【ピリカ文庫】新人・青木ニ三さん
「広村さん。このコピー機壊れていませんか?」
青木さんは書類を持ったまま、節電中のコピー機と睨めっこしている。
青木ニ三、61歳。入社1年目。
僕の初めての部下。ダブルのスーツに極太ネクタイ姿は、ネットへの広告提案を中心としたITベンチャーである我が社で異彩を放っていた。
「広村さん、出来ました」
コピーを終え、青木さんが一部ずつキレイに留められた書類を渡してくれる。こういう丁寧さを見ると社会人経験の厚みを感じる。
「ついにコンペですね、頑張りましょう」と言うと、青木さんは、僕の緊張に気付いたのか「はい。精一杯サポートさせていただきます」と言ってから、小さな声で
「人生には晴れもあれば雨もある、昼もあれば夜もある、山があれば谷もある。ですよ」と笑顔で励ましてくれた。
◇
26歳、入社4年目の僕に待望の部下がつくと聞いたのは、会社の入り口の梅の木が真っ赤な花をつけた日のことだった。
僕を会議室に呼び出した部長はこう言った。
「今度新人が来る。広村が指導係だ。やれるな?」
それに対して僕は張り切って返事をし、部長は、うんうん、と頭を上下させて「くれぐれもよろしくな」と言った。
そして、来たのが青木ニ三さんだった。
青木さんが配属された後に聞いたのは、青木さんは社長の同級生で、前職は新聞社で記者をやっていたと言うことだった。
ーーお荷物を押し付けられた。
僕の最初の感想だった。日々任される仕事が増え、さらには私生活でもバタバタしているのに、新人がコネ入社の61歳なんて規格外すぎた。簡単な資料作成をお願いしようにもパソコンに慣れていないらしく、恥ずかしそうに顔を赤らめていることも多い。
だが、そんな印象はすぐに変わった。青木さんは元記者らしく話をまとめるのが得意で、議事録(手書きノート)作りはお手の物だった。話も巧みで、豊富な知識と経験を活かしたユーモアあふれる話は皆んなを励ましてくれる。そんな青木さんが職場で尊敬されるのは当然だった。
◇
「今日のコンペ、絶対取れますよ」
「青木さんにそう言っていただけると安心します」
「勝利の前祝いに乾杯しましょう」
僕と青木さんは、居酒屋に来ていた。寝不足だったこともあり直帰したかったが、青木さんが手真似で「一杯どうです?」なんて古臭い仕草をするものだからつい付き合ってしまった。
「広村さんは若いのにしっかりしていらっしゃる」
青木さんはビール片手にしみじみと言った。
「そんなことありませんよ。‥‥青木さんだから言いますけど、僕、先週プロポーズに失敗したんです」
言うつもりもなかったことを口走った自分に驚く。
香織とは大学から5年間付き合っている。先日、彼女の誕生日に合わせ、指輪をホテルのレストランで渡した。5年も付き合っていたし、ケジメをつけるつもりでのプロポーズだから、香織も当然喜んでくれるものと思っていた。
ーーしばらく考えさせてほしい
俯きがちに呟く彼女は、5分前まで楽しそうに仕事の話をしていた人物とは別人だった。そんな香織の顔を度々思い出し、僕は眠れない日が続いている。
「私は新聞記者をしていました。古臭い仕事をしていたこともあって、機械音痴です。パソコンも簡単な操作しかできません」
突然、自分の話を始めた青木さんは、ゆっくりグラスを回しながら一息つき、
「入社する前は本当に怖かった。同窓会で友人にお酒の勢いでITに挑戦したい、なんて言ったらトントン拍子で進んでしまって。これまで築き上げた自分の全てが崩れ去ってしまいそうで怖かった。でも最後は、まだまだ新しいことをやってみたい、と思ってここに来ました」
「彼女さんも、きっと人生が変わることへの期待と怖さがあるのでしょう。でも、広村さんは素敵な方だ。彼女さんは一緒になるための準備をしているのだと思います。すいません、年寄りの話と一緒にして」
と、申し訳なさそうに言った。
僕は、知らない内に瞼に溜まっていた涙に驚き、慌てておしぼりで拭う。そして、青木さんに聞く。
「どうしたら、青木さんのように、人に優しく、素敵な人生を生きられるのでしょうか?」
青木さんは困った様に首を傾げ、
「分かりませんね。私がこの会社でルーキーである様に、人生でもまだまだルーキーなんです。それに、人生という本の中では答えは後ろにはない、という言葉もあります」
と淡々と言った。
そうだ、人生は一度きり。2週目は、ない。
「青木さんがルーキーですか」
僕が呟くと、青木さんは、はい!、と元気に返事をし、2人で声を出して笑う。
「ところで、青木さんの話に時々出てくる名言はどなたのものですか?」
「あれはですね、全部スヌーピーです」
青木さんは恥ずかしくなったのか、顔を梅の花の様に赤く染めている。
ルーキーの青木さんは、これから綺麗な花を何度も咲かせるのだろう、と思った。僕も負けられない。だって僕も青木さんと同じルーキーだから。
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以上はピリカさんにお誘いいただき書いた作品になります。テーマは「ルーキー」でした。
ピリカさん、こんな素敵な機会をいただきまして、本当にありがとうございます。とても楽しく書かせていただきました!
