【エッセイ】腕時計
最近、また太ってきたのか腕時計がきつくなってきた。
なので、会社に着いたら外して机の上に置く。
そして、それをぼんやり見てると思い出すことがある。
‥‥
僕は、いわゆる「ブランドもの」には全く興味がなく、逆に些細な見栄のために何十万ものお金を使うなんて、あまりにももったいないと思っている。
無理して買ったブランドものを持って外出した時の所持金が数千円なんて、逆に恥ずかしいっしょ。
だけど、12、3年前に買った僕の腕時計は定価で10万円である。
それが高いか安いかは人それぞれだろうけど、僕には十分高い。
が、実はその腕時計は9割引きで買った。
つまり1万円である。
正確には9800円くらいだったと思う。
バッタモンであるのは間違いないが、それでも買ったのには訳がある。
あの頃.....
僕は、その当時もブランドってものに全く興味がなく、その頃つけていた腕時計は360円のものだった。
デジタル表示でバンドが黒のビニール。
おもちゃのような、っていうか、おもちゃそのものの腕時計だった。
だけど、時間が分かればいいんだも、それで十分だと思っていた。
その頃の僕は、金融機関向けのコンピューターパッケージソフトの導入と保守の仕事をしており、本州にある日本でも有数な金融機関に月数回通っていた。
そして、そのパッケージソフトは他社が作ったものだったんだけど、恐ろしいほど品質が悪く、それを引き継いだ僕らはそれを直すのに徹夜同然の日々を過ごしていた。
だけど、導入する日は待ってくれない。
何とか動く状態で客先に持って行って動かす。
だけど、品質の悪さはすぐばれる。
「何でそうなるのか」
20人ほどの会議室に拉致され、徹底的に説明を求められる。
だけど、正直、そのシステムを調べ切れていない。
だから、つい逃げ言葉が出る。
「・・・だと思います」
「あなたは、『思う』で仕事をするんですか」
「・・・のはずです」
「あなたは、『はず』で仕事をするんですか」
徹底的にやられた。
だけど、その通りである。
数千万のお金を払って導入するシステムだも、「思い」や「はず」で仕事されたら、たまったもんでない。
僕はひたすら低姿勢でやりきれない時が過ぎるのを待った。
そしてその時、そうやって僕を問い詰めていた隣りの奴の腕時計を何気なく見た。
オメガだった。
腕時計に興味のない僕でさえ、オメガくらいは知っている。
恐らく数十万円はするだろう。
数十万円の腕時計をした奴が、360円の腕時計を着けた冴えない男を徹底的に問い詰める。
僕は何から何まで負けていると思った。
その情けない出張から帰った後、少しでも奴に追いついてやろうと、せめて腕時計くらいは高いのを買おうと思った。
だけど、僕が出せるお金はせいぜい1万円である。
だから、定価が高くて思いっ切り割り引いているこの腕時計を買った。
それでも満足だった。
少しは気持ちが楽になった気がした。
その後、さらに徹夜同然の日々は続き、ようやっとシステムがうまく動くようになった頃、僕の話す言葉から「思う」と「はず」は消えた。
時間はかかったが、やっと彼に追いついた気がした。
それからまもなく、僕はその仕事を離れ、やがて会社を辞めた。
新しい職場で久しぶりにじっくり腕時計を見た。
結構傷がついてたり、ところどころが凹んだりして、古臭くなっていた。
まっ、所詮9割引きだも。
「新しいの買おうかな」
ってチラって思った。
けど、やっぱやめた。
腕時計なんて、時間が分かれば十分さ。
