蔵を掃除していたら、1716年に奉納された剣鉾が見つかる
昨日、木嶋神社の蔵の大掃除を実施した際、「中門前町、東辻ヶ本町、西辻ヶ本町」の管理する剣鉾の木箱が見つかった。中を開けてみると、以前使っていた剣鉾が保管されていた。

享保改元丙申年九月十一日
享保元年は1716年(江戸時代中期、徳川吉宗の時代)なので、約310年前!
三井家から木嶋神社へ奉納されたと推測できる。
当時、三井家は木嶋神社にビックスポンサーであったのだろう〜
三井家が木嶋神社に社殿(顕名霊社:今はありません)を建てたのは1751年というのが残っているので、それよりもさらに古い時代。かなり貴重な遺産ではないだろうか。
呉服を商う三井家は京都で養蚕の神・木嶋神社を信仰しており、宝暦元年(1751)、「顕名霊社」として勧請し、神社内に社殿を設けた。しかし、明治に入り、廃仏毀釈運動が活発化。神社・仏閣の排斥が進む中で、明治7年(1874)、顕名霊社は木嶋神社から京都・油小路の三井総領家邸内への遷座を余儀なくされる。一方、京都から東京へ事業拠点を移した三井家では同年、東京・深川の三井家別邸内にも顕名霊社の社殿を新たに造営し、京都・東京の両地で祖先の御霊を祀った。
今も現存する木嶋神社の大神輿は1826年ごろに広隆寺によって造られたとされるので、1700年当時の神幸祭は別の神輿があったのかもしれないし、「神籬(ひもろぎ)」として神輿以外の依代(榊など)を設けて、巡行されたのかも知れない。(コロナ禍の八坂神社祇園祭では神籬が実施されている)
ちなみに、冒頭に記載した「中門前町、東辻ヶ本町、西辻ヶ本町」の剣鉾についてはこちらもご覧ください。伝承って難しいのだ!
追記:2026年6月2日
倉庫にて保管している現役の剣鉾を調査する機会があったので、木箱の裏に書かれた内容を確認してみる。

大華公鉾
新調
寛政二庚戌年四月吉日
中門前町
辻町
大華公(たいかこう)は、秦河勝の別称・尊称
ネットを調べると5つの鉾の名称が記載されている!
・大華公鉾=錺は鳳凰
・稲積大明神鉾=錺は稲穂
・春日大明神鉾=錺は下り藤
・山王大権現鉾=錺は菊
・三光大明神鉾=錺は日月
寛政二庚戌年四月は、1790年4月。
享保元年(1716年)から74年ほどしか経過していていないが新調したのか… 当時を想像すると二〜三世代ぐらいの年月が経ったって感じやな。ちょっと短い気がするのは気になる。ちなみに木嶋神社の大神輿は文政8年(1825年)に作られたいるので、新調したとしてもこの剣鉾の方が古い!(というかそれ以降、新たに新調された記録は見つかっていないw)
中門前町と辻町は、辻ヶ本町の旧称が「辻町」ではなかろうか… そして、垣内町も三条通ができるできるまでは同じ町内として辻町に含まれていると推測できるよね。
木嶋神社(蚕ノ社)の三柱鳥居
現存する三柱鳥居は「亨保年間(1716年から1736年)に修復されたもの。」という記録が残っている。
亨保年間とは、第8代将軍徳川吉宗によって主導された幕府の財政再建と政治改革の時期ではあり、「質素倹約」として財政的に余裕がなかった時代だと思われるが、江戸の財政と京都の財政に温度差のようなものがあってもおかしくないのかもしれない。江戸時代の華やかな時代としては元禄年間(1688年から1704年)が有名であるが、その際の文化・工芸などの技術の高まりを経てから亨保年間での剣鉾、神輿、鳥居の新造と考える(妄想)となかなか興味深いわー
