月が遠ざかっていた

 私は、電車の扉に寄りかかりながら窓の外を眺めていた。
 私がその言葉に触れたのは、一昨日のことだった。SNSのタイムラインに流れていくその言葉を見た瞬間に、指先で捕まえていた。古賀コン。耳慣れぬその言葉に触れ、リンクをタップすると参加要項のページに辿り着いた。一時間だけの創作。体験型の創作。見たこともないようなその内容を確認し、ページを閉じた。
 私は小説を書いている。誰に宛てて出すわけでもないような小説。それはただの書き散らし。出したくても出せない手紙のようなものだった。
 私は管理職をしている。窓には目の下の隈が隠せない四十半ばの女が映っている。それは私の顔だ。私は窓を見るのをやめスマホでSNSのリンクを辿った。
「孤高の天才未満」
 それが今回の古賀コンのテーマだった。
「天才未満」
 スマホをポケットに入れながら、声を出さずに復習する。
「天才」
 天才とは、なんだろう。
 例えば私のように出したくても出せない手紙を書き続けるようなものには小説の才がない。だとすれば、担当者がつき書籍化され書いた文章が金銭と交換される小説家は天才と呼ばれるのだろうか。十九時五分に駅を出た列車のシートには空席はなかった。仕事終わりの疲れた顔が蛍光灯の下にずらりと並んでいる。であれば、管理職として賃金を得ている私は管理職の天才だろうか。私は確かに笑ったはずだけれど、窓に映る私の頬はぴくりとも動いていなかった。ただ経験を積んだだけ。ただ運がよく用意された席に座れただけ。あとは与えられた職責を粛々と果たしただけ。それだけのことが天才と呼ばれるはずはない。ならば、天才とは何だろうか。
 遠くに見えていたはずの月が目の前にあらわれた。
 その月は、私の顔のようにも見え、この列車に同乗する名も知らぬ乗客の顔のようにも見えた。
 天才、とはあくまで主観的に把握をせざるを得ない。主観的に把握するしかない天才、という言葉がこうも私を圧迫する。この列車に同乗する乗客の各々は天才だろうか。それとも天才未満だろうか。そのことを決めるのは、誰なのだろうか。
 月の眩しさに耐えきれず、私はふたたび窓から目を逸らした。
 消失点を描きながら並ぶ左右のシートに座る乗客のそれぞれの頭、それぞれの身体が成し得る能力について考えて見れば、まるであわせ鏡の奥に延々と続いていく。私は私の顔を覗きこんでいた。
 私は、私から離れて私であるわけにはいかない。
「東京~、東京~」
 駅員のアナウンスが耳の奥に滑りこんでくる。
 地下鉄の暗い窓に浮かぶ私の顔は、疲れた中年の女の、顔をしていた。

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