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推しつけられても、推したくないから。

自分な好きなもの…今でいうと「推し」を他人に勧める、ということは基本的には歓迎すべきと思いますし、筆者も基本その考え方ではいます。
但し、むやみやたらに他人に「推し」を勧めることは基本あんまりよくないよねーというようなことを最近考えています。

なぜか。
基本、人が何かを好きになり、応援したい、推したいという感情は自発的に起こるものであると筆者は考えます。
これ面白いよ、ぜひとも(読んでよ/観てよ)と知人から勧められた作品を実際に読んだり見たりしても、作品としてよくできているなーという感想を抱くことはあれど好きになるかは筆者の場合半々程度。
筆者は元々同世代の人と嗜好の傾向がけっこう異なるため、こればっかりは人による部分があるとは思っています。

加えて。
強く推されるあまり、他を貶されるようになったら赤信号。
貶される対象が好き、という人にしてみれば言語道断な話になってきてしまうわけでして。そんな状況で推される対象を押したい、と思うかどうか考えてみれば到底無理な話。

これらの経験もあり、筆者の場合、他人に推したいものがある場合も
「これこれこういうのが好き、でもあなたはこれを好きになってもいいし、そうならなくてもいい。もしこれはあなたが嫌いなものであったら、それは仕方ない。でも、私という人間は嫌いにならないで」
という立ち位置をとるようにしています。
最近の筆者の場合は鉄道趣味に加えてxR関係がこれに該当するでしょうか。

逆もしかりで、嫌いなものに対しても
「これは自分としては好きじゃない。でもあなたはこれを好きであったとしても、そのことであなたを嫌いになるとは言わないし、あなたも私を嫌わないでほしい。あなたがそれを好きである、ということは尊重する」
という立ち位置です。

この辺は思想、哲学的な部分でも応用できそうだな、というのを文章に書きだして改めて思った次第です。


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