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山登り人生VOL583お世話になったN氏の追悼登山

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記を4年前からブログで振り返っています。このシリーズ「山登り人生」は、まる2年になりました。
平成15年度、市制百周年記念事業も終了し所属も解散、
新職場での仕事が始まった54歳頃の山登りです。
N副会長とは1982年長崎・佐賀県境縦断を踏破しました。
1989年マッキンレー遠征隊長になると盛り上がりもしました。
そんなN氏も癌には負け、早いお別れとなりました。
8年遅れでの追悼登山です。

No768N五郎氏追悼登山(三俣山~星生山)

平成15年9月6~7日 14名車3台
6日佐世保⇒13:00ひぜん湯
7日長者原6:20→指山7:15→三俣山北峰8:15→本峰8:45→すが守越9:20→
  久住別れ→10:10星生山11:40→牧の戸峠

所属会の初代会長Y浩氏、平成4年7月9日没
同副会長N五郎氏、平成7年9月10日没。

Y会長の平成5年8月一周忌追悼登山、
平成6年7月三回忌追悼を星生山で実施し、
術後元気に参加されていたN副会長が願い叶わず翌年7月に逝去。

平成6年7月Y会長三回忌追悼登山時のN副会長(左前列)

追悼登山を計画したが硫黄山の火山活動により星生山周辺が登山禁止となった。禁止が解除され没後8年にしてようやく追悼登山が実現した。

星生山頂からのパノラマ写真(久住山~大船山∼三俣山)

6日我々がひぜん湯に着いた時は、既に涌蓋山に登ったM先生会長らが中庭で宴会準備中だった。我々もひと風呂浴びて持ち寄りの酒と肴で宴会開始。
宴は延々と続く。K車が日没に到着し、更に盛り上がる。
(注)随分前の大雨で、ひぜん湯の建物やご主人の田中さん?も流されました。ネット検索しても当時の建物などフィットしません。1992年11月に利用した際の写真がこれです。全体像は判りませんが正面の一部です。涌蓋山にはこの橋を渡り建物内を通って登っていました。

7日三俣山経由で星生山を目指す我々8名は早立ちする。
5月に指山コースから登っており、初めてのメンバーにコース紹介しながら予定とおり北峰に立ち本峰、西峰からすが守越経由で星生山に向かった。
牧の戸峠組の出迎えで到着した。

指山から三俣山北峰(左)と本峰(右)を望む。
星生山頂下から北面、三俣山を望む。

T先生の読経で、8年も自宅保管されていたお骨を散骨した。
Y会長と同じ場所、一緒に土に還られるだろう。

 山登り人生は人との出会いそのものです。
その一人がN先輩でした。

 

 

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