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30代男性が毎回トイレでやっていること、女性は多分知らない

ネタが無い日の「ナニ」のはなし



今日はネタが無い。

いや、正確には今日もネタが無い。

もっと正確に言うと、この記事が出る月曜より一日前、日曜の朝9時20分に目を覚ました俺は、10時ごろに「よし、今日は書けるぞ」と天才みたいな顔をしていた。
ネタが3つも浮かんでいた。
3つだ。
普段の3倍だ。
神様が俺に微笑んでいた。

そして一旦、「よし」と言ってからマッチングトンマンションというパズルアプリゲームを開いた。

気づいた時には一合飯に生卵・醤油・みりん・味の素・小口ネギ・ご飯ですよをぶち込んで、かっ込んでいた。
ネタは3つとも、どこにもなかった。
俺の頭の中には「ステージ12733クリア」という実績だけが残っていた。

何をやっているんだ俺は。

メモをしろ、メモを。
「一旦」じゃないんだよ。
日々スマホで何万字も書いておいて、なぜ30秒でメモが取れないんだ。
お前の指は飾りか。
お前の脳は飾りか。
そうか、飾りなのか。



俺の脳の澱をかき混ぜる

仕方がないので、記憶の底にヘドロのように沈んでいるものをぐるぐるかき混ぜてみた。
釣れてきたのは、ぼんやりとしたシルエットだけだった。

「……なんか、エロいことだった気がする」

幅が広すぎる。
もはや手がかりですらない。
「なんか、物質だった気がする」と言っているのと変わらない。

俺のnoteは基本的に下ネタを主軸にしていない。
自分のキャラクターへの影響を恐れているわけではなく、単純にnoteでド変態性を全開示してもPVが取れないだろうという、ロクでもない打算からだ。
「パンツ」とか「キス」とか、小学生も動じないレベルの単語に頬を染めてキャッキャしているのが、俺が思うnote全体のパブリックイメージだ。

その一方で、自分の性体験を生々しく書くのはむしろ歓迎されているというのは、頭がおかしいと思うが、これはnoteに限らず日本の倫理観全体がそうなっているので、プラットフォームではなく世界ごとイカれているという話だ。
俺には止める手段がない。

とはいえ、俺の頭の中が常に下ネタに振り切れているのは揺るぎない事実だ。
一人暮らしが長い人には共感してもらえると思うが、俺は自室でたまに無意味な単語を発する。
そのランキングの不動の1位は「アナル」だ。
特に意味はない。
ただ出てくる。
朝起きたら「アナル」、お湯が沸いたら「アナル」、充電が切れそうになったら「アナル」。
誰にも届かない言葉が、今日も北海道の空に消えていく。


消去法で候補を全滅させる

ただし、ネタとして書くとなれば俺なりのラインがある。
「これはまずい」と感じるものはそもそも候補に上がらないはずで、俺が思いついていたネタはそのラインを超えていないはずだ。
この前提で考える。

まず女性器が絡む話は消える。
男女平等やジェンダーフリーが叫ばれまくっている時代にあって、なぜか人類は未だに全会一致で女性器をタブーとしている。
おちんちんはポップなネタになれるのに、女性器には妙な緊張感が走る。
これは是非の話ではなく、現実の話だ。
なぜそうなったのかは俺にもわからないし、人類にもわかっていないと思う。

次にAVを検討したが、これも多分違う。
俺がAVを深く愛好していることは先に表明しておくが、女性読者が拒否感を抱く以前の問題として、文脈が共有されない可能性が高い。
「例のプール」などミーム化済みのものは共通言語になるが、俺がやるとすれば「松本いちかの演技論」「八掛うみVR出ない問題の現在地」「最近の男優、顔に癖ありすぎる上にノーモザイク問題」あたりになる。
絶対に面白い記事になる。
俺が保証する。
ただ、今は出す勇気がない。

おっぱいはどうか。
土曜日の週次報告で以前書いたおっぱい記事に言及したばかりだ。
俺の性格は俺が一番よく知っている。
昨日触れたネタを今日また出すような節操のない真似はしない。
みんなの記憶から消えたころに静かに再登場させるのが、俺の美学だ。

ケツは?

……ケツはダメだ。
「ギャグじゃないアナルの話」になってしまうではないか。
いかんいかん。
気を引き締めろ。
ケツも引き締めろ。

消去法の果てに残ったのは、ひとつだけだった。

おちんちんだ。
やっぱりおちんちんだ。

やっぱり俺はおちんちんでいいや、と浜田雅功も名曲「チキンライス」で歌っている。


ポップでキャッチーでキッチュなアイツ

そういえば最近フォローさせていただいたアラさんが、「なんのはなしですか」のパロディ「ナニのはなしですか」という企画をやっていて、今週がその回収期間だという。
渡りに船とはこのことだ。
喜んでおちんちんの話をする。

おちんちんというのは、女性器がタブー視されているのとは打って変わって、ポップでキャッチーでキッチュな存在だ。
そのアイコニックさはほぼピチカート・ファイヴに匹敵する。
「人体で最も野宮真貴に近い部位はどこですか?」と聞かれたら、俺は間髪入れず「おちんちんです!!!」と答える。
東京は夜の7時、朝勃ちは朝の7時、というわけだ。
「というわけだ」、じゃあないんだよ。


本題 人体にはスイッチがついている

さて、おちんちんの話をすると決めたからといって、10時に消えたネタが戻ってきたわけではない。
かと言って、30歳男性である俺のおちんちんの形状などの話をすることも吝かではないが、読者感情としては避けたいところだ。

なので、アラさんをはじめとする女性読者と、一部の男性も知らないかもしれない、おちんちんと金玉の「秘密」についてお話しする。
金玉だってポップでマヌケだからだ。

結論から言う。

金玉にはスイッチがついている。

「はあ?」という声が聞こえる。
落ち着け。
なぜかおしなべて赤くてガラスのカバーがついてるあのスイッチではない。

金玉の裏側、医学的には「会陰」、俗称では「蟻の門渡り」と呼ばれるあの秘境周辺の内部に、そのスイッチは存在する。

なんのスイッチかって?

残尿出し切りスイッチだ。

男がトイレでどれだけ念入りに用を足しても、おちんちんの途中にはカーブがある。
水道のホースを途中で曲げたまま水を止めることを想像してほしい。
止めた後にパタパタ振っても、曲がったところに水が残る。
おちんちんも全く同じだ。
どれだけ頑張っても、カーブの部分に「魔の数滴」がいつまでも居座っている。

そしてその数滴は、チャックを閉めて歩き出したまさにその瞬間に、重力と振動によって解き放たれる。

「ジワっ……」

パンツのフロントにじんわりと広がる、あの絶望感。
30代にもなれば、それはもはや日常のプチ・トラウマだ。
「お前はまだ、自分の体ひとつコントロールできないのか」と、股間から人生を問われる瞬間である。
情けなくて泣きたくなる。
でも泣いても解決しない。

だからこそ、スイッチの出番だ。

やり方はシンプルだ。
おちんちんを構えた瞬間から、空いてる方の手の指を金玉の裏の聖域にあらかじめセットする。
そしてそのまま、放尿の全行程を通じて裏側をグッと持ち上げながら出し切る。

これだけだ。

カーブがストレートに近づき、魔の数滴が生まれる前に全部出ていく。
溜まってから押し出すのではない、最初から溜まらせない
たったこれだけのことで、パンツへの絶望が消える。
男たちはみんな、これを発見した日のことを覚えている。
あれは小さな革命だった。

ここまで読んでアラさんをはじめとする女性読者は、今猛烈に引いているか、「男って本当にめんどくさい生き物だな」と深く同情しているかのどちらかだろう。

どちらの反応も正しい。
俺たちは毎日、毎回、小便器の前で股間の裏側を指でグッと持ち上げながら、死に物狂いでパンツを守っている。
ピチカート・ファイヴのようなポップでキッチュなアイコンの裏に、これほど泥臭い努力が詰まっているとは、誰も思わないだろう。


しかし俺たちは老化に勝てない

だが、最後にひとつだけ言っておかねばならない。

この玉裏スイッチ作戦をもってしても、老化には勝てない。

このスイッチが守れるのは、尿道に入ってしまった数滴だけだ。
30代を越えて40代、50代へと進むにつれ、問題はもっと根本的なところに移っていく。
膀胱そのものが「もう閉めますね〜」と勝手にシャッターを下ろして、そのくせ中に少量をチャプチャプと残すようになる。
スイッチの接触不良とかそういう話ではない。
発電所自体がガタガタになってくるのだ。

どんなにポップにキッチュにフォームを整えたところで、俺たちは全員、いずれ尿漏れパッドのお世話になる未来へと向かって、等しく粛々と歩んでいる。
誰も例外はない。
大谷翔平だって、村上春樹だって、目黒蓮だって、浜田雅功だって、いつかは同じ道を辿る。
人類の平等とは、こういうことだ。



10時に思いついた3つの高尚なネタが何だったのかは、もう永遠にわからない。
マッチングトンマンションに脳を溶かされ、一合飯をかっ込み、たどり着いた先が「いずれ迎える排泄の限界」への哀歌だ。

我ながら、すごい日曜日を送っている。

札幌は夜の7時。
俺の尿道は今日もクリアだが、未来の膀胱の見通しは、少しだけ曇っている。




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