魚鱗癬と歩んだ家族の物語⑧〜魚鱗癬という名前を初めて知った日〜
私が初めて「魚鱗癬」という言葉を知ったのは、兄を皮膚科へ連れて行った時のことでした。
兄については、また『俺の生き様シリーズ』で詳しく書こうと思っています。
当時の兄は統合失調症を発症し、3か月ほど入院した後、就労支援B型へ通い、グループホームで生活していました。
そんなある日、
「作業をしていると手がボロボロになるので皮膚科へ連れて行ってほしい」
という話がありました。
それまで私も兄も、まともに皮膚科へ行ったことがありませんでした。

夏の時期でした
汗もかくので特に仕事中はひどかったそうです。
母も兄も私も、
ずっと「アトピーみたいなもの」だと思っていたのです。
そして、その日。
生まれて初めて皮膚科を受診しました。
診察の時、私は先生にこう聞きました。
「アトピーなのか何なのか分からないんですが、母も祖父も同じような乾燥肌なんです。これは何なんですかね?」
すると先生は迷うことなく、
「魚鱗癬です」
と即答しました。
私は思わず聞き返しました。
「えっ? ギョリン……何ですか?」
先生は説明してくれました。
「魚鱗癬です。皮膚のバリア機能が弱いため、水分を保持しにくくなり、皮膚が乾燥してうろこのようになる病気です。」
私は本当に驚きました。

ずっとアトピーだと思い込んでいました。
周りからも、
「アトピーなんやね」
と言われていました。
自分でも、
「何か違う気がするけどなぁ」
と思うことはありました。
それでも長年、アトピーだと思い込んでいたのです。
だからこそ、
先生に即答されたことが嬉しかった。
30年近く悩み続けてきたこと。
何なのか分からなかったこと。
その正体がたった一言で分かったのです。
魚鱗癬。
その後、自分でも調べました。
指定難病。
治療法なし。
基本的には保湿による対症療法。
普通なら落ち込むのかもしれません。
でも私は違いました。
本当に嬉しかったのです。
長年の疑問にようやく答えが出たから。
何と戦っているのか分からない状態から、
初めて名前のある病気になったからです。
今思えば、
母も分からなかったのだと思います。
だから隠していた。
だから話したくなかった。
だから聞かれるのも嫌だった。
その気持ちも今なら分かります。
でも正直に言うと、
私は子供の頃に話してほしかった。
皮膚科へ連れて行ってほしかった。
一緒に調べてほしかった。
どうにかしようと思ってほしかった。
私は長い間、
得体の知れない謎の乾燥と戦っていました。
アトピーなのか。
病気なのか。
体質なのか。
何なのか分からないままです。
でももし、
「これは魚鱗癬という病気なんだよ」
そう教えてもらっていたら、
私はきっと受け入れていたと思います。
治らないとしても。
人と違うとしても。
「そういうものなんだ」
と納得できたと思うのです。
だから私は娘には隠しません。
今も年齢に合わせて少しずつ話しています。
なぜ保湿をするのか。
なぜ肌が乾燥するのか。
なぜ人と違うのか。
ちゃんと伝えるようにしています。
知らないことが不安になる。
分からないことが苦しくなる。
それを私は知っているからです。
その後、私自身も皮膚科を受診することになりました。
しかし、その頃の私はもう30歳。
正直、自分の手についてはあまり気にしなくなっていました。
「今さらいいかな」
そんな気持ちでした。
ところが、その頃ソフトバレーを始めていました。
チームメイトは、
一級建築士。
薬剤師。
言語聴覚士。
浄化槽管理士。
今思うと、なかなか面白いメンバーです(笑)
試合にもたくさん出ました。
でも私は昔から、
大人になりきれていない大人が苦手でした。
スポーツマンらしくない人もいます。
そういう人たちに手を見られ、
嫌な思いをするのも面倒だなと思っていました。
そんな話をすると、
「一度ちゃんと皮膚科へ行ってみたら?」
と勧められました。

確かに自分はまだ診てもらったことがない。
そう思い受診することにしました。
すると今度は、
「掌蹠角化症ですね」
と診断されました。
しかも先生は、
「平成24年には治療法が見つかっていますよ」
と言うのです。
私は、
「えっ? 治るの?」
と驚きました。
でもその頃には、
「もうおっさんやし、肌とかいいや」
そんな気持ちになっていました。
娘が生まれるまでは。
次回は、
長男誕生。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました🙇
