「国家の自立」を問うなら、最初の数時間を語れ──同盟時代の日本に必要な“地に足のついた主体性”とは何か
序|「国家の自立」という言葉が流行るとき
「国家の自立」という言葉を、最近よく耳にする。
選挙でも、言論空間でも、どこか前向きで心地よい響きをもって使われている。
だが、安全保障の文脈でこの言葉が使われるとき、
どうしても気になる点がある。
その自立が、有事のどの場面で、どのように機能するのかが語られないことだ。
自立か、同盟か。
依存か、独立か。
こうした二項対立は分かりやすい。
しかし、有事はスローガンで始まらない。
始まるのは、最初の数十分から数時間である。
国家の自立を本気で問うなら、
その時間帯をどう設計しているのか。
そこを抜きにした議論は、どうしても空中戦になる。
第1章|米国は変わったのか──「同盟前提化」という現実
近年の米国の国家安全保障戦略を読むと、
「米国は前ほど前面に出ないのではないか」という印象を持つ人もいるだろう。
西半球への重心移動。
同時多発的な危機を前提とした戦略構成。
ただし、これは同盟放棄を意味しない。
むしろ読み取れるのは、
同盟国が初動を支えられることを前提に、全体戦略を組む時代に入ったという現実である。
米国は来る。
ただし、最初からすべてを肩代わりする前提ではない。
これは冷酷さではなく、軍事的合理性の問題だ。
第2章|問われているのは「覚悟」ではなく「初動の設計」
台湾海峡をめぐる緊張が語られるとき、
議論はしばしば「覚悟」や「意志」の問題に寄りがちだ。
しかし、現実に問われるのはそこではない。
日本には装備がある。
人員も、同盟もある。
それでも残る不安は、
誰が
どの段階で
何を決めるのか
という初動の設計が、必ずしも明確ではないことだ。
有事の初動は、日単位では進まない。
分単位、時間単位で進む。
この時間帯に判断が止まれば、
能力があっても抑止は機能しない。
これは軍事の話というより、統治の話である。
第3章|主体性とは、先走ることではない
ここで誤解してはならない。
主体性とは、
単独行動や独断専行を意味しない。
主体性とは、迷わないことである。
初動で迷わない国ほど、
同盟は最大限に機能する。
日本が初動を安定させられれば、
米国の選択肢は広がる。
これは同盟弱体化ではなく、
同盟の実効性を高める行為だ。
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