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「ここがすべて」という呪いを解く

わたしは、小学生の娘を育てている
シングルマザーです。

この子にとって、
「いまいる場所」が、
世界のすべてに見えていないだろうか。

そんなことを、
ふと考えることがあります。

学校が「世界のすべて」に見えてしまう危うさ

子どもにとって、学校は
一日の大半を過ごす場所。

そこでの評価。
友達との関係。
先生の一言。

それらが、
まるで
「自分の人間としての価値のすべて」
であるかのように
感じてしまうことがあります。

教室の隅っこが、
世界の果てに見えてしまうこと。

友達関係の
小さなひび割れが、
人生の終わりのように
感じられてしまうこと。

その“世界の狭さ”が、
どれだけ子どもの翼を
重くしているのか。

大人になった私たちは、
もう知っているはずなのに。

世界は、
そんなに小さくない

ということを。

複数の「止まり木」を持つということ

木が一本しかない場所では、
その木が折れたら、終わり。

でも、森の中にいれば、
別の木に
飛び移ればいい。

学校。
家庭。
習い事。
オンラインのコミュニティ。
あるいは、本の中の世界。

「Aではうまくいかなくても、
Bでは笑っていられる」

そんな場所が
ひとつでもあるだけで、
人の心は、
ずいぶんと折れにくくなります。

私は思います。

居場所を増やすことは、
逃げではなく、
ちゃんとしたリスクヘッジ。

「枠」を疑う勇気は、外の世界を知ることから

「ここが自分の居場所だ」
そう思い込みすぎると、
そこから出るのが、
とても怖くなる。

でも、
ほんの一歩、外に出てみると。

ちょっと変わった発想を
「面白いね」と
言ってくれる大人がいたり。

お金や、働くことのリアルを
正直に教えてくれる場所が
あったりする。

本当の自由は、
学校のフェンスの外側に、
白か黒かではなく、
グラデーションのように
広がっているのだと思います。

親ができるのは「別の窓」を開けておくこと

親ができることは、
「学校がすべてじゃないよ」と
言葉で説得することではなくて。

それよりも。

親自身が、
仕事以外のコミュニティを楽しんでいたり。
趣味の仲間に囲まれていたり。
いくつもの場所に、
自分の居場所を持っていること。

「お父さんも、お母さんも、
あっちこっちに居場所があるんだ」

その背中を見せることが、
いちばん静かで、
いちばん強い教育になる。

居場所をひとつに絞ることは、
片足立ちで生きるようなもの。

不安定で、
当たり前。

いくつもの場所に
根を張っていいと知ったとき、
子どもはきっと、
自分の翼を信じて
飛び立てるのだと思います。

学校は、大切な世界のひとつ。
でも、世界のすべてではない。

そのことを言葉で教えるより、
私は、いくつもの風景を楽しみながら生きていきたい。

子どもがいつか迷ったとき、
「あ、他にも空があるんだ」と思い出せるように。

今日も、小さな窓をひとつ、そっと開けておきます。

あたたかくなったら、みんなで焚火を囲みたい✨😊


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