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農政は部屋で議論、現場は外で廃業の積層

お上と現場のスピード。
農政省はウォーキング
現場は飛行機

あくまで、
現場で農業経営をしている一人の私見。

今の農政は、方向性としてはようやく
「食料安全保障」
「適正な価格形成」
「資材の安定確保」

に舵を切り始めていると思う。

そこは否定しない。
むしろ、やっとそこに来たか、
という感覚。

ただ、現場感覚で言えば、
政策の言葉より先に、
生産現場の
資材、
肥料、
人件費、
物流費
が限界まで来ている。

つまり今の農政の現状は、

「農業を守る政策が必要」と国も言い始めたが、現場はもう待てないところまで来ている。

この一言に尽きる。

特に野菜は、米のように政治的に大きく騒がれにくい。
逆に昨年同月対比で比べられ
「高い」と叫ぶ
テレビコメンテーター、マスメディア、
なんちゃって経済学者、知ったかぶりの有識者。


これだけ、
包装資材高騰、肥料高騰、燃料高騰、人手不足、人件費高騰、
そして価格転嫁は出来ない状態
が、
ずーっと続いている中で、追い討ちをかける「中東戦争」で拍車がかかる。
農家が努力すれば
何とかなる時代では無い。


にも拘わらず相変わらず、農政省自ら、昨年同月との価格を比べて高い安いと情報を上げる。
ハッキリ言う。

『おバカなのか?』

価格高騰は農業では起きていないのか?
と思うくらい、昨年より少しでも価格が高いと農水省自ら高いと発布し、
ニュース、テレビ、マスメディアが報じて、野菜農家を潰しにかけている?
と見て取れる内容が毎月見れる(笑)

話は戻し・・・・・。

作れる農家、
売れる農家、
資金繰りを読める農家
しか残れない局面に入っている。

農政に期待するしかないが.....
現場から見れば、

今必要なのは理念だけではない。

再生産できる価格。
資材が確保できる仕組み。
価格転嫁を農家だけの交渉力に押しつけない制度。


ここが動かなければ、倒産より先に、
静かな廃業が進む。
すでに積層の様に廃業があちこちで多発し、
農耕地は工作放置地となっている。

それを会議室決めた机上の空論で作り上げた

「地域計画」

なる制度。
国→県→市町村→各地区に落とされ

「耕作放置地を増やすな!
地域で耕作地を減らさない計画を立てろ!」

と言う。
結果.....
弊社が増床する際・・・・

「雇用が増えると共に、当初2反だったが前回の増床と今回の増床で4反になる。生産肥料、資材などの置き場を確保しなければならない。増床に合わせて雇用者が増えるので、駐車場も拡大しないと厳しい。ついては資材置き場兼駐車場を作りたい」

と申請すると

「農耕地を減らすな!」

と生産を上げる為の努力を、
行政の許可権者の力

「潰しにかかる群馬県」

鼻で笑うしかない。
「生産性を上げるため」に考えた制度
では?
なんで「一部の耕作地」が減ると言う理由で許可を阻む行為になるんだ?

田んぼを施設園芸に変え、食料自給率を上げるために増床する。
そのアクションの中で、資材置き場、雇用する者の駐車場が必要だと言うアクションなのに・・・。
そもそも減反政策を違う形で継続している農政省。
今回のアクションは農政省が掲げる

「他産物への作物転換」

になるんじゃない?
米作りは減るけど、米の代わりに野菜出荷数が増えるけど?
田んぼを他の作物に転換しろと言ってるのは農水省でしょ?

さらに.....駐車場は増やす前に
「周りで借りられる場所は無いのか?」
と.....
うちのハウスは周りは全て田んぼだが?(笑)近くに唯一コンビニがある。
行政
「そのコンビニに止められないのか?」

耳を疑った。

「はぁ?既に聞いて当然だが断られましたけど?何を言ってるの?地図みなよ。
直線で3km先には駐車場はあるけど、
そこも企業が使っている駐車場。
うちの雇用者に直線距離3km先に止めて、歩いてうちのハウスまで来いと言えばいいのか?シルバーの先輩方に貴方は言えますか?俺はとても言えないけど、どれだけ人でなしなんですか?笑
じゃぁ聞くが、市役所の駐車場にうちが雇用者の車止めてもいいですか?と言って断らないんですね?

市役所担当者
『断りますよ。市民サービスで使用する駐車場なのに、民間さんの雇用者の駐車場として使用など出来ませんよ。』


『.....3km先にある企業さんも同じでは?その企業で使う駐車場を確保しているだけで、他に貸すために駐車場作ってないでしょ?でも貴方はそこに頼み込めと言う。論理が破綻してませんか?
お上は良いが他人は許さない?
どれだけ権力を行使して上から目線を言ってるか?分かります?』

市役所担当者
『・・・・。駄目なものはダメなんです。』


『じゃぁ法廷で争いましょうw今の会話録音しておいたので。』

市役所担当者
『いや待ってください。それは困ります・・・・。群馬県が認めないですよ。市はあくまで受付で許可は群馬県なので....その群馬県が認めない以上受付出来ないですよ...」と。
まさに「他責」
群馬県のせいにする市役所職員。

余りに
「凝り固まった頭であり、
行政の意味の分からない建て付け論」


こんなんだから、嫌になる。
真面目に生産を増やそう、足りない時期に出来る限り出荷を上げようと努力する施設園芸事業者の邪魔をする行政。
こんなんだから新規就農など増えず、
拡大しようとする事業者も増えない。

農政、県、市町村が考えるスピードは
「ウォーキング」

現場が動くことや感じているスピードは
「飛行機」


この速度差こそ、
今の農政と現場の一番大きな距離感。
そしてこの距離の中で、声を出せない農業者が一番苦しんでいる。

・「まだやれる」と自分に言い聞かせながら、通帳を見て黙る。

・「今年だけ我慢すれば」と思いながら、来年の資材見積もりに目を背ける。

・「従業員には不安を見せられない」と笑いながら、夜中に一人で数字を見直す。

これが今の現場のリアル。

農業者は弱音を吐くのがとても

「下手」

弱音を吐いても明日の収穫は来る。
弱音を吐いても、出荷時間は変わらない。
弱音を吐いても、支払日は待ってくれない。

だから黙って作る。
黙って包む。
黙って運ぶ。
黙って耐える。


でも、黙って耐えているうちに、
心と会社の体力が削られていく。

今の農政に必要なのは、
綺麗な言葉より、
意味のない建付けを言うより、

先に、この黙っている現場の声を拾うことではないか?とつくづく感じる。

第1章 政策の言葉より、支払日の方が早く来る

農政の方向性そのものは、
昔より現実を見始めていると思う。

食料安全保障という言葉が出てきた。
農産物の価格形成も、ようやく
「安ければよい」
だけでは済まないという話になってきた。

肥料、燃料、飼料、包装資材の安定確保も、国として無視できない問題になってきた。

ここまでは間違っていない。

ただ、現場で経営をしていると、政策の言葉はどうしても遅れて届く。

会議がある。
資料が作られる。
議論が行われる。
制度が作られる。
予算がつく。
申請が始まる。
採択される。
そこからようやく現場に届く。

その流れは理解できる。
でも現場は、その間も止まっていない。
今日も収穫がある。
明日も出荷がある。
月末には給料がある。
翌月には返済がある。
電気代の引き落としもある。
資材屋への支払いもある。
市場や取引先との約束もある。

作物は政策の完成を待ってくれない。
従業員の生活も、制度設計を待ってくれない。
金融機関の返済日も、国会審議を待ってくれない。


ここに、現場の苦しさが滲む。

国が「農業を守る」と言い始めたことはありがたい。
しかし、経営者の腹の中では、別の声が鳴っている。

「それは分かった。
では、今月の支払いはどうするのか?」


綺麗な言葉では、月末の資金繰りは埋まらない。
未来の方針だけでは、今日の肥料は買えない。
中長期的な議論だけでは、明日の包装資材は届かない。

現場の時計は、政策の時計より、物凄い勢いで速く進んでいる。

特に施設園芸は、一度動かしたら簡単には止められない。

ハウスがある。
設備がある。
ポンプがある。
冷却がある。
加温がある。
水がある。
電気がある。
人がいる。
納品先がある。
借入がある。

そして何より、作物がある。

資材が高いから今年は休む。
人がいないから少し止める。
電気代が高いから生産を止める。

そう簡単にはいかない。

止めたら、従業員はどうするのか?
取引先への供給はどうするのか?
借入返済はどうするのか?
設備は遊ばせるのか?
再開する時に人は戻るのか?

農業は、一時停止ボタンを押せる商売ではない。

だから現場の経営者は、耐えながら走るしかない。
走りながら考える。
走りながら資金繰りを組む。
走りながら交渉する。
走りながら設備を直す。
走りながら従業員の顔を見る。
そして
走りながら、来年も作れるかを考える。

農政が歩いている間に、

現場は息を切らしながら飛んでいる。

この違いを見ない限り、政策は現場に届く前に、
「届ける現場が無くなる」
だろう。

第2章 野菜は作れても、包めなければ売れない

野菜は、米ほど政治的に騒がれにくい。

米は分かりやすい。
主食であり、価格が上がればニュースになる。
不足感が出れば、社会全体が反応する。

でも野菜は違う。

スーパーに行けば、いつも棚に並んでいると思われている。
レタスも、きゅうりも、トマトも、小松菜も、ほうれん草も、ネギも、
あって当たり前。

しかし、その当たり前の裏側は、かなり薄い氷の上にある。

野菜は作れば終わりではない。
収穫し、選別し、洗い、冷やし、包装し、箱に入れ、運び、時間に合わせて納品する。
鮮度を保ち、
規格をそろえ、
表示を入れ、
取引先の条件
に合わせる。


この流れの中で、一つでも欠ければ商品にならない。

特に包装資材は、現場を知らない人ほど軽く見る。
袋くらい何とかなると思うかもしれない。

でも現場では、袋がなければ出せない商品がある。
フィルムがなければ包めない。
印刷ができなければ表示ができない。
箱がなければ運べない。


資材の規格が変われば、作業工程も変わる。
包装機との相性もある。
取引先の指定もある。
バーコードもある。
鮮度保持もある。


ただ袋に入っているように見える野菜にも、現場の段取りと資材の供給網がある。
そのどこかが止まるだけで、野菜は商品になりにくい。

「作れているのに売れない」

これほど農業者の心を削るものはない。

ハウスの中には野菜がある。
収穫もできる。
品質も良い。

でも包めない。
出せない。
運べない。
取引先に約束通り届けられない。


この時、農業者は何を思うか。

「何のためにここまで育てたのか」

この声になる。

肥料も同じ。
肥料がなければ、計画が崩れる。
代替品で何とかすると言っても、作物はそんなに単純じゃない。

水耕栽培も同様。
養液設計、濃度、バランス、吸収、品質、収量に直結する。
土耕でも、肥料設計が崩れれば作柄に響く。

有機やオーガニックの話を持ち出して
「肥料に頼らない農業」と簡単に言う人もいる。
考え方として否定するつもりはない。

しかし、社会全体の野菜供給を支えている大部分は、慣行農業や施設園芸になる。
大量に、安定して、同じ品質で、継続して供給するには、肥料も資材も設備も人も物流も必要になる。

精神論や素人考えでは棚は埋まらない。
理念だけでは、給食も外食も惣菜も回らない。

今、現場ではいろいろなものが同時に上がっている。

肥料、包装資材、燃料、電気代、人件費、物流費、修繕費、設備費、金利。

一つだけなら耐える。
二つでも何とかする。
でも全部が同時に来ると、経営者の心は静かに削られる。

売上はある。
出荷もしている。
従業員も動いている。

でも預金が増えない。
利益が残らない。
次の支払いを考えると安心できない。

これが一番苦しい。

外から見れば、普通に出荷している農家。
でも中では、ギリギリの数字で綱渡り。

「まだ大丈夫」と言いながら、
本当は大丈夫ではない。

「何とかなる」と言いながら、
本当は何ともならない月が増える。

この声が、政策の会議室まで届いているのか?
そこを現場は疑問に感じている。

第3章 努力で何とかなる時代は終わりに近い

農業者は、基本的に我慢強い。

天候が悪くても我慢する。
相場が悪くても我慢する。
体がきつくても我慢する。
朝が早くても、休みが少なくても、黙って現場に立つ。


だから周りも、農家なら何とかすると思いがちになる。

でも、今の状況は、努力で吸収できる範囲を超え始めている。

もちろん
努力は必要。
栽培技術も必要。
販売力も必要。
管理能力も必要。
資金繰りを見る力も必要。
数字を読む力も必要。
人を育てる力も必要。
設備投資を見極める力も必要。

でも、
努力だけで「肥料不足」は解決しない。
努力だけで「包装資材」は湧いてこない。
努力だけで「燃料代」は下がらない。
努力だけで「人手不足」は埋まらない。
努力だけで「価格転嫁」は進まない。

ここを間違えると、農業者だけに負担を押しつける結果となる。

「農家も経営努力が必要」

それはその通りになる。

しかし、その言葉だけで片づけるなら、現場は救われない。
なぜなら、すでに限界まで努力している農業者が数多く存在する。

朝から晩まで働いている。
家族も出ている。
休日も出荷している。
市場が休みでも作物は待ってくれない。

・従業員に払うために、自分の取り分を後回しにする。
・設備修繕を先延ばしにする。
・本当は買い替えるべき機械を、だましだまし使う。
・本当は人を増やしたいのに、採用できない。
・本当は価格を上げたいのに、取引先との関係を考えて言い出せない。

こういう現場に向かって、
さらに努力しろと言えるのか?

この大きな問題が常にあり続ける。

今の農業者は、三つの場所に分かれていると思う。

一つ目は、
投資して伸びている農業者。


この層は、数字を見ている。
借入も使う。
設備も入れる。
販路も作る。
雇用も考える。
生産性を上げながら、会社として前に進もうとしている。
しかし、消費者の理解を得られるかは別。

二つ目は、
踏ん張っている農業者。

この層が一番多いかもしれない。
大きく伸びる余力はない。
でも地域の供給を支えている。
数字は楽ではない。
資材高に苦しんでいる。
人手にも悩んでいる。
それでも毎日出荷している。
しかし、消費者は常に安さを選び販売転換出来ずに苦しみ続ける。

三つ目は、
静かに出口を探している農業者。


この層は、あまり声を出さない。
もう設備更新はしない。
面積を少し減らす。
子どもには継がせない。
借入は増やしたくない。
体が続くところまでやる。
その後は終わりにする。
結果、
静かに退場し、農業経営体減少の数字の+1となる。

この三つを全部「農家」と一括りにすると、政策はズレる。

伸びる農業者には、成長のための金融と投資支援が必要。
踏ん張る農業者には、価格転嫁と資材確保と資金繰り支援が必要。
出口を探す農業者には、承継、農地、設備、地域供給の受け皿が必要。

同じ薬では効かない。

そして、踏ん張っている層が崩れた時、地域の野菜供給は一気に細る。

大規模法人だけで全部を埋められるほど、農業は単純じゃない。
地域ごとの品目がある。
気候がある。
水がある。
土がある。
取引先がある。
人の技術がある。
長年の勘がある。

これらが消えたあとに、資本だけ入れてもすぐには戻らない。

農業は、工場のラインを買えば翌日から同じ品質で動く世界ではない。
そこにあるのは、失敗を重ねた人間の時間

だから、静かな廃業を軽く見てはダメ。

一人の農業者がやめるということは、
一つの経験の束が消える。

第4章 廃業はニュースになる前から始まっている

現場が怖れているのは、大きな倒産ニュースだけではない。

むしろ、本当に怖いのは、ニュースにならない廃業になる。

「あの人、今年でやめるらしい」
「あのハウス、来年は作らないらしい」
「あそこ、面積を半分にするらしい」
「あの若い子、継がないらしい」
「あの出荷組合、数量が集まらなくなってきたらしい」

ついこの間、関東エリアで一つの部会が今年で生産を辞めると言う話が届いた。
理由は
後継者問題。
部会内には複数の経営体がある。みな後継者は入ったが、1人また1人と辞めて行き、そして最後部会長の後継者も去り、全員が高齢であり継続はもう無理だと気力が尽きた....とのこと。

深掘りするならば
「後継者は、後で施設を継げるんだからいいだろ!と、月手取り10〜15万円程度を渡してそれでいいだろうと....30代、40代の後継者がその手取りで生活出来るわけもない。家族がいるのに....
それでは、サラリーマンの方がよっぽど稼げる」
と後継者は辞めて行ったと…..

夢が持てない。
家族間だと言え、
施設が後で手に入るとは言え、
今を生きれない、人としての「幸せ」を感じられない環境であれば、
辞める決断は当たり前の判断。親が子供に甘え過ぎたと言っても過言ではない。

こういう話が、地域で少しずつ増えていく。

誰かが大声で騒ぐわけではない。
新聞に載るわけでもない。
テレビが来るわけでもない。

ただ、ある日から作る人がいなくなる。

この静かさが怖い。

農業の廃業は、会社をたたむだけでは終わらない。

人がいなくなる。
技術が消える。
雇用が消える。
販路が切れる。
農地が荒れる。
ハウスが壊される。
機械が売られる。
地域の供給力が落ちる。

一度壊れたものは、簡単には戻らない。

農業は、今日思いついて明日から安定出荷できる仕事ではない。

作物を見る時間がいる。
失敗する時間がいる。
暑さにやられる時間がいる。
病気を出して悔しがる時間がいる。
資材の使い方を覚える時間がいる。
水を覚える時間がいる。
人を育てる時間がいる。
取引先との信用を作る時間がいる。
数字を見て痛い思いをする時間がいる。

その時間が、廃業と同時に切れる。

だから、
廃業は一件の経営判断ではない。
地域の蓄積が消えることになる。


今、農政に必要なのは、倒れてから助けることではない。
倒れる前に、何が折れかかっているのかを見ることになる。

農業者の心が折れる時は、急に折れるわけではない。

最初は、少しだけ設備修繕を先延ばしにする。
次に、少しだけ作付けを減らす。
次に、人を入れるのを諦める。
次に、更新投資を止める。
次に、子どもに継がせる話をしなくなる。

そして最後に、静かにそっとやめる。

この流れは、決算書だけでは見えにくい。
統計だけでも見えにくい。

でも現場を歩けば分かる。
資材置き場を見れば分かる。
ハウスの修繕状況を見れば分かる。
経営者の顔を見れば分かる。
従業員の疲れを見れば分かる。
通帳の残高と支払い予定を見れば分かる。

「まだ続ける」と言っている人の中にも、
心の中ではもう出口を探している人がいる。

この声を拾わなければならない。

農水省が悪いと言いたいわけではない。
政治が全部悪いと言いたいわけでもない。


ただ、政策を作る側が、聞く声が、

数字の良い事業者や発信力のある有識者に偏れば、

本当に苦しい現場の声は届きにくい。

苦しい農業者ほど、声が小さい。
苦しい農業者ほど、会議に行けない。
苦しい農業者ほど、資料を作れない。
苦しい農業者ほど、自分の苦しさをうまく言葉にできない。


そして、苦しい農業者ほど、静かに消えていく。

ここを見ない農政は、現場の廃業スピードを見誤る。

農政の考える廃業スピードはウォーキング。
現場の廃業スピードは飛行機。


この差は、ただの感覚の違いではない。
政策が届く前に、現場が消えるかもしれないという危機感。

現場の農業者の心の叫びは、たぶんこうなる。

「助けてほしいと言いたい。でも、助けてと言う前に明日の出荷がある」
「価格を上げたい。でも、取引先を失うのが怖い」
「人を雇いたい。でも、払えるか分からない」
「設備を直したい。でも、借入を増やすのが怖い」
「続けたい。でも、続ける理由より苦しさが勝つ日がある」


この声を、政策の真ん中に置いてほしい。

農業者は、楽をしたいわけではない。
儲けすぎたいわけでもない。

ただ、
作り続けられる価格がほしい。
次の作付けに向かえる資材がほしい。
従業員に給料を払い、家族を守り、取引先に約束通り届けられる経営環境がほしい。


それだけ。

農業を守るとは、農家を甘やかすことではない。

再生産できる価格を社会で認めること。
資材が確保できる仕組みを作ること。
価格転嫁を農家だけの交渉力に任せないこと。
静かな廃業を、数字に出る前に見つけること。


ここまで踏み込まなければ、現場は守れないと思う。

そして、現場が守れなければ、最後に困るのは消費者になる。

野菜が棚にあることは、当たり前ではない。
誰かが作っている。
誰かが包んでいる。
誰かが運んでいる。
誰かが支払いに苦しみながら、それでも出荷している。


この当たり前の裏側にいる人たちを、社会全体で見直す時期に来ている。

後継者へ



後継者には、農政に文句を言うだけの経営者にはなってほしくない。

国が悪い。
時代が悪い。
資材屋が悪い。
取引先が悪い。
消費者が悪い。

そう言いたくなる日は必ず来る。

自分も何度もある。
腹が立つ日もある。
悔しくて眠れない日もある。
通帳を見て、黙る日もある。

それでも、そこで止まったら経営者ではなくなる。

政策を見ること。
現場を見ること。
数字を見ること。
資材を見ること。
人の疲れを見ること。
取引先の事情を見ること。

そして、自分の会社が今どの場所にいるのかを見ること。

伸びる側にいるのか。
踏ん張る側にいるのか。
出口を探す側に近づいているのか。

この位置確認を間違えると、投資も借入も雇用も判断を誤る。

農業は作物だけを育てる仕事ではない。
会社を育て、人を守り、地域の食をつなぎ、次の世代に選択肢を残す仕事

だから、
数字から逃げるな。
価格交渉から逃げるな。
資材確保から逃げるな。
借入から逃げるな。
投資から逃げるな。
撤退判断からも逃げるな。


農政が歩くなら、
現場の経営者は飛びながら考えるしかない。
飛びながら会社を守る。
飛びながら人を守る。
飛びながら食をつなぐ。

その覚悟がなければ、次の世代に農業は渡せない。

今、自分たちの会社はどこにいるのか?

伸びる側か。
踏ん張る側か。
それとも静かに出口へ近づいている側か。


その問いから逃げない者だけが、次の景色を見られる。

投資 × 未来 × 覚悟 = 後継者備忘録

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八須賀松夫 記事が良かったら、お気持ちをチップで頂戴できれば記事UP意欲に繋がりますし、素直に喜びます。