5歳息子が「ママと一緒にしにたい」と言う
「ママと一緒にしにたい」
と最近子どもがたびたび言う。
まだこの世に生まれ出て数年の、未来しかないフレッシュな命が突然"死"を口にする。
ええっ、君は私より後に死んでくれよ、と思いつつも息子の真剣な様子にぎょっとして戸惑い、私はいつもおろおろと返事に窮してしまうのだった。
5歳になった息子は、どうやら”死”について突如意識するようになったらしい。
少し前まで、登場人物が生き返ったりする物語の影響で「死んでも生き返るからだいじょうぶ〜~!」などと朗らかに語っていたので驚きの展開である。
何がきっかけかはわからないが、急に"死"について語り出した息子に対し私は上手い返しが思いつかず、
「一般的には年齢が上の人から亡くなるから、お母さんもそういう順番がいいな」
と一般論かつ本心を述べ、
「でも、お母さんも息子くんとなるべく長く一緒にいたいから、お互い長生きしようね!」
とフォローし、
「車や事故に気を付けようね」
と現実的なところに内心動揺しながら落ち着けたりする。
そんなことを数回経て先日、種明かしのような出来事があった。
布団に横になりさあ寝よう、という時に息子が突如泣き出して
「ふつう、おとなとか、先に生まれた人からしぬんだよね?
だったら、ママがぼくより先にしぬの?
ママが先にしんじゃうのこわい……」
とまあるい顔をくしゃくしゃにしてぽろぽろ涙を流すのだ。
「ママと一緒にしにたい」の真意は
「ママに先立たれるのが怖い」だった。
◾️
いや、こわいよね。親が死ぬの。
既にいい大人の私だって、今はまだ健在な親が亡くなったらきっと動揺するだろう。
不安で、さみしくて、悲しい。
実際そうなったら自分がどうなるかすら、わからない。
周囲をみていても、どんな年齢でも、どんな立派な立場の人だって、親の死には動揺するようだ。
まして、まだ5歳で、だいぶ成長したけれどもまだ小さくて、蹴鞠のように跳ね回っているような年頃の息子には、それはそれは怖いことだろう。
こんな小さな身体でそんな恐怖に耐えていたとは。
露にも思わずにいたのでびっくりした。
それにしても、まさか、30代の、血糖値とコレステロール値が若干高いがまだ致命的な病は抱えていない状態で「死なないで」と泣かれる経験をすることは思わなかった。
人生何が起こるかわからない。
ぽろぽろと涙を流す我が子を前に、これまた上手い言葉が見当たらず、
「大丈夫だよ、大丈夫……なるべく長生きするからね、お母さん頑張るから。そうだよね、こわいよねぇ」
と、とりあえず「大丈夫」と繰り返すことしかできなかった。けれども、親業を5年もしているととりあえず根拠のない「大丈夫」で子を安心させるのには慣れてくるというか、多少は堂に入ってくるもので、ひらすら声をかけ、背中をさすり、抱きしめながらよしよししていると、息子はしばらくしたら泣き止んでくれた。
その後はけろっとしていたけれども、彼の心のうちはわからない。
完全に無くなる類の不安ではないだろうが、吐き出したことで多少気が軽くなっていたらいい。
それにしても、まだ自分の"死"をさほど意識したことはなかったが、私には「死なないで」と言ってくれる子がいるのだなぁと、不謹慎な気もして喜んでいいのかわからないが、嬉しいような、じんわりあたたかい気持ちになった。
子ども本人は怖くて泣いていたのに申し訳ない。
子どもを生かし、育てている一方で、確実に私の方も「子に生かされている」な、と改めて感じた。
そういえば私も幼稚園くらいの頃、"死"について考え、無性にこわくなっていた時期があった気がする。
息子もいつもの間にかそんな抽象的なことを考えるようになったのだな。
やんちゃでエネルギッシュでいつも走り回っている一方で、繊細でやわらかく、綺麗なものや可愛いもの、かっこいいものを愛でる心を持つ彼の感性が
無駄に傷つかないといいな、でもきっとそれは無理だな、ほどよくタフになってくれたらいいな、と願っている。
なお、泣く子を抱きしめさすっている間、息子の向こうで夫が、子をいつくしみつつ、
「パパは………?」
と言いたそうな複雑で味わい深い表情をしていたのもなかなか思い出に残りそうだった。
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