た迷子だ」

 少女は続けて言った。
「忘れたくない夢があったの。それはたぶん、“希望”だった気がする」
 その言葉は、朝の光に照らされた海面のようにまっすぐで、揺らぎがなかった。

 最初に向かったのはルーメリア。城門近くの芝生広場では、リシェルが旅物語を歌い上げ、人々の輪ができていた。
 少女はその端で耳を傾け、口元に淡い笑みを浮かべる。
「やっぱり、“希望”で合ってるかも」
 けれど広場を離れる頃、その笑みは少しずつ薄れていった。
「……違うかもしれない。もっと静かで、胸の奥に沈むようなものだった気がする」

 二つ目の候補は、オルミナ諸島で出た。雨上がりの浜辺は薄明かりに包まれ、波が静かに足跡を消していく。
 少女は水平線を見つめ、確かな声で言った。
「“約束”だったのかも。大事な人と、ここで並んで歩いたような気がする」
 波間に漂うその響きには、はっきりとした温度があった。
 しかし夕暮れが訪れる頃、少女は再び首を振った。
「近いけれど、形だけな気がする。もっと奥に、あたたかくて消えないものがあった」

 旅の終盤、山間の村に泊まった夜明け前。窓の向こうでは、稜線の向こうから橙色の光が差し込み、街並みをやさしく染めていた。
 少女はその光景を見ながら、まどろみの余韻を残した声でつぶやく。
「……あのときの『きっと』が、まだ醒めてない」

 私は息をのんだ。
「それって……“過去”じゃない?」
 少女は目を見開き、やがてゆっくりとうなずいた。
「そう。“過去”。忘れたくない夢と一緒にある、私だけのもの」

 その瞬間、外の空気が震え、村外れに光が立ち上がった。林の奥に、詩(うた)の国)への門が現れる。

 門の光の中に、ひとつの詩が浮かび上がる。

《記憶をたどるまなざし》

まどろみの底で 名前のない夢を抱いていた
想い出は 声にならないまま ふれてくる
あのときの「きっと」は まだ醒めていない
ひとつずつ あなたのまなざしで重ねられて
過去が やさしく輪郭を取り戻す

⸻忘れたくない夢が、いまもそばにいる

 光は少女を包み込み、瞳に安堵の色を宿らせる。
「ありがとう……」
 その声は静かに門の向こうへ消えていった。花びらのような光が漂い、やがて空気に溶ける。

 静まった道を歩き出しながら、私は胸の奥でそっと呟いた。
 あの子の“忘れたくない夢”は、確かに今もここにある。




『詩(うた)の子供たち』目次
◀︎#2. 《決意の種を運ぶ風》
#4. 《木漏れ日の手紙》▶︎
『詩(うた)の子供たち』マガジン説明


【鍵の言葉】 過去
【創作の断片】 忘れたくない夢
→ 山あいの村で夜明けを迎える少女。窓辺に差し込む淡い橙色の光が、胸の奥のまどろみに触れ、遠い日々の輪郭を静かに呼び起こす。

【詩のある詩】
《記憶をたどるまなざし》
まどろみの底で 名前のない夢を抱いていた
想い出は 声にならないまま ふれてくる
あのときの「きっと」は まだ醒めていない
ひとつずつ あなたのまなざしで重ねられて
過去が やさしく輪郭を取り戻す

⸻忘れたくない夢が、いまもそばにいる



『詩(うた)の子供たち』目次
『詩のない詩』#3 《記憶をたどるまなざし》
3. 「過去」の「赤の記憶」
3. 「過去」の「青の記憶」
3. 「過去」の「緑の記憶」
3.「過去」の「意味の香り」
『意味のない地図』 #3

Photo: Unsplash
(c) s.f.出版

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