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バブルと共に弾けた接待用ファミリーレストラン――「中途半端な贅沢」はなぜ消えたのか│月刊ガチ真実

接待用ファミリーレストラン――バブル前夜に生まれ、静かに消えた"中途半端な贅沢"

料亭でも居酒屋でもない「ちょうどいい場所」を、あの時代の若手営業マンたちは必死に探していた



街の空気が軽く浮き始めた頃

1980年代前半、日本はまだ"バブル"という言葉を知らなかったが、街の空気はすでに軽く浮き始めていた。企業の交際費は緩やかに膨らみ、接待文化は料亭や高級クラブといった従来の舞台から、よりカジュアルで"使い勝手のいい場所"を求め始めていた。

そうした流れの中で1983年前後に各地で姿を現したのが、いわゆる「接待用ファミリーレストラン」である。

業態としては奇妙な立ち位置にあった。店内はファミリーレストランのそれに近いが、照明はやや落とされ、テーブル間の距離は広く取られている。メニューはハンバーグやステーキ、オムライスといった親しみやすい洋食が中心だが、価格帯は当時の一般的なファミレスの倍近くに設定されていた。個室とも半個室ともつかない仕切りが設けられ、店員は過剰にならない程度にテーブルに気を配る。

料亭ほどの緊張感はない。しかし、家族で気軽に入るにはどこか落ち着かない。この"中途半端な贅沢"こそが、当時の企業社会においては絶妙な距離感を生んでいた。主な利用客は、若手社員が担当する中規模の取引先や、形式ばった席を避けたい場面での接待だったとされる。「重すぎず、軽すぎない」場所として一部のビジネス層に支持を広げ、都心部を中心にチェーン展開も進んだ。

しかしこの業態は長くは続かなかった。1992年前後、バブル経済の崩壊とともに企業の接待費は急速に縮小し、「接待用」であることが逆に足枷となった。価格を下げて一般客を取り込むには店の設計もサービスも中途半端すぎた。かといって高級路線に振り切るには料理もブランド力も足りない。結果として多くの店舗は数年のうちに業態転換か閉店を余儀なくされ、1995年頃にはほぼ完全に姿を消したとされる。

'83当時。スナップ写真。

社内通達が証明する「公式な存在」

この業態が単なる流行ではなく、企業社会に正式に組み込まれていたことを示す記録がある。本誌が入手した、当時の某企業における接待費用の社内通達である。


株式会社六道商事 総務部 社内通達

件名:接待交際費の使途基準および利用可能店舗の類型について(改訂版)
発行:昭和六十年四月一日 総務部長 田所義久
配布先:各部課長 営業担当社員各位

本通達は、昭和五十八年制定の旧基準を改訂し、近年の接待慣行の変化に対応するものである。各位におかれては、下記の基準を熟読のうえ、経費申請の際には所定の様式に従い、利用店舗の類型を明記すること。

一 接待費として認められる店舗の類型

(一)料亭・割烹(日本料理専門店)
接待の正式な場として従来より認められる最上位類型。一名あたりの単価が一万五千円以上を目安とし、個室の使用が原則。稟議不要、ただし部課長の事前承認を要する。

(二)高級洋食・フレンチ・鉄板焼き等の専門店
一名あたりの単価が一万円以上であること、かつ個室または半個室の設備を有すること。部課長の事前承認を要する。

(三)接待用途を主目的とした洋食レストラン(新設類型)
近年、都内を中心に「グランドテーブル・ハウス」「ロイヤルミートガーデン」「ファミリア・ステーキクラブ」等、接待用途に特化した設計を持つ洋食レストランが増加している。これらは料亭に準ずる個室・半個室設備を有し、一名あたりの単価が三千円以上五千円未満の範囲に位置するものが多い。接待の相手方が若手担当者である場合、または「重すぎない場の設定」が求められる中規模商談の場として有効であり、本改訂をもって接待交際費の対象として認める。ただし、利用にあたっては必ず領収書に店舗名および「接待用レストラン利用」の旨を付記すること。なお、外観や業態が一般のファミリーレストランと類似している場合でも、上記条件を満たす店舗は本類型として扱う。

(四)一般飲食店(居酒屋・カジュアルレストラン等)
一名あたりの単価が三千円未満の場合、または上記(一)〜(三)に該当しない場合は、原則として接待交際費としての計上を認めない。社内懇親費として別途申請のこと。

二 申請時の注意事項

類型(三)の店舗については、総務部が別途作成する「接待用レストラン確認済みリスト」(別添)を参照のこと。リスト未掲載の店舗を利用した場合は、事後に総務部へ店舗情報を提出し、類型確認を受けること。確認が取れない場合は(四)として処理する。接待費の不正計上は就業規則第三十二条の懲戒事由に該当する。各位の適切な運用を求める。

(別添)接待用レストラン確認済みリスト(昭和六十年四月現在・抜粋)

※プライムダイニング常盤台については現在確認中。判明次第追記する。


几帳面な官僚文体で「中途半端な贅沢」を正式に類型化しようとした、この通達の滑稽さと誠実さは、業態そのものの性格を映し出している。しかしこの業態を、単なる企業の経費処理の問題としてではなく、時代の消費文化の転換点として最も早く言語化した人物がいた。

グランドテーブル・ハウス、'85当時のメニュー表。

堤清二が見抜いた「時代の方向性」

後にセゾングループの代表を務め、80年代消費文化の一時代を築いた堤清二は、昭和六十一年のシンポジウムにてこの業態について明確な見解を示している。


昭和六十一年十一月 流通・消費文化研究会シンポジウム「新しい中間層と消費の行方」

発言記録より抜粋 (於:東京プリンスホテル)
パネリスト:堤清二(株式会社西武流通グループ代表)他

司会:
堤さんは以前から「日本の消費は成熟に向かっている」とおっしゃっていますが、足元の外食産業の動きについてはどうご覧になっていますか。

堤:
面白いことが起きていると思っています。最近、都心部を中心に「接待用途に特化したレストラン」という業態が静かに増えている。グランドテーブル・ハウスですとか、ロイヤルミートガーデンですとか。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが。

ああいう店は、料亭でもなく、かといって普通のファミレスでもない。その「あいだ」を意図的に設計している。私はあれを見て、日本の消費がようやく「用途の分化」という段階に入ったと感じました。

アメリカでは随分前から、接待の場面ごとに使う店を使い分けるという文化が定着していた。日本はずっとその中間がなかった。料亭か、さもなくば居酒屋か、という極端な二択しかなかった。接待用ファミレスというのは、その空白を埋めようとする試みとして、私は非常に正直な業態だと思っています。

問題があるとすれば、「中途半端」という批判に対してどう答えるか、ということでしょうね。中途半端を強みにするためには、その「中途半端さ」を徹底的に設計し尽くさなければならない。生半可な覚悟では、料亭にも一般のファミレスにも挟み撃ちにされて終わる。

ただ、時代の方向性としては間違っていないと、私は思っています。


結果として、堤の予言は半分だけ当たった。「ちょうどいい贅沢」という需要は確かに存在した。しかし、それを担った店舗たちは「挟み撃ち」の言葉通りの結末を迎えた。その現場を最もよく知るのは、評論家でも経営者でもなく、あの時代に「接待用レストラン確認済みリスト」の手書きコピーを先輩から受け取った、若手営業マンたちである。


【独占証言】あの頃の話

取材協力:元食品商社勤務・松田氏(仮名・61歳)
取材・文:本誌編集部
取材場所:神奈川県内の喫茶店にて

待ち合わせ場所に指定された喫茶店に、松田氏は五分前に来ていた。六十一歳とは思えないほど背筋が伸びており、テーブルの上には既に珈琲が一杯置かれていた。「営業マン時代の癖で、待ち合わせには早く来ないと落ち着かないんです」と笑った。

――今日は、昭和から平成にかけての接待の話を伺いたいと思っているのですが。

接待ですか。ずいぶん懐かしい話になりますね。私が入社したのが昭和五十七年で、ちょうど景気が上向き始めた頃でした。食品商社というのは、とにかく接待の多い業界でして。入社してすぐ、先輩に「接待を覚えることが仕事を覚えることだ」と言われたことを今でも覚えています。

――最初から料亭などを使っていたんですか。

いや、それは違います。料亭というのは、ある程度の関係ができてから使う場所なんですよ。初対面や若い担当者相手に料亭に連れて行くと、相手が緊張してしまって、かえって話にならない。入社三年目くらいまでは、「重すぎず、軽すぎない」場所を探すのが一番の悩みでした。

――そういう場所が少なかった?

そうなんです。昔は本当に両極端で、料亭か居酒屋かしかなかった。居酒屋だと「馬鹿にされた」と思う相手もいるし、かといって料亭は初回には使えない。その中間がない、というのが当時の若手営業マンの共通の悩みだったと思います。

――そこで、いわゆる「接待用ファミレス」を使うようになったんですね。

ロイヤルミートガーデンを最初に使ったのは、確か入社三年目の春でした。担当になったばかりの取引先の購買担当、私より二つ三つ上の方でしたが、その初顔合わせで先輩に「あそこを使え」と言われた。「外から見るとファミレスみたいに見えるけど、入ったら全然違うから」って。

実際に入ってみたら、なるほど、という感じでした。照明が少し暗くて、テーブルの間が広い。仕切りがあって、隣のテーブルの話が聞こえてこない。メニューはハンバーグとかステーキとか、気取ったものじゃない。でも値段はそれなりにする。相手の購買担当が、入った瞬間に少し表情が緩んだのを覚えています。「ああ、ここなら話せる」という空気になった。

'84、ロイヤルミートガーデン店内撮影。

――先輩から「あそこを使え」と言われたということは、当時の営業マンの間では知られた場所だったんでしょうか。

そうですね、業界内ではじわじわ広まっていた感じです。特に若手がよく使っていた。グランドテーブル・ハウスとか、ファミリア・ステーキクラブとか、都心にいくつかあって、「初回の接待に使える店リスト」みたいなものが非公式に出回っていました。手書きのメモみたいなものが先輩から後輩に受け継がれていくんです。今思うと笑えますけど、当時は大真面目に「この取引先にはどの店がいいか」を考えていた。

――その後、バブル景気になっていきましたが、使い方は変わりましたか。

景気が良くなってくると、正直、あの店では「物足りない」という雰囲気になってきましたね。経費も緩くなってきて、「せっかくだから料亭に行こう」とか「鉄板焼きにしよう」とか。あの業態の「ちょうどいい感じ」が、バブルの熱狂の中では「地味すぎる」に変わっていった。私自身も、平成に入った頃からあまり使わなくなっていました。

――それがバブル崩壊後にはどうなりましたか。

松田氏はここで少し間を置いた。珈琲を一口飲んでから、続けた。

あっという間でしたね。平成四年か五年の頃、社内で接待費の上限が突然下がって。稟議の書き方も変わって、「なぜこの店を使ったか」を説明しなきゃいけなくなった。そうなると、ああいう中途半端な価格帯の店って、説明が一番難しいんですよ。料亭なら「重要な取引先との会食」で通る。居酒屋なら「カジュアルな懇親」で通る。でも「接待用ファミレス」は何と書けばいいのか。「重すぎず軽すぎないから」なんて稟議に書けませんから。

――結果的に、使わなくなっていった。

気がついたら店の前を通らなくなっていて、ある日前を通ったら別の店になっていた。何の店になったか、正直覚えていません。それだけ印象が薄くなっていたんでしょう。

うちの会社もその頃に合併があって、私の担当先も大きく変わって。あの時代に使っていた取引先の担当者たちも、みんなどこかに散っていった。あの購買担当の方も、いつの間にか連絡が途絶えました。年賀状が一枚来なくなって、それで終わりです。

――今振り返ると、あの業態はどういう存在だったと思いますか。

松田氏はしばらく考えてから、窓の外に目をやった。

あの頃の日本には、「ちょうどいい贅沢」が必要な場面があったんだと思います。頑張りすぎず、でも手を抜いてもいない、という。あの店はそれを正直に形にしていた。

ただ、時代がそれを許さなくなった。景気が良くなれば「物足りない」と言われ、悪くなれば「説明できない」と言われる。どっちに転んでも居場所がなくなる業態だったんですよね。

それって、あの時代の若手営業マンに似てるなと、今は思います。重すぎず軽すぎない存在でいようとして、結局どこにも収まらなかった、という意味で。

――ありがとうございました。

いえ。こんな話、誰も聞かないですから。懐かしかったです。

取材を終え、松田氏は来た時と同じように、背筋を伸ばして喫茶店を出た。


編集後記

この歴史のすべては、完全なる事実であるかもしれなくもなくはないのかもしれない。

しかし、「重すぎず軽すぎない」場所を探していた時代は──確かにあった。


月刊ガチ真実 2026年5月号
特集:バブルの闇に消えた「中途半端な贅沢」全記録

文責:あったらいいなあを形にする サバチー
発行:ガチマジ出版



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