「憲法改正」の必要はない?
憲法前文は次のようになる。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
1945年8月15日、ボツダム宣言が受諾され、9月2日に東京湾の戦艦ミズーリにおいて降伏文書に調印がなされ、GHQのマッカーサー司令官と重光葵全権大使が共に調印し、大日本帝国は敗戦国になった。1946年5月3日からは極東国際軍事裁判が始まり、2年半余りの歳月を経て「平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益を毀損」したとして、広田弘毅、東條英機の首相経験者をはじめとしてA、B、Cの3段階に分けられた戦争加害国の責任者等が戦争の犯罪容疑で裁かれた。日本国憲法は、この極東国際軍事裁判が開始された半年後に公布され、当時の東京帝国大学に、同年2月14日に憲法学者の宮沢義俊を委員長、政治学者の丸山眞男などを委員として、憲法研究委員会が設置され、そこでの丸山眞男の発言を基にしたとされる宮沢義俊の唱えた1945年8月を指す「八月革命説」が憲法学の定説としてされてゆく。
こうして天皇に主権があるとされ、1889年2月11日に公布された明治憲法は、1946年11月3日に57年10ヶ月23日を経て、国の主権者が天皇から国民へと転換される改訂案が示されることになった。それから半年後の1947年5月3日に施行され、それから78年が経過した。あと20年余りで新憲法の公布、施行から1世紀が経過する。この間日本国憲法の下で、昭和天皇は40年余り「象徴」として天皇に在位し、戦争に関する罪については免責されるような経過を経て、しかしながら生涯に渡り戦争責任を問われる人生を送った。
象徴となった天皇は、親から子へ、子から孫へと引き継がれ、「昭和」、「平成」、「令和」と継承され現在に至っている。また、敗戦国となって最長内閣になった安倍内閣のもとで、国連憲章に言及された「集団的自衛権」を行使可能とする平和関連二法が成立し、それに先駆けて策定された「国家安全保障戦略」(2013年12月17日策定)は「国家防衛戦略」と「防衛力整備計画」と共に、2022年12月16日に改訂され、現在に至っている。国会における代表者を通じて行動し、自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し、国民に主権があることを宣言して憲法を確定した上で、防衛予算は2025年度約8.7兆円、野党議員の街頭での演説によると、ここ数年で既に40兆円を超える税金が防衛費に充てられているようだ。日本国憲法の平和主義は変容してきた。
東條英機内閣で閣僚を務め、1955年11月15日に結党した自民党で総理総裁を務めた岸信介のもとで、いわゆる安保条約は再締結された。その孫にあたった安倍晋三が敗戦国最長の内閣を担い、長く行使を憲法の下では認めてこなかった「集団的自衛権」を行使可能とする法律が制定された。この延長での憲法改正があるとすると、それについては警戒せざるを得ないと私も思う。「緊急事態条項」や国会議員の「任期延長」に終始する改憲審議は必要ないと思うが、「天皇条項」や国連憲章との整合性を図る観点から、「憲法9条」を改訂して集団的自衛権の行使を憲法の下で可能となるように検討することは、変質してゆく「平和主義」に日常的に接すると、必要がないとは言えないとも思うのだが、そのような観点から憲法の改訂が丁寧に審議できる国会とはなっていないことが残念だと思う。
