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第十一章 懐疑


中夏にさしかかると、台風の影響で時化がひどい。海へ行けないすみれは休日を持て余していた。
 一禾を誘って飲みにでも行こうかとスマートフォンを覗くと、一禾と亜美との三人のグループメッセージが入っていた。
 珍しく亜美からの集合要請に少し意外だったが、悩みを聞いてほしいと言うので、すみれのマンションでの集まることにした。
 三十分ほどで三人が集まり、各々が持参したアルコール類とつまみで、とりあえず久し振りの乾杯をした。近況報告のような雑談の後、亜美がいよいよという感じで本題に入った。
 その内容は亜美の夫が浮気をしているかもしれないという話しだった。
「最近、旦那の様子がおかしい」
 そう言って怒りを爆発させながら焼酎を煽る。どんな状況なのか聞こうにも泣く喚くの大騒ぎで、酔いも手伝って話の的を得ない。前後する話を組み立て理解しようとすみれは奮闘した。
 一禾は隣で亜美の背中をさすりうんうんと相槌を打っている。
 亜美によれば、これまで仕事でどんなに遅くなっても必ず終電で帰宅していた夫が、ひと月ほど前から外泊するようになった。
 その度に夫からは会社に泊まると連絡があるそうなのだが、これまで残業に厳しい会社だと聞いていた亜美は違和感を覚えた。
 そこで、家族ぐるみで交流のある同僚の妻にそれとなく探りを入れてもらった。
「残業は基本的に禁止だから、会社に泊まるってことは、まず無いよ」
 同僚はそう言った。
 同僚の妻はひどく心配そうに亜美を気遣ってくれたが、これ以上の醜態を晒すと夫の名誉に関わると思い亜美は同僚の妻に礼を言ってそれ以上探ることをやめた。

 専業主婦の亜美。その夫は商社勤務で毎日二時間かけて電車通勤している。
 二人の交際は高校生からで、隣町の男子校に通う彼と亜美は同じ塾の仲間だった。
 同じ大学に進学し同じ会社に就職して、結婚を期に亜美は退社した。
 亜美の夫はこれまで何度か浮気疑惑が浮上して、その度にこうして話を聞いて亜美を慰めてきた。
 結局、後になって亜美の勘違いとわかり杞憂に終わった。
 今回もまたその類いだろうと思うと、亜美の平和すぎる悩みを羨ましいとすら思った。
「今回は決定的な証拠があるんだから!」
 泣きじゃくりながら亜美が差し出した画像は夫と疑惑の相手がやりとりしたメッセージの画面を写したものだった。
 日頃から亜美は、夫のスマホは見ない主義だと公言している。
 彼女はいかにも常識人を纏ったふうに言うが、実はこれまで何度も疑惑のあった夫の別の顔を見るのが怖いのではないだろうかと、すみれはそう思っていた。
 そんな亜美が夫のスマホの画像を隠し撮りするくらいだ、よほど確信めいたものを感じたのだろう。
 すみれと一禾は顔を見合わせた。そこには今度の週末の日付で、待ち合わせの時間と場所が記されている。
 更にメッセージの端々には二人の会瀬を生々しく裏付ける描写もあり、最後は「愛してる」で締めくくられていた。
「これは黒だわ」
 つい口走ってしまったすみれの言葉に、向かいの一禾が咎める顔でこちらを見た。
 テレビドラマにありがちなストーリーが、実際にあるもんだなぁと関心していると、二人にお願いがあると言って亜美が頭を下げた。

 昭和レトロな喫茶店、店内に漂うコーヒーの香りが心地よい。
 今どきのカフェは抽出マシンで瞬時に淹れるせいか、こんな風にフルーティーで芳ばしいアロマの香りを漂わせない。すみれは大好きなコーヒーの香りを全身で堪能した。
 カウンターでは、アゴヒゲを伸ばしたマスターがサイフォンを傾けている。
 カランと入口のカウベルが鳴る度に緊張が走る。土曜の夕方という店内には、カウンターにスーツ姿の男性客が一人と、入口からすぐのボックス席に老夫婦、店の中央のテーブル席に二人組の年配の女性がいるだけで、奥のボックス席を陣取ったのは、店内を見渡せると思ったからなのだけれど、ここまで空いていると、どこに座っても同じように感じる。
 先日、亜美に頭を下げてお願いされた話とは、夫の浮気現場を抑えてほしいというものだった。
 そういうスリルを嫌う一禾は全力で拒否していたが、なんとか口説き落としてついてきてもらった。正直なところ、すみれはワクワクして堪らない。
 亜美の夫と、相手の女が申し合わせていた時間までは、まだ三十分ある。
 すみれと一禾は、戦の前の腹ごしらえだと言ってホットケーキを注文した。運ばれてきたそれは期待を裏切らなかった。ホットケーキミックス粉のパッケージに描かれているような、分厚い二枚重ねに四角いバターが乗っている。食べる直前にシロップをかけると、食品サンプルのように理想的なホットケーキになった。
 すみれは浮かしたヒップのポケットからスマートフォンを取りだすと、更に美味しく見えるように専用のアプリを起動して写真を撮った。
 亜美の夫が店に入ってきたのは待ち合わせ時刻の十分前くらいだった。
 先程まで何をしに来たのか忘れたようにホットケーキに舌鼓を打っていたすみれもさすがに緊張してきた。
 その五分くらい後に入ってきた女に向かって男が手をあげた。二人は、すみれたちのいるボックス席と同じ並びの間に二席挟んだ席に陣取っている。
 一禾の背後なので、二人の様子はすみれからしか見えない。責任重大である自分の役割に興奮してえずきそうになった。
 亜美の夫はこちらに背を向けて座っているので表情を読み取ることは出来ないが、女の顔はすみれの席から丸見えだった。
 女は目深に被った帽子を脱ぎ、隣に置いてあるバッグに被せるように乗せた。
 メニューを眺め注文を終えると、向かいの男に顔を向けた。

 ――え?

 言葉を失ったすみれに、一禾がなに? なに? と小声で聞いてくる。

 ――うそでしょ……。

 すみれは咄嗟に顔を伏せた。


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