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noteでBL「うつったのは君だった」

〇まえがき


企画に参加させていただきます。この度も素敵な企画ありがとうございました!

写真部のDKが卒業旅行に行くお話です。

〇本編(約9200文字)

古く、写真とは、撮影された者の魂を吸い取る、と人々に恐れられていた。
なら、撮影者の僕は、あの人に、何を吸い取られてしまったのだろうか。
 魂か、それ以上のものか。

 ーーー
「卒業旅行に行かない?」
 
卒業式が終わった後、写真部の部室で、思いつき、と言わんばかりにあの人がそんなことを口にした。あの人――清美夏彦(きよみなつひこ)。僕、毎 萩久(まい はぎひさ)の一つ年上、写真部の唯一の先輩だ。
 
「卒業旅行、ですか……?」
「うん、せっかくだからね。マイくんと一緒に卒業旅行、行きたいなって思って」
 
あの人が僕の方にじ、っと視線を向けて、僕の心臓がどきりと跳ねる。ときめきのような、黒い衝動のような、そんな感覚。
真っ黒な、レンズみたいなあの人の美しい瞳の中には、戸惑った僕の顔が映っていた。僕は思わず目をそらす
 
「どうして、ですか?」
「……マイくんは、写真部の部員で、大事な後輩だからね。一緒に行きたいのは当たり前だよ。この部活が廃部になる前にね」
 
 あの人は、にこり、と柔らかくも美しい笑顔を浮かべながら言う。僕の思いも知らないで。これは、あの人の純粋な優しさ、の誘い、だとは思う。卒業、という名前の別れの前の最後の思い出作り、という名前の。
 けれども、僕の心拍が嫌な音を立てていた。心臓ごと砕け散りそうなくらいに心拍が高鳴っている。
好機が来たのかもしれない、という想いと、本当に、実行に移す日が来たのかもしれない、という教えと、そして、とてつもない恐怖感。
 
 僕は、清美夏彦を、ずっと殺したい、と思っていたから。「卒業旅行」の中で、実行に移してしまう、かもしれない、と思って。
 
「……分かりました。是非、ご一緒したいです」
 
しばらくの沈黙の後、嫌に鳴り響く心臓と共に、僕が肯定の答えを返すと、あの人は柔らかく口角を上げた。綺麗な笑み、だというのに、どこか蠱惑的な、人を魅了して離さないような、そんな雰囲気があった。
 
「ありがとう。詳しい日程、とか行きたい場所、とかまた今度決めようね」
「……はい」
 
 僕はただ、あの人と、“卒業旅行”に行く、という返事をしただけ。けれども僕の心臓が、未だに激しく鳴り響いて、出てきた声が震えている。
 
――
 あの人は用があるから、と先に帰ってしまった。部室に残されたのは僕だけになる。まだ整理の済んでいない部室の中をぐるりと見渡す。
 
写真部はあの人が卒業すると同時に、廃部になることが決まっている。だから今月中にはこれらを全て片付けなければならない。埃を被ったいつのものか分からない模造紙、過去の先輩方が置いて行ったであろうなんだか分からないキーホルダー、そして、分厚いアルバム……。そういった、“過去”が部室の中にはいくつも置かれていた。
 
 そして、僕の視線は一点で止まる。部室の「最優秀賞」という文字の書かれたリボンが取り付けられた、僕が被写体となった写真。あの人が撮った僕の写真。賞に出して最優秀賞を取った。
あの人の撮った僕は、あまりにも綺麗だった。僕ではない、と思ってしまうくらいに。それでいて世界一醜い写真だ。僕のこの重たい衝動を掻き回して煽るような、そんな写真だった。
 
 あの日、あの人に会ってから、僕は、おかしくなってしまった。あの人に会うまでは、僕は、こんな感情を抱くような人間、ではなかったと思うから。
――
僕は写真を撮影することが好き、以外は普通、としか言い表せないような人間だった。
子どもが乗り物のおもちゃやブロックのおもちゃに夢中になるように、僕が夢中になっていたのは写真を撮影することだった。
箱と紙でカメラのおもちゃを作って、スイッチを押し、その瞬間を撮影する、という真似事を一日中していたこともあるくらいには。
そして、幼稚園ぐらいの頃、母の姉、伯母からお下がりのデジタルカメラを貰った時は狂喜乱舞して一日中写真を撮っていた。それは、ただ、単純に楽しかった。カメラのシャッターを押す瞬間が、思った通りの世界を撮れるのが、楽しかった。文字通り、魂を奪われたように、朝から晩まであらゆる写真を撮っていた。ある程度の年齢になって、周りの子がゲームやプラモデル、本、に夢中になっていたり、過去の趣味を卒業した、としても、僕は子どもの頃から変わらず、ずっと写真を撮影することに夢中になっていた。
 
 その想いにただ突き動かされるようにして、高校の写真部に行った。校舎から歩いて3分ほどのところにある文化部の部室棟。その一番端の目立たない部屋が、写真部の部室だった。
 見学歓迎、の文字もなく、ただ古びた「写真部」という木のボードが掛けてあるだけ。曇りガラスの向こうに人の気配はあった。
コンコン、とノックをする。しかし、返事はない。もう一度ノックをしても気が付かない。僕はこっそり扉を開けた。
 
 狭い写真部の部室に、あの人がいた。
あの人を視界に捉えた瞬間、僕の全てを持っていかれそうな感覚があった。カメラを持ち、調整をしているあの人がそこにいた。僕が部室の扉をあけたことも気が付かずに。まるで、レンズの向こうにいる美しさ。黒髪に、長いまつげ。ブローチのモチーフとなっていてもおかしくないような美しい横顔。「イケメン」とか「かっこいい」とか、そういう言葉とはまた違う。人を虜にして、引き込んで、そのまま全てを喰らってしまうような美しさがあった。
 
 あの人の瞳がこちらに向けられる。瞬間、僕の心臓が今までにならないほどに跳ねた。写真を撮り始めた頃にどこかで訊いた話。昔の人は写真に撮られてしまうと、魂を吸い取られる、と恐れられていた、と言われていた話のことを。
 もちろん、彼と初めて目があった時の瞬間は、写真に残してはいない。けれども、僕の脳裏に、嫌という程に刻み込まれている。
 
「ああ、ごめんね。作業に夢中になっていたんだ。もしかして、見学希望?」
「は、はい……」
 
 低く柔らかな声で、優しく話し掛けてくれたあの人。けれども、それすらどこか蠱惑的な美しさがあった。悪魔に魂を奪われた、という表現が近しいのかもしれない。頷く、ことしか出来なかった。その時、嘘でもいいえ、って言えばよかったのかもしれない。僕は、悪魔の囁きに乗ってしまったのかもしれない。
 そして、悪魔に操られるようにして、僕は写真部に入部することになった。
 
「そうだ、君のこと、撮ってもいい? せっかく来てくれたから、記念に」
「あ、はい……」
 
入部してからしばらく、あの人は、そんな軽い問いと共に、僕の写真を撮影した。
もしも時を戻せたら、僕は、はい、なんて言わない。あの写真一枚で、僕は、こんなに、熾烈な思いを抱くようになるとは思わなかったから。
 
 あの人が撮影した僕を見た瞬間、今までに味わったことのない、全身が沸騰するような感覚、が走った。「上手い」とか「美しい」とか「技量」とかそういう言葉では言い表せないような、それくらいにとてつもない力を持つ作品、だったのだ。
 
あの人が「試しに」撮った写真があの、今も部室に飾ったままの、最優秀賞を取った写真だ。ごくごくたまにしか来ない文字通りの「幽霊顧問」にコンテストに出せ、と言われて、一瞬で最優秀賞を貰っていった。
僕が何年、いや、何十年、いや、死んでも、輪廻転生しても撮れないような技術の写真だった。瞬間、僕は、打ちのめされて、清美夏彦、という悪魔に取り憑かれてしまった。
 
悪魔のように美しいあの人は、僕を悪魔のように変えてしまった。
 
 あの人は類い稀なる才能を持っていた。とてつもない技術、見る人の魂を奪うような写真を撮影する力を持っていた。もちろん、あの人の努力もある、ということは分かっている。
けれども、努力では追い抜けないような、何かを、あの人は持っていて、僕はそれに焼き焦がされてしまった。
 
写真を撮りたい、という純粋だった想いは、「あの人に追いつきたい」「あんな写真を撮りたい」という想いへと変わっていった。もちろん追い抜けるはずもなく。どれだけ勉強しても、あの人と同じカメラを購入しても、レンズの調整を真似ても、もちろん、追い抜けるはずはない。彼になれるはず、はなかった。
 
そして、いつの間にか、僕、の純粋な気持ちで撮った写真は、あの人の映し方を追いかけるような写真になって。劣化した模倣作品、と言わんばかりのものばかりを量産していた。そのどれもが、自分が惨めになるような出来だった。
 その間にも、彼は焼き尽くすような写真ばかりを撮っていく。僕には永遠に真似出来ないくらいの力を持つ作品を。
とてつもなく有名な写真家が、彼の写真を激賞していた、という噂すら立つ程の美しさだった。
 
 あの人の写真を見る度、そしてあの人に触れる度、嫉妬・羨ましさ・焦り・怒り・虚無・諦め・惨めさ。そんな、ありとあらゆる感情を全て混ぜて一つにしたような感情が、僕の中に溢れようとしていた。
 
 人間性、だけを考えれば、あの人は、優しくて気さくで、穏やかな人だ。この部活を通して出会わなければなんの屈託もなく好ましい人だ、と思うくらいに。
 
「マイくん」と優しく僕を呼んで、分からないところがあれ丁寧に教えてくれる。
僕が撮った写真を、純粋な、なんの見下しもない目で「素敵だね」と言ってくれて、「マイくんと一緒に部活をするのは楽しいね」なんて言ってかわいがってくれる。
引退しても時折やって来て、「元気?」とか「調子どう?」とか言って来る。後輩想いの優しい先輩。
けれども、その人間性の良さが、さらに僕を苛立たせた。自身の才能を鼻にかけて自慢したり、僕のことを馬鹿にしたり、見下したり、陰口悪口に塗れているような汚らし い、ある種人間らしい部分が見えればこんな想いを抱かなくて済んだ。僕から見えるあの人は、ひどく清廉、で美しい人であったから、それが余計に惨めで、腹立たしかった。
 
 ああ、あの人がいなくなってしまえば、どれだけ幸せなのだろうか。
僕は、きっと、もう、こんな想いを抱かなくてもいいのかもしれない。
 僕が、あの人を殺したら、その時は、僕が、とてつもない優越と開放感を味わえるのかもしれない。
いつの間にか、倫理、なんてかなぐり捨てたような、おぞましい想いが生まれてしまった。そしていつしか、そんな想いが、僕の中に生まれてしまった。
 
悪魔のように美しいあの人。殺したい程憎いあの人。もしかしたら、あの「卒業旅行」の誘い、は好機なのかもしれない。神様が、この想いを全て亡くす為の機会を作ってくれたのかもしれない。そんなことを考えてしまった。
――
 春休みの少し前の土日、一泊二日の旅行、という。少し遅い時間に集まって、隣県の、夕焼けの海を撮影して、駅近くのビジネスホテルに泊まる、という流れになった。
 
 待ち合わせに指定していた駅へと向かう。人通りの多い、皆がスマートフォンに視線を向ける駅の中に、あの人はすぐに見つかった。
学ランの上に黒色のコートを羽織っている。日程諸々を決めていく時に、「もう着る機会なんてないだろうから」とお互い制服で行くことにした。そこに、丈夫そうなリュックを背負い、財布とスマートフォンくらいしか入らないであろうポシェットを斜めがけしている。背の高さも相まって、雑誌やカメラの向こう側、にいそうなくらいの美しさをしていた。一泊二日の旅行、だというのに、それこそ「もう二度と戻って来られない旅」に出るような雰囲気。こうして、遠くから見ると、「美しい男性」でしかないのに。
あの人、僕に気づくとにこやかに手を振った。僕の心の中に重く燃えるような気持ちが広がっていく。
 
「お疲れ様、マイくん」
「お疲れ様です」
 
重い気持ちの中、ふと、気になることがあった。
そういえば、カメラはどこに行ったのだろうか。あの人は、外に出る時、いつも首から下げていたのに。
 
「あの……。カメラは?」
「リュックの中。一番小さいのにしたよ」
 
着替え含めある程度の荷物が入っているであろう大きさの黒いリュックの中。きっとその中にカメラが入っているんだろう。普通に納得が出来る言葉で、僕はその言葉を信じてしまった。
 
「それじゃあ、行こうか」
 
 高校から電車でしばらく行った所にある海。そこが、卒業旅行、の目的地だった。
 
 がたがたと揺れる電車。隣同士のボックス席。
僕は窓の外を見るあの人の方にじっと視線を向けている。あの人の視線は、窓の外に向けられる。電子の画面の塗りつぶしのような青空に、その部分少し濃い隈は、眠れなかったのだろうか。訊ねれば、「楽しみ過ぎて眠れなかったんだ」と冗談だか本当なんだか分からないセリフが返ってくるだけだろう。
 
 この人と、街中ですれ違うだけの関係性であれば、写真という関係性を伴わなければ、きっと、「美しい」と思うだけで済んでいたのかもしれない。けれども、僕はもうそれだけではいられなかった。こうして隣にいると、あの、煮凝りのような想いが溢れそうになってしまう。
 
あの人は、僕のすぐ隣にいる。この瞬間、僕の持っているシャープペンで頸動脈を突き刺してしまえば死んでしまうのではないか、みたいな想いが。学ランと首の隙間からわずかに見える肌を、手持ちのシャープペンで突き刺せば、上手いこと殺せるのかもしれない。
 上着のポケットの中からメモ帳のシャープペンを取り出す。ひんやりとした金属の感触が僕の手に伝わった。そのまま、シャープペンを握って、ほんの少しだけ上に持ち上げる。何千回、何万回、とした動作が、今は、とてつもない緊張を伴っている。
 そして、僕がシャーペンを握り絞めて、震える手で空中にほんの少し、上げた瞬間だった。あの人、僕の方に視線を向けた。きょとん、とした表情の、でも、僕のことを気遣うような表情で。ぞくり、と鳥肌が立ったのが分かった。
 
「どうしたの?」
「……いえ、なんでもありません」
 
 そんな風に誤魔化す。けれども、僕の心臓が、ずっと、嫌な音を立てたまま、鳴り止まなかった。
 
―――
 電車に乗って、駅のそばのカフェで軽食を摂る。僕も食欲がいっぱい、という感じでもなかったし、あの人も「簡単でいいよ」という感じだったから、サンドイッチと飲み物だけを頼んで。
 
ホテルに辿り着く。駅のそばにある、なんの変哲もないビジネスホテル。あの人は僕の前で、慣れた動きでタッチパネルを操作する。「あれ……」という声が聞こえてきたから後ろから覗き込む。
画面は、ホテルの部屋タイプを確認する画面で止まっていた。
 
「……どうしました?」
「ごめんね、俺、予約を間違えてダブルベッドにしちゃった」
 
 画面を俺は覗き込んだ。元々ベッドが二つ、バラバラの部屋での予約、のはずだった。けれども、ダブルベッド、になってしまっている。つまり、先輩と二人で一緒のベッドで眠る、ということだ。
 
「今から、予約、取り直す?」
「……手間でしょうし、大丈夫です」
「……ごめんね。いざとなったら俺、床で寝るから」
「……いえ、そんなに眠る場所に頓着がある方ではないので」
 
そうは言ったものの、あまり、大丈夫、じゃないかもしれない。僕の心の中に、重たい感情が未だに溜まっていた。
チェックインをして、部屋の中に入る。一つの大きなベッドが占領したビジネスホテル。
荷物と着替えを簡単に整理して、その頃にはもう外は暗くなっていた。
 
「お風呂どうする?」
「……お先、どうぞ」
「長いけど、大丈夫?」
「……ごゆっくり」
「そっか。ありがとう」
 
 リュックサックの中から洗面用具を取り出して、そのままあの人は、シャワーへと向かっていった。うっすら聞こえてくるざあざあとした音。僕の心臓がばくばくと嫌な方向に跳ねる。
推理小説か、昔観たサスペンスドラマか、そんなワンシーンが過った。刑事の前に抗えずに、ぽつぽつと自供していくシーン。無防備な時に風呂場に入っていって、そのまま扉を開けて、後ろから絞め殺す。あのシーンは裸体の女性、だった。その裸体の女性と、あの人の姿が重なる。今の彼も、無防備な裸体、なのかもしれない。
 
 衝動に抗えずに、僕が立ち上がった瞬間、だった。ホテルで貸し出しされているガウンをしっかりと身に着けたあの人がやってくる。
 
「ただいま。お待たせしちゃってごめんね」
「あ、い、いえ……」
 
 視線をそらす。僕の心臓がばくばくと激しく鳴っていた。
布団の中に入る。明日は早いから、と、いつもの就寝時間よりも大分早く寝ることになった。
 目を閉じて、必死に、衝動を抑えていた。その後、どう過ごしたのか、何を会話したのか、全く覚えていなかった。
 
次の日。夜明けの前に起きた。隣であの人は僕に背中を向けながら眠っている。上下に静かに肩が動いている。眠っている。妙に乾燥した、ビジネスホテルの空気が広がっている。寝て落ち着いた、のか、僕の重たい衝動、は一過性、のものかもしれないけれど、薄らいでいた。
 とりあえず、顔を洗って落ち着こう、かと思った。身体を起こして、そっと、ベッドから這い出た。僕の視線は、口が開いていた先輩のリュックサックの中に向けられていた。
 
「え……?」
 
カメラは入っていなかった。あの人はスマートフォンのカメラで写真を撮る、ということはしていなくて。どうして。
 
「おはよう、マイくん。早いね」
「あ、はい……。おはよう、ございます。すみません。起こして、しまいましたよね」
「ううん。大丈夫。どうしたの?」
「……なんでも、ないです」
 
 取り繕うように、あの人に対しての答えを口にする。
 僕があの人に、抱いていた思いはすっかり消えてしまう。嘘みたいに、何も、なくなって。ただ「どうして」という想いだけが溢れていた。
――
あの人が行きたい、と言ったのは、海だった。海で写真、を撮影したいらしい。
 
「綺麗だね」
「……はい」
 
 あの人は、僕の方に背中を向けている。そして、こちらに視線を向けた。夕陽で逆光になっていて、表情は見えない。
 
「ね、もっと向こう、行ってみない? いいもの、撮れるかもしれないし」
「……はい」
 
 そう言いながら、あの人は僕に背中を向けて、ばしゃばしゃと、奥の方へ進んでいった。カメラも何も持たずに、海の奥へと進んでいく。着の身着のまま、というのが近い。裾が濡れる、のも無視して。無防備に僕に背中を晒している。このまま、あの人の背中を押してしまえば。あの人は溺れ死んでしまうのだろうか。
僕は、カメラは、カバンの中に入れた。まるで、全てを隠すように。そして、海の波がこないところへ置いて、そのまま、先輩を追いかけていく。走るように。
引き留めたいのか、殺したいのか、分からない感情のまま、進んでいく。そのまま、僕が、先輩の背中を押そうとした瞬間だった。波の動きで、僕の足がもつれてしまう。
 
「っ……!」
「わ……!」
 
 水しぶきが舞って、僕も、バランスを崩してその場に倒れる。
 
「あはは、マイくん、積極的だねえ」
 
 どういう意図で言ったのか分からないそんな言葉が、あの人の口から出た。いつかどこかで見た絵画が過る。けれどもあの絵画、とは全く違う。花も何もない。揺らめく髪の毛だけが美しい。揺らめいている髪の毛を、一枚の画像で、収めることは僕には出来ない。あまりにも綺麗な姿だった。
 
「……すみま、せん」
 
 じいっと僕を見つめるあの人の瞳には朝焼けと、戸惑った表情の僕が映っていた。
 悔しい程に美しい。この時、カメラを置いてきてよかった、という気持ちと、そうじゃない気持ちがごっちゃになっている。カメラがあったら、僕はおかしくなってしまっただろうから。戸惑いも含めて、おかしくなってしまっていたから。
 
「……ねえ、マイくん」
「え?」
「……俺のこと、殺して、いいよ」
「は……?」
 
 瞳に映った僕の表情がさらに戸惑ったものになる。心臓が痛いほどに跳ねている。嫌な音をしていた。けれども、あの人の表情は、随分と穏やかで、まるで、僕がしようとしていた行為を、全て受け入れるかのような表情をしていた。
 
「いいよ。マイくんにだったら、殺されても。何しても」
「ど、どういう……」
「きっと、ずっと、俺のことを、追いかけてくれていたんだよね」
 
 僕の心臓が嫌に跳ねた。「真似」とか「盗作」とか、そういうことを、責められているのかもしれない。と。けれども、やはりあの人は、穏やかな表情で次の言葉を口にする。
 
「君がどう思っていても、俺は、マイくんのことが、好きだよ」
「え……」
「可愛いかわいい大好きな後輩のマイくんにだったら、何をあげてもいいってね」
 
 はは、とどこか自嘲するような笑い声を口にしながら、あの人は言う。少しだけ、視線を横に向ける。視線の先にあったのは、右手だった。
 
「……俺は、もう、カメラ、持てないから」
「え……?」
 
 シーツの海に投げ出された手に、視線を向ける。怪我をした、とかだろうか。腕が、白い指先が、海の波に揺られている。
 
「ああ、手はなんともないよ。ただ、カメラは持てない」
 
 だめなんだ。ほんとに。と泣きそうな声で言う。それだけで、彼が、どういう状況に置かれているのかは伝わった。
 
「ほんとはね、君に、俺の代わりをして欲しいって思っていた」
「え……?」
「君にだったら俺の全部を渡してもいい。名前も、何もかも、全部あげるから、好きに、して欲しいって思ってた」
「…………」
 
あの人の瞳から、目が離せなかった。懇願するような、波のように揺れるような瞳から、目が離せなかった。
 
あれだけ、殺したかったのに、その気持ち、すら、飲み込まれて。
僕は、魂を吸い取られてしまったのかもしれない。この人と出会った時から、こうなる、運命だったのかもしれない。
 あの人の作品に、あの人に、焼き焦がされてしまったのかもしれない。
僕は、きっと、倫理的に認められない行為をしようとしているのかもしれない、と思った。
 
「いいよ、君が、したいようにして」
「……はい」
 
 もう、後には、戻れなかった。
 
あとに残ったのは、抜け殻、も何にもない、魂すら消えてしまった僕だけだった。
 
――
世界のメディアを連日賑わせていたのは、謎の写真家、清美夏彦が撮影した写真だった。その日も、新作の美しい海の写真が大きな話題になっていた。写真の美しさに耽る物、場所の特定、撮影者の正体の予想などがばらばらと飛び交っていた。
清見夏彦は表に出ることは決してなかった。
世間はその正体を探っていた。分かるのは、出身校、そして、学生時代に賞を受賞したことだけ。その写真が一人の男子学生であり、彼の正体もまた誰も知らなかった。
清美夏彦が所属していた写真部は随分と前に廃部になり、当時の顧問の教師も彼の近況は知らないという。それがさらに憶測を呼んでいた。
いずれにせよ、その写真家の正体が――清美夏彦の正体が、誰なのか、世間の人々が知ることはなかった。
 
 俺以外は。

〇あとがき

先輩に激重感情(嫉妬+憧れ+諸々)を抱いて殺したいと思うも最終的には彼の名前を騙ってゴーストカメラマンみたいになった後輩/後輩が好きすぎて全部あげちゃった先輩 の話でした

「こうすればよかったな」の反省点は多々ありますがとても楽しかったのでまたチャレンジしたいです! ありがとうございました……!


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