[財政] 「リスクを背負う国、ノーリスクで稼ぐ銀行」――95兆円の巨富を生むETFと、消えゆく国庫納付金のゆくえ
こんにちは、葦原翔です。
私たちは今、「金利のある世界」への歴史的な転換期を生き抜いています。
日銀がマイナス金利を解除し、政策金利を0.75%へと引き上げる中で、世の経済ニュースは「これで預金金利が上がる」「住宅ローンはどうなる」といった、私たちの目に見える身近な変化ばかりを追いかけています。
しかし、物事の本質は常に、スポットライトが当たらない「舞台の裏側」に隠されているものです。
いま、日本の金融システムの中心で、一般のビジネス感覚ではおよそ信じられないような「歪んだマネーの還流(ループ)」が起きているのをご存知でしょうか。
キーワードは、日銀が抱え持つ「95兆円の巨大な財布」と、民間銀行へと流れる「ノーリスクの利息」です。
政権が石破茂氏から高市早苗氏へとバトンを繋ぐ中で、この巨大な資産を巡る思惑はどう変化し、そして私たちの未来にどう関わっているのか。
少し長くなりますが、数字の裏にある構造を、皆さんと一緒に紐解いていきたいと思います。
1. 石破から高市へ。いつの間にか「95兆円」に膨らんだ魔法の財布
まずは、あまりに規模が大きすぎて実感が湧きにくい「数字」の確認から始めましょう。
アベノミクス以降、日銀が「異次元緩和」の武器として市場から買い支えてきたETF(上場投資信託)の存在です。
日銀が買い入れた元手、つまり「簿価(取得価格)」は約37兆円。これが、直近の政権交代の裏でどう推移したかを表にしてみました。

驚くべき数字です。
石破政権時の2025年3月末時点で約70兆円だった時価総額は、高市政権へと移行した2026年3月末には、国内の旺盛な株高を背景に約95兆円規模へと膨れ上がりました。
含み益だけで実に57兆円。
日本の国家予算(一般会計当初予算)が約110兆円ですから、その半分以上の「富」が、日銀の金庫の中に評価益として眠っていることになります。
日銀は2024年にETFの新規買い入れを停止し、2026年1月からは年間約3,300億円(簿価ベース)のペースで、市場に影響を与えないよう、ひっそりと売却(処分)をスタートさせています。
元手となる簿価がほとんど変わっていないにもかかわらず、財布のナカミだけが驚異的なスピードで膨らみ続けている。これが現在のリアルな構図です。
さて、ここで一つの疑問が浮かびます。
これほど莫大な資産、しかも日本を代表する優良企業の株式をパッケージにしたプラチナチケットを、なぜ「眠らせておく」だけなのでしょうか。
積極的な財政出動や投資を重んじる高市政権の誕生によって、「この国が持つ最大の含み益を、成長戦略や未来への投資に使えないのか?」という声が各所から上がるのは、きわめて自然な流れだと言えます。
しかし、この問いに答えるためには、日銀が今まさに直面している「もう一つの不都合な真実」に触れなければなりません。
2. 年間1.5兆円の果実が、右から左へ消えていく仕組み
この95兆円の財布は、ただ眠っているわけではありません。毎年、の膨大な額のキャッシュを生み出し続けています。
それが、構成銘柄である民間企業から支払われる「配当金(収益分配金)」です。
直近の公表データ(2025年度決算/2026年5月発表)によると、日銀が株式ETFから受け取った年間配当の実績値は、なんと1兆4,917億円。
約1.5兆円です。日本のトップ企業たちが稼ぎ出した利益の果実が、これだけの規模で日銀に転がり込んでいるわけです。
元手の37兆円に対して計算すれば、配当利回りは約4%。非の打ち所がない優良投資に見えますよね。
通常であれば、この1.5兆円から経費を引いた残りは「国庫納付金」として財務省に納められ、私たちの税負担を減らしたり、国の財政を潤したりするために使われるはずでした。
ところが、いまこの1.5兆円の果実は、国庫に届く前に「別の場所」へと事実上吸い込まれています。
その行き先こそが、「民間銀行への利息支払い」です。
日銀が利上げを行い、政策金利(補完当座預金制度の適用利率)を0.75%に引き上げたことで、民間銀行が日銀の口座に預けている「当座預金(約430兆〜440兆円規模)」に対して、日銀は巨額の利息を支払わなければならなくなりました。
その額、単純計算で年間約3.2兆円超。
賢明な読者の皆様なら、ここでお気づきでしょう。
株式ETFから入る配当:約1.5兆円
手元外貨資産(米国債など)から入る利息:約1.2兆〜1.6兆円
日銀が銀行に支払う当座預金利息:約3.2兆円
日銀が自らリスクを負って稼ぎ出している2つの巨大なインカムゲイン(計約3兆円)は、利上げによって膨れ上がった「銀行への利息支払い(コスト)」によって、文字通り右から左へと、そっくりそのまま相殺されるような構造になっているのです。
3. 「リスクはすべて国、リターンはノーリスクで銀行へ」という非対称性
ここで私たちが立ち止まって考えるべきは、このマネーループの持つ「圧倒的な不条理さ」です。
日銀が抱える株式ETFや外貨建て資産は、決して無リスクの資産ではありません。将来、世界的な大暴落が起きれば株価は急落し、含み損を抱えるリスクがあります。
為替が急激な円高に振れれば、外貨資産に巨額の評価損が出ます。
日銀、ひいてはそのバックボーンである「国家(国民)」は、常にそうした不確実なリスクを一身に背負っています。
それに対して、民間銀行はどうでしょうか。
彼らは、私たち一般個人や企業から、金利ほぼ0%の「タダ同然のコスト」で預金を集めています。
もちろん融資も行いますが、その審査や焦げ付きのリスクを負う必要のない「余剰資金」を、ただ日銀の口座に横流しして預けているだけで、この仕組みの恩恵に預かることができます。
それだけで、日銀(国)がリスクを冒して稼いできたETFの配当や外貨利息が、「年利0.75%の確実な利息」という形に姿を変えて、ノーリスクで銀行の懐へと滑り込んでいく。
「リスクを背負うのは国(国民)であり、ノーリスクでリターンを手にするのは民間銀行である」
これが、現在の「金利のある世界」が内包している、あまりにも非対称で歪んだ構造の本質です。
長年、超低金利に苦しんできた銀行業界にとって、現在の局面が「歴史的なボーナスタイム」と呼ばれ、過去最高益の水準を叩き出している理由は、日銀の利上げによる融資利ざやの拡大だけでなく、この中央銀行からの「ノーリスクの資金還流」に強力に下支えされているからに他なりません。
4. この95兆円を「成長戦略」に使えないのか? という誘惑
話を最初の問いに戻しましょう。
これほどの歪みがあるのなら、いっそのこと、その元凶とも言える「95兆円のETF」を日銀から切り離し、政府主導の「成長戦略」や「国富ファンド」の原資として活用すればいいのではないか。
特に財政拡大派や、日本の地力を取り戻そうとする高市政権の支持層からすれば、これほど魅力的なアイデアはありません。
「政府名義の特設ファンドにこれらの株式を移管し、その配当(1.5兆円)を最先端の半導体投資や、少子化対策、防衛費の財源に直接充てるべきだ」
一見すると、非常に前向きで合理的な提案に聞こえます。
しかし、これを実行しようとすると、先ほどの「右から左へのループ」が牙を剥きます。
もし日銀からETF(とそこから生まれる1.5兆円の配当)を取り上げてしまったら、日銀の手元には何が残るでしょうか。
残るのは、ゼロ金利・マイナス金利時代に買い入れた「利回りがほぼゼロの日本国債(約530兆円)」と、銀行に支払い続けなければならない「年3.2兆円の付利コスト(支出)」だけです。
貴重なインカムの柱を断たれた日銀の決算は、瞬く間に巨額の赤字(逆ざや)に転落します。
中央銀行の赤字そのものが即座に国家破綻を意味するわけではありませんが、「円」という通貨の信認は間違いなく揺らぎます。
海外のヘッジファンドはここぞとばかりに円売りを仕掛け、制御不能な悪い円安や、インフレの加速を招く引き金になりかねません。
つまり、日銀が保有する95兆円のETFは、「民間銀行への利払い費を補い、中央銀行としての健全性を保つために、容易には手放すことができない命綱」になってしまっている。
これが、政府がこの巨富に手を付けたくても付けられない、最大のジレンマなのです。
結論:私たちはこの「歪み」とどう付き合うべきか
さて、私たちはこの事実から、何を考えるべきでしょうか。
「銀行ばかりが優遇されて不公平だ」「日銀の政策は間違っている」と憤るのは簡単です。
しかし、日銀の立場に立てば、これもまた市場のマネーをコントロールするための苦肉の策なのです。
もし銀行への付利(0.75%)を止めれば、民間銀行は日銀にお金を預けなくなり、市場に大量のチープなマネーが溢れ出します。
そうなれば金利はコントロールを失い、さらなる円安と物価高が国民を襲うことになります。システムを安定させるために、銀行に「確実な果実」を分配し続けざるを得ないのが、現代金融の限界なのです。
石破政権から高市政権へと時代が移り変わり、どれほど華やかな「経済成長」や「分配」のスローガンが叫ばれようとも、中央銀行の足元には、過去10年以上の異次元緩和が残した「歪んだ配管」がびっしりと張り巡らされています。
この95兆円という果実は、私たちが過去のツケとして背負った巨大なリスクの裏返しであり、そこから生まれる富は、現在の金融システムを維持するための「潤滑油」として消費され続けている。
私たちは、ニュースが伝える「株価最高値」や「銀行の好決算」という華やかな表層に目を奪われることなく、そのインカムがどこから生まれ、誰のリスクによって支えられ、 shadow(影)としてどこへ消えているのかを、冷徹に見つめ続ける必要があります。
本当の「知性」とは、用意された分かりやすい正解に飛びつくことではなく、こうした割り切れない構造的なジレンマを、自分自身の目で見ようとする姿勢の中にこそあるのだと、私は信じています。
皆さんは、この「95兆円の財布」のゆくえについて、どう思われますか?
葦原 翔
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