見出し画像

証明写真でおブス顔になるのは、全部カメラマンの「顎を引け」という指示が悪い

顎を引け、という呪い



証明写真を撮ってもらうとき、カメラマンは必ずこう言う。

「もっと顎引いて」

……なんだそれは。

フェルミ推定でこういった撮影に関わるプロカメラマンの数を割り出してみると、全国でおよそ2万人という数字が出てくる。
つまり日本人1億2398万人のほぼ全員が、生涯に一度は「顎引いて」という言葉に直面し、そして全員が心の中で「はあ?」と思っている。
これは日本語で最も意味の通じない指示ランキングがあれば確実にトップ3に入る。
「空気読んで」「いい感じに」、そして「顎引いて」。
この三大謎指示が日本社会を今日も静かに混乱させている。

実際、あの言葉を聞いた瞬間に何が起きるか思い返してみてほしい。
まず自分の顎を、首に埋め込もうとするような謎の動きをする。
二重アゴが誕生する。
上目遣いが過剰になって、気づけばサスペンス映画の序盤に出てくる「絶対こいつが犯人」みたいな目つきになっている。
それでもカメラマンは「もう少し顎引いて」と繰り返すので、真剣になりすぎて口元のことを完全に忘れる。
半開きになった口の隙間から、魂が少しずつ抜けていく。

結果どうなるか。









​出典:TikTok HIKAKIN公式アカウント(@hikakin) 投稿日:2019年5月4日 投稿動画より引用


HIKAKINになる。

日本のカメラマンは、この国の全市民をHIKAKINにしようとしているのか。
完成した「なんか怪しい人の顔」で就活用の証明写真を撮ると、履歴書を開いた採用担当者は一瞬だけ手が止まる。
止まるが選考は通らない。



では「顎を引く」とは本来何を意味するのか。
正解を教えよう。
姿勢を伸ばして胸を張り、頭部をカメラから遠ざけるように後ろへ引く——それが正体だ。
顎なんてほとんど関係ない。
初めて知ったと思うが、俺もたまには役に立つことを言う。

ここで当然、こんな声が上がるはずだ。

「顎じゃねぇじゃあねぇか!!!」

全くもってその通りだ。
むしろ「顔引け」とか「頭引け」のほうがまだ伝わる可能性がある。
英語の撮影現場では "Chin down" というらしいが、これには「顎の先端を下げる」ニュアンスがある。
それを日本語に翻訳した誰かが「顎を引け」という言葉を生み出した瞬間、日本人の証明写真の歴史は静かに狂いはじめた。
この呪いは昭和から令和まで何十年も語彙のアップデートなしに受け継がれ、今日もどこかのスタジオで新たな犠牲者を生み続けている。
本当に言うべき指示は「後頭部を吊り上げろ」か「胸骨を斜め上に突き出せ」だ。
解剖学を学んでからシャッターを切ってくれ。



さて、問題は顎だけに留まらない。

カメラマンはこうも言う。


「肩の力、抜いて」

わかった。
今度は信じてやる。
裏切られた回数はもう数えない。

しかし「肩の力」とは何か。
肩は通常の状態でも既に脱力しているはずで、重力という名の無敵の力によって常にニュートラルが保たれている。
その抜けている状態からさらに抜くとはどういうことか。
物理的に考えると肩が落下するしかないが、そんな人体改造は生まれてから一度も経験したことがない。

そんなことを考えているうちに肩への意識が過剰になる。
「肩に力が入っているのかもしれない」「そもそも俺の肩は正常なのか」「肩とは何か」という哲学的な問いが頭の中を駆け巡る。
肩を意識しすぎると今度は腕もじわじわと上がってくる。
両腕が少しずつ浮き始め、まるでゾンビが棺桶から起き上がるような不穏な姿勢ができあがる。
カメラマンを信じているので顔は今回も真剣だ。

結果どうなるか。









​出典:X(旧Twitter) @hikakin(HIKAKIN) 2018年9月12日の投稿より引用


またHIKAKINじゃあねぇか!!!

こいつら一体何のつもりだ。
カメラマン界隈ではHIKAKINが至高の顔面モデルとして定義されているようだ。
さすが日本一のYouTuberだ。
どんなポーズも表情も、最終的にHIKAKINに収束していく。
これはもはや物理法則だ。



わかった。
もうカメラマンの指示は全てHIKAKINをモデルケースにしている。
だったらこっちも最初からHIKAKINになってやろうじゃないか。
その覚悟で臨む。

そんなとき、カメラマンはこう言う。
「目を開けて」だ。

開いてる。
人間は一日の約70%、目を開けている。
開いているものに開けとはどういうことか。
「もっと生きて」と言われるようなものだ。
一応生きてるんだが。

わかってる。
俺は極端に目が細い。
起きていても寝ていると判断されるレベルには。
高校時代、英語の授業中に「寝てるのか?」と山田教諭に声をかけられたが、俺はその瞬間もちゃんとノートを取っていた。
これは差別だ。
しかし、そんな俺に「目を開けて」と言うのは、もはやルッキズムに片足どころか両足を突っ込んでいる。

だが俺はHIKAKINだ。
カメラの向こうの人を楽しませなければならない。
いいだろう、見せてやる。

自分が持ちうる限り目をかっぴらく。
無理をしているので眉間に深い皺が刻まれ、顔全体が「今から大事な話をする」という表情に固定される。
目元に全神経を集中させているのでお約束のように口元がお留守になる。

結果どうなるか。










​出典:YouTube SEIKINTV 動画:はじめしゃちょー、ヒカキン、セイキンがまさかの大喧嘩!? より引用


SEIKINじゃあねぇか!!!
兄貴の方だよ!!!!!

日本のカメラ業界はHIKAKINに支配されているのではない。
開發一家に牛耳られている。
そしてこの顔でパスポートを作ると、出国審査のたびに係員が顔とパスポートを交互に見て、一瞬だけ「本当にこいつか?」という表情をする。
本当にこいつだ。
毎回俺だ。
俺かSEIKINだ。



そもそもカメラマンという生き物は、矛盾の塊だ。
「リラックスして」と言いながら、巨大なレンズと業務用の強烈なストロボで正面から威圧してくる。
あれはリラックスできる環境ではない。
あれは尋問だ。
取調室に白いバックスクリーンを張っただけだ。

しかも散々「顎引いて」「肩の力抜いて」「目を開けて」と筋トレ並みの指令を矢継ぎ早に浴びせておきながら、全部やり遂げた瞬間に奴らは必ずこう言う。

「あー、ちょっと表情硬いですね。自然な感じでお願いします」

できるかバカ。
こっちは顔中の筋肉をミリ単位で制御して、人体の限界に挑んでいるんだ。
その状態で「自然」を要求するのは、フルマラソン完走直後に「爽やかにスキップしてください」と言うのと同義だ。
「自然」が欲しいなら最初から何も言うな。
俺は何も言われなければ普通の顔をしていた。
お前らが俺をSEIKINにしたんだ。


カメラマン語の翻訳集

もうカメラマンの言葉は額面通りに受け取らなくていい。
伝わらない指示は指示ではない。
全部「翻訳」すればいい。

「顎引いて」と言われたら、顎を動かすな。
耳の穴を真上に引っ張られるイメージで背筋を伸ばせ。
顎は関係ない。
顎は無実だ。

「肩の力抜いて」と言われたら、一度思いっきり肩をすくめてから、ストンと落とせ。
それがお前のデフォルトだ。
哲学的な問いに踏み込むな。
肩について考え始めた人間に救いはない。

「目を開けて」と言われたら、目に力を入れるな。
おでこの筋肉を動かさず、奥歯の噛み合わせを緩めろ。
目は顔全体がリラックスして初めて自然に開く。
眉間に力を入れた瞬間、お前はもうSEIKINだ。

これを実践するだけで、指名手配犯のような証明写真から卒業できる。
カメラマンと開發一家を信じるな。
お前の身体構造と俺を信じろ。



●サバチー エッセイまとめ
狂犬の無駄吠え(エッセイ・日記)

●共同運営マガジン ノラマガ
現在絶賛メンバー募集中!!!


【サバチーの餌代】



いいなと思ったら応援しよう!