魚鱗癬と歩んだ家族の物語③ 〜「やっぱり俺はみんなと違うんだ」と気付いた頃〜
〜「やっぱり俺はみんなと違うんだ」と気付いた頃〜
何か違うんだろうな。
そんなことは、これまでの記事で書いたように、幼稚園や小学校低学年の頃から何となく感じていました。
母の手を見た時。
兄の様子を見た時。
でも、それはまだ「何となく」でした。
自分自身のことで、
「あっ、やっぱり俺もみんなとは違うんだ」
そう確信した出来事がありました。
小学2年生の頃だったと思います。
小さい頃から母に保湿クリームを塗ってもらっていました。
乾燥していたから塗ってくれていたのだと思います。
でも当時の私は、それが特別なことだとは思っていませんでした。
クリームを塗ることは当たり前。
みんなも塗っているものだと思っていたのです。
そんなある日、ふと疑問に思いました。
「みんなはどんなクリームを塗ってるんだろう?」
そこで友達に聞いてみました。
「ねぇ、いつもどんなクリーム塗ってる?」
すると返ってきたのは、
「クリーム?何それ?」
という言葉でした。
私はとっさに、
「あっ、ううん、何でもない」
そう言ってその場を離れました。
今でも覚えています。
それまでにも何となく感じていた違和感。
でも、その時はっきり思いました。
「あっ、やっぱり俺はみんなとは違うんだ」
と。

魚鱗癬の中では、私は比較的軽度の方でした。
パッと見ただけでは分からない。
手や足、体をよく見ないと分からない程度でした。
そのため、小学校低学年の頃は肌について何か言われることもほとんどありませんでした。
しかし、自分が気になり始めたのはプールの授業でした。
小学4年生くらいからだったと思います。
魚鱗癬や掌蹠角化症の人なら分かるかもしれませんが、水に長時間浸かると角化している部分が白く目立つようになります。
私の場合もそうでした。
プールの後は手が普段以上に目立つようになり、それが嫌で仕方ありませんでした。

その頃から、自分の肌を意識することが増えていったように思います。
夏になると半袖半ズボンになります。
肘や膝の裏は乾燥し、黒ずみも目立ちました。
そんなある日、運動会の練習中のことです。
私は肘を見られたくないなと思っていました。
すると、全然知らない子でしたが、私の肘を見て、自分の肘と見比べていたのです。
何を考えていたのかは分かりません。
でも私はすごく嫌な気持ちになりました。
「あいつ、自分の肘と比べてる」
そう思いました。
その光景だけは今でも覚えています。

また、当時の運動会の練習は裸足で行うこともありました。
砂の上を走ると水分が奪われます。
普通の乾燥ではありません。
私の足はどんどん乾燥していきました。
それが恥ずかしくて、私は何度も足を洗いに行っていました。
私の場合は軽度だったので、水をかけると少し保湿された状態になり、一時的にみんなと同じような足に見えたのです。
もちろん、しばらくするとまた乾燥してしまうのですが。
それでも何度も洗いに行っていました。
少しでも普通に見られたかったのだと思います。
私は運動が大好きでした。
運動能力にも自信がありました。
しかし、どうしても苦手なものがありました。
登り棒と反復横跳びです。
理由は単純でした。
乾燥です。
足が乾燥しすぎて滑るのです。
登り棒は登れない。
反復横跳びも体育館で裸足でするため滑ってしまう。
本当に悔しかった。
「自分はできないんじゃない」
「カサカサしているだけなんだ」
そう思っていました。
そして、ある日。
学校帰りに落ちていたプラスチック容器を拾いました。
そこに水を入れて、登り棒のところへ向かいました。
足に水をかける。
そして登り始める。
すると、あっという間に一番上まで登ることができました。
私は一人でこう言いました。
「ほらね‼️」
「水があればこんなん楽勝やし‼️」

伝わらず、登り棒に何故か足場があるけど、
足場がどうしてもなくならないので諦めました
今思うと笑える話です(笑)
でも当時の私は本気でした。
できないんじゃない。
カサカサじゃなければできるんだ。
それを誰よりも自分自身に証明したかったのかもしれません。
魚鱗癬だと知らなかった頃。
それでも私は少しずつ、
「自分はみんなと違うんだ」
と感じ始めていました。
クリームのこと。
プールのこと。
肘を見比べられたこと。
そして登り棒のこと。
今思えば、どれも自分の肌と向き合い始めた大切な記憶です。
次回は、
小学6年生のプール後に隠れてしていた事
そして中学生になってからの雨の日の自転車通学について書きたいと思います。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました🙇
