[積極財政] 12兆円の「積極財政」は本当に暴挙なのか?——石破・高市予算の冷徹な比較から見えてくる、オールドメディアの算数力
こんにちは、葦原翔です。
朝、お気に入りのカフェで淹れてもらったドリップコーヒーを一口すするとき、私たちは無意識に「未来の価値」を計算しています。この一杯に数百円を払うのは、その後に得られるであろう「冴えた頭で過ごす仕事の時間」という未来の便益を信じているからです。
もし、あなたが「今日の午後には、このコーヒーの価値は4%ずつ目減りしていく」と厳密に計算し始めたらどうでしょう。あるいは、「将来の病気に備えるために、今日のコーヒーは絶対に我慢して貯金に回すべきだ」と毎日自分に言い聞かせていたら。
おそらく、あなたの生活は極めて「健全な家計簿」を保つ代わりに、新しい挑戦も、日々の小さな豊かさも失われていくはずです。
実は、これと全く同じことが、私たちの「国のお財布」のレベルで起きていました。
高市政権が掲げた「骨太の方針2026」の原案が示され、令和9年度(2027年度)予算の輪郭が見えてきた今、オールドメディアはいっせいに「財政破綻への暴走」「借金大国への道」と、いつものお決まりの警鐘を鳴らし始めています。
しかし、その感情的な大騒ぎから一歩引き、冷徹に「実際の数字」を並べてみると、そこにはメディアの壊滅的な「算数力の欠如」と、私たちが20年間縛られ続けてきた「呪い」の正体が見えてくるのです。
今回は、前政権である石破政権の2025年度予算と、高市政権の2027年度予算案を比較しながら、この国の「お財布の真実」を一緒に紐解いてみましょう。
石破の「緊縮」と高市の「積極」——2つの家計簿が並ぶとき
まずは時計の針を少しだけ戻し、石破茂政権下で決定された「令和7年度(2025年度)当初予算」を振り返ってみましょう。
石破政権の財政思想は、一言で言えば「守りの家計簿」でした。国の借金(国債)をこれ以上増やさないことを最優先とし、基礎的財政収支(プライマリー・バランス=PB)の黒字化目標を厳格に堅持しようとしました。
防衛費の増額や少子化対策といった巨額の支出を議論する際には、必ず「増税」や「社会保険料の上乗せ」といった「身の丈に合わせた財源」をセットで要求する。
使途の不透明さが指摘されていた予備費をバッサリ削って財源に充てるなど、その姿勢は極めてクリーンで「家計管理のお手本」のようでした。
しかし、この「守りの姿勢」は、経済が縮小しているデフレ脱却の最終局面においては、冷水を浴びせる緊縮フィルターとして機能してしまいました。
一方、高市政権が「積極財政元年」として掲げる2027年度予算案の思想は、真逆の「投資主導型」です。
「経済のパイを大きくしてデフレを完全脱却し、その成長による税収増で結果的に財政を安定させる」という、企業経営に近いダイナミックなアプローチをとっています。
この思想の違いが、予算編成の仕組みそのものをガラリと変えました。各省庁の予算要求に上限を設けない『「強く豊かな日本」投資枠』を新設し、AIや半導体、宇宙、量子といった成長分野に国費を重点的に流し込む仕組みを作ったのです。
これだけを聞くと、まるで高市政権が国庫の鍵を壊して大盤振る舞いをしているかのように思えるかもしれません。だからこそメディアは「バラマキ」と騒ぐわけです。
ですが、ここで一度、落ち着いて電卓を叩いてみましょう。

メディアが絶対に教えない「12兆円」の算数
オールドメディアの見出しには、いつも「官民370兆円投資ロードマップ」や「GX投資150兆円」といった、天文学的な数字が躍っています。
こうしたおどろおどろしい数字を見て、多くの人が「そんなに巨額の借金を一気に増やすのか」と錯覚してしまいます。
しかし、この「370兆円」や「150兆円」は、2040年度までの長期にわたる「民間投資も含めた累計目標」に過ぎません。
では、国が毎年の当初予算(一般会計)から直接支出する、実際の「国費負担分」は一体いくらなのでしょうか。
2027年度の予算予測を見てみましょう。
道路の維持管理や地域の防災などを担う「従来型の公共投資(一般会計の公共事業関係費)」は、前年並みから微増の約6.2兆〜6.3兆円です。
ここに、国が供給する低利融資である「財政投融資(インフラ枠)」の約2.5兆〜2.8兆円が加わります。
そして、メディアが「大盤振る舞い」と批判する、高市政権の目玉である最先端産業向けの「成長戦略投資(国費分)」、すなわち『「強く豊かな日本」投資枠』として予算に特別に上乗せされる国費は、単年度あたりでおおむね「3兆円程度」です。
これを足し合わせると、国が1年間で実際に投資する額(政府系投資の総額)は、どれだけ多めに見積もっても「約12兆円規模」になります。
日本の名目GDPは、現在およそ600兆円。高市政権はその規模をさらに大きくしようとしています。つまり、国が未来の種まきとして追加する予算はGDPのわずか0.5%(3兆円)に過ぎず、全体の政府投資額を合わせてもたったの2%(12兆円)です。
これほどの規模の投資を行うことが、果たして国家を財政破綻に導く「暴挙」なのでしょうか。
諸外国を見渡せば、アメリカや中国、あるいは欧州の国々は、国家の生存をかけて年間数十兆〜数百兆円規模の国費を半導体やインフラ、防衛に直接投入しています。
それに引き換え、日本の「12兆円」という予算規模は、極めて慎重で、むしろ「地味」とさえ言える堅実なステップです。
「官民で370兆円」というロードマップの見出し(スローガン)と、実際の予算書に並ぶ「単年度12兆円」という現実の数字。
この2つの違いを整理して説明することすらしないメディアの報道は、算数というよりも、もはや「オバケを怖がる子供の怪談」に近いものがあります。
「4%の呪縛」——日本の未来を過小評価し続けた元凶
しかし、今回の予算比較において、金額の増減以上に歴史的な地殻変動が起きているポイントがあります。それこそが、骨太の方針2026に初めて明記された「社会的割引率の見直し」です。
「社会的割引率」という言葉は、少し難しく聞こえるかもしれません。簡単に言えば、「未来に得られる価値を、今のお金に換算するとどれくらい目減りするか」を決める国の査定ルールです。
日本はこの割引率を、2004年以来、実に20年以上にわたって「4%」に固定してきました。
「4%の割引率」が何を意味するのか。
例えば、今100億円をかけて頑丈な堤防を作るとします。これにより、50年後に100億円分の水害被害を防ぐ(100億円の便益がある)と仮定しましょう。
この50年後の100億円の価値を「4%」で毎年割り引いて計算すると、現在の価値としてはわずか約14億円にまで目減りして査定されてしまいます。
「100億円投資して、現在の価値で14億円分の効果しかないなら、この事業は無駄だから不採択(ボツ)にしよう」
これが、これまで地方の治水事業や、高規格道路、災害対策の予算が「費用便益比(B/C)が1を下回る」として冷酷に切り捨てられてきた技術的なカラクリです。
超低金利時代がこれだけ長く続いていたにもかかわらず、国は「4%」という極めて高いハードルを課し、意図的に「未来への投資」を自ら禁止していたのです。
骨太2026の原案では、この割引率を「近年の金利状況を踏まえ見直す」ことが正式に明記されました。
もしこれが実態に即して「2〜3%(あるいはそれ以下)」へ本適用されれば、先ほどの50年後の100億円の便益は、現在価値で約37億円と、4%のときの2.5倍以上高く評価されるようになります。
これにより、予算の額面を無理やり増やさずとも、本当に必要な「地方の命を守るインフラ整備」や「国土強靱化」が正当に評価され、スムーズに実行できるようになります。
この制度の変更こそが、これまでの「静かな緊縮」の壁を打ち破る最大のキーピースなのです。
単年度という「病」からの脱却——補正予算の魔術を解く
もう一つ、これまでの予算編成が抱えていた大きな欺瞞があります。それが「単年度主義」と、それに伴う「補正予算の乱発」です。
石破・岸田政権までの予算編成を思い出してください。
彼らは、当初予算を策定する段階では「財政規律を守っています」というポーズを示すため、予算総額をできる限り小さく見せようとしました。
しかし、いざ年度が始まると、秋や冬になって「経済対策が必要だ」と称し、一般会計の「補正予算」を組んで数兆〜数十兆円規模の予算をドカンと追加で計上するのが常態化していました。
最初から必要な投資を当初予算に盛り込まず、後から「補正予算」という裏口から巨額の資金を投入する。これでは、予算の全体像が見えなくなり、かえって不透明な財政運営を招きます。
さらに民間企業からすれば、「来年もこの予算があるかどうか分からない」ため、長期的な開発や採用に踏み切れません。
高市政権の骨太2026は、この「補正予算依存からの脱却」を強く打ち出しました。
「恒常的に必要な成長投資は、最初から当初予算に堂々と計上する」。そして、単年度(1年)で使い切らなければならないルールに縛られず、複数年度にわたって長期的に民間を支援できる「政府基金」の仕組みへと予算を流し込む。
民間企業が数年がかりで先端半導体工場を建てたり、次世代AIを開発したりする現場において、本当に必要だったのは「今年だけもらえるかもしれない臨時の補助金」ではなく、「国が複数年にわたってコミットしてくれるという予見可能性」です。
当初予算に「投資枠」を設けて堂々と計上し,それを特別会計や複数年度の基金で担保する今回のスキームは,国家の財政運営を「単年度のその場しのぎ」から「長期的な経営」へと正常化するためのステップにほかなりません。
私たちは「未来」をいくらで買うか
財政破綻、国の借金、将来世代へのツケ。
これらは非常に耳障りがよく、ニュースの視聴率や部数を稼ぐには最高のキーワードです。
しかし、家の中の引き出しにお金を大切にしまい込んでいるだけでは、家屋の雨漏りは直らず、子供たちの進学費用も生まれません。
適正な投資を怠り、現状維持に終始することこそが、中長期的に最も「家を崩壊させるリスク」を高める行為です。
石破政権が目指した「規律ある、身の丈に合わせた緊縮」が、家計簿の数字を整えるためのアプローチだったとするならば、高市政権の2027年度予算案が描くのは「必要な投資を行って、家全体の稼ぐ力を取り戻す」ための挑戦です。
それも、世間が騒ぐような無軌道な暴走ではなく、社会的割引率を2%程度に現実化し、国費としては年間約12兆円をコントロールしながら動かしていく、極めてロジカルで冷徹な算数に基づいた設計図なのです。
夕暮れ時、街の明かりが灯るのを見つめながら、ふと考えます。
私たちの国は、これからの「未来」をいくらで見積もるべき後にでしょうか。
20年間続いた「4%」という冷たいフィルターで未来を割り引き、縮小させていくのか。それとも、適切な投資という名のスパイスを加え、少しだけ甘くて新鮮な未来を、自分たちの手で淹れ直すのか。
さて、みなさんはこの12兆円の「投資」、高いと思いますか? それとも、日本の未来を買うための、きわめて妥当な対価だと思いますか?
追記:
オールドメディアの記者やディレクターは算数が苦手らしい。大袈裟な数字には飛びつくが真実には辿りつかない。テロップの漢字間違えは言うに及ばず、写真は取り違える、数字は間違える。まるでコメディのような失態を繰り返しながら、公共の電波を使って「財政不安」を真顔で煽る。
*下請制作会社が作っているのだろうが、ノーチェックで垂れ流し?あるいはディレクターも漢字が読めない?
彼らが「暴挙」と呼ぶ12兆円の政府投資は、実はGDP比2%という、きわめて堅実でマイルドな未来への種まきだ。メディアというフィルターを通すことで、真実という名のドリップコーヒーは、彼らの認知的バイアスという名の薄められた泥水へと変貌を遂げている。
そろそろ私たちは、メディアという砂時計を信じるのをやめ、自分の手で真実の重さを量り直すべきではないだろうか。
*もう信じていませんよね、信じる者は救われぬ。
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