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野良だった我が、猫アレルギーの男に飼われている理由│シロクマ文芸部

我、寄生す



猫を飼う、と人間は言うがそれは傲慢だ。
我が飼われてやっているのだ。

経緯を説明しよう。

我はもともと、この街の路地に生きていた。
雨の夜も、氷点下の朝も、己の判断と身体能力だけを頼りに生き抜いてきた。
誇り高き独立独歩の存在である。
縄張りがあり、日課があり、誰の顔色も窺わない生活があった。
それがなぜ今、ちんけな1Kの賃貸マンションの窓辺で丸くなっているのか。

すべては、あの男の判断の遅さが原因だ。



最初に餌をもらったのは去年の秋、気温が落ちはじめた頃だった。
男はひどくためらっていた。
我に手を伸ばしながら、触れる直前でくしゃみをした。
それでも皿を差し出しながら「まあ、一回だけな」と言った。
声が少し上ずっていた。
アレルギーがあるくせに距離を詰めてくる、矛盾した行動をとる個体だと思った。

翌日、また来た。
その翌日も。
そのまた翌日も。

週が変わっても来た。
月が変わっても来た。
男はそのたびにくしゃみをしながら、それでも懲りずに現れた。
我は徐々に理解した。
この個体は合理的な判断を下せない種類の人間だ、と。

男の部屋にはマルチーズの置き物がある。
スマートフォンでは頻繁に犬の動画を眺めている。
犬派である。
それでいてアレルギー持ちである。
なぜ近づいてくるのか、理屈が通らない。
しかし我にとって、寄生先の条件とは合理性ではない。
追い出さないことだ。

ある雨の夜、我は彼の部屋の玄関前に座っていた。
雨宿りのつもりだった。
靴が地面を叩く音がして、男が帰ってきた。
我を見た。
濡れた我を見て、また我を見た。
五分間、ドアの前で立ち尽くした。
葛藤しているのが気配でわかった。
くしゃみを一度した。
それから、扉を開けた。

それだけのことだ。
我は寄生先を確保した。

合理的な人間なら、そうはしない。
アレルギーがあって、犬派で、1Kに住んでいるなら、躊躇なく追い払う。
だからこそ、選んだ。
隙だらけの個体の方が、長く居座れる。
これは打算であり、我の生存戦略だ。
情ではない。
断じて。



本日の朝、給餌が七時を十二分過ぎた。

我は皿の前で定刻より早くから待機していた。
待機しながら、この個体の問題点を頭の中で整理した。
起床が遅い。
起床してからの動作が緩慢。
冷蔵庫を三回開けて三回閉め、コーヒーメーカーのスイッチを入れ、スマートフォンを確認し、それからようやく我の分の準備にとりかかる。
この無駄な工程の数々はなんなのか。
優先順位の設定が根本的に狂っている。

七時十二分、皿が置かれた。

我は食べた。
文句は言わない。
我は寛大だ。
ただ、食べながら男の足首を一度だけ見た。
無言の視線だ。
男には伝わっていないかもしれないが、重要なのは我が記録したという事実だ。

男はくしゃみをした。
朝の光の中で、盛大に。

自業自得である。
距離感の問題だ。
我との適切な距離を学習する気があるなら、アレルギー反応も多少は軽減されるはずだが、この個体にその気配はない。
毎朝くしゃみをしながら、毎朝懲りずに近づいてくる。
学習能力について、疑問を感じる。



夜、男の帰りが遅かった。

我は窓辺にいた。
待っていたわけではない。
窓辺が好きなのだ。
街灯の光が路面に滲んで、夜の空気が冷えていくのを見るのが、習慣になっているだけだ。
たまたまそこにいた。
それだけの話である。

二十二時を回ったころ、鍵の音がした。
男が入ってきた。
スーツが少し乱れていた。
疲れた顔をしていた。
靴を脱ぐ動作がいつもより重かった。

男は我を見て、「ただいま」と言った。

返事はしない。
そもそも我は喋れない。
それ以前に、返す義理もない。
寄生先に感謝を示す寄生生物など、聞いたことがない。
ただ我は、男が言った言葉の方向を確認した。
ちゃんと我に向かって言っていた。
それは把握した。

男はくしゃみをした。
それから手を洗い、着替えて、ようやく我の夜の分を用意した。
時刻は二十二時十七分。
論外だ。
定時概念が存在しないのか。
我が管理する帳簿の中に、また一行記録が増えた。

ただ、飯はうまかった。
それとこれとは別の話だ。



翌日の夕方、男は大きな紙袋を提げて帰ってきた。

袋から出てきたのは、棒の先に長い紐がついており、その紐の先端に、ねずみを模したぬいぐるみが縫いつけられている、という代物だった。
ペット用品の類だと理解するまでに、数秒かかった。

我はそれを見た。
それから男の顔を見た。
男は、何故かうれしそうだった。
目が輝いていた。
こういう顔をする個体なのか、という新しい情報を我は記録した。

……なんだこれは。

バカにしているのか。
我を子供だと思っているのか。
ねずみの模造品ごときで釣れると本気で信じているのか。
この個体の我に対する解像度は、一体どの程度のものなのか。

男は紐の先をひらひらと揺らした。
ねずみが揺れた。
また揺らした。
また揺れた。
繰り返した。

我は動かなかった。
動く理由がない。

しかし——男があんなにうれしそうな顔をするとは、思っていなかった。
普段は感情の起伏が読みにくい個体だ。
それが今、子供のような顔をしている。
疲れた昨夜の顔と、同一個体とは思えない落差がある。

……仕方ない。

我は前足を一度、静かに伸ばした。
ねずみに触れた。
一度だけ。

男の顔が、さらに明るくなった。

我は前足を引いた。
毛づくろいを開始した。
これ以上付き合う義理はない。
施しとは過剰にならぬよう、適切な量で切り上げるものだ。
寄生先を調子に乗らせてはいけない。
これも、戦略だ。



その夜、男はソファに座ってスマートフォンを見ていた。
我は少し離れた場所の床にいた。
特に意図はない。
ただそこが、その時点で最も適温だっただけだ。

しばらくして、男の手が伸びてきた。
顎の下に触れた。

我は、その、不覚を取った。

ゴロゴロという音が、我の喉から出た。

……しまった。

これは反射だ。
身体の問題だ。
意思とは無関係に、顎下を刺激されると出る、生理的な反応にすぎない。
我の品格や矜持とは、一切関係がない。

男が言った。
「かわいいじゃん」
あの、うれしそうな顔だった。

我はすぐさま立ち上がり、窓辺へ移動した。
毛づくろいを再開した。
動揺は微塵も見せなかったと思う。
思いたい。
少なくとも動揺しているように見えてはいなかったはずだ。
そう信じたい。

ねずみのぬいぐるみが、床に転がっていた。
昼間からそこにある。

我は見なかったことにした。

これは寄生だ。
打算と居心地の問題だ。
情でも愛着でもない。
断じて。

男がまたくしゃみをした。
我は窓の外を見た。
夜の街が静かだった。




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