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CODAとして生きてきた、私のこれまで


〜初めて読む方へ〜

私は、聴こえない両親のもとで育ちました。
いわゆる、CODA(コーダ)です。

CODAとは、
聴こえない親をもつ、聴こえる子どものこと。

でも――
私にとっては特別なことではなく、
大切な家族と過ごす「いつもの毎日」でした。

小さい頃の私は、
「親を守ること」が自然なことでした。

外に出れば、音の情報がたくさんあります。
車のクラクション。
自転車のベル。
後ろから呼び止める声。

親が気づけないものに先に気づき、伝える。
それは大変というより、
家族と一緒に生きていくための、
ごく自然な行動でした。

子どもなりに、
できることを一生懸命にやっていたのだと思います。

手話は、勉強して覚えたというより、
生活の中で自然に身についていきました。

両親の会話を見て、
まねをして、
少しずつ通じるようになっていく。

きっとそれは、
聞こえる人が音を聞いて言葉を覚えていくのと、
同じだったのだと思います。

楽しい思い出も、たくさんあります。
あたたかい時間も、たくさんありました。

笑ったこと。
安心したこと。
家族の中で感じたぬくもり。

それは今でも、
私の中にしっかり残っています。

でも同時に、
子どもながらに抱えていた思いもありました。

周りの大人の言葉。
偏見。
無意識の見下し。

何も感じていないふりをして、
飲み込んだこともあります。

それでも私は、
親を可哀想だと思ったことはありません。

私にとっては、
それが普通で、
それが家族で、
それが当たり前の毎日でした。

ただ――

私はいつの間にか、
「守る側」に立っていました。

誰に言われたわけでもなく、
自然に、そうなっていました。

大人になった今、思います。

守ることは大切。
でも、
自分を大切にすることも、同じくらい大切。

それを、
少しずつ自分に許していけたらいいなと思っています。

CODAとして育ったことは、
大変なことだけではありませんでした。

人の表情を読むこと。
空気を感じ取ること。
言葉にならない思いに気づくこと。

それも、確かに、今の私をつくっています。

このnoteでは、

小さい頃の記憶
家族との日々
そのとき感じていた心の声

それらを、少しずつ書いていきます。

これは、
「CODAの正解」を書いたものではありません。

CODAにも、
それぞれの人生があります。

これは、
その中の、ひとつの記憶です。

もし、
何かひとつでも、
心に残るものがあったら。

そっと「スキ」やコメントを残していただけたら嬉しいです。

読んでいただけることが、
これから書き続ける、
小さなあたたかい灯になります。

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咲羅(coda) 最後までお読みいただき、ありがとうございます。 CODAとしての記憶が、誰かの心にそっと届きますように。 スキやチップで応援してもらえたら、とても励みになります🌸